近藤年子(デザイナー)は女の勲章のモデル!今現在やブランドのトッシーも解説!

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こんにちは。

今回紹介するのは「女の勲章」という山崎豊子さんの小説の作品です。

これまでに原作と同名で映画やテレビドラマ化されてきました。

山崎豊子さんといえば、「白い巨塔」や「不毛地帯」、「約束の海」など管理人が好きな小説がたくさんあります。

「女の勲章」が今年2017年にまたテレビドラマとして放送されるんです。

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主人公の大庭式子の役は松嶋菜々子さん。

これは見逃せませんね。

あらすじや結末、キャスト、テーマ曲等も気になるところなんですが、管理人的には主人公の大庭式子さんのモデルが実在の人物なのかということです。

そして、誰なのか?

実は2人の人物がモデルであると言われています。

その1人がファッションデザイナーの近藤年子(こんどうとしこ)さん。

ちなみに、もう一人は上田安子さん。

今回は特に近藤年子さんにフォーカスします。

そんなわけで、山崎豊子さんの原作「女の勲章」のモデルが近藤年子さんということについて。

そして、今現在やブランドのトッシーも解説していきます。

服飾デザイナーとしてはすでに引退されていますが、現在はどうされているのかが非常に気になるところですね。

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近藤年子(デザイナー)は女の勲章のモデル!

まずは結論からズバットいいます。

小説「女の勲章」のモデルの1人はデザイナーの近藤年子(こんどうとしこ)さんです。

戦後の関西の服飾業界をリードされてきた方です。

モデルと言われている人が実はもう一人います。

上田安子さんという方です。

ファッションデザイナーです。

1996年に亡くなられています。

以上のように「女の勲章」の主人公である大庭式子さんのモデルと言われている方は2人いるんです。

本記事では特に近藤年子さんにフォーカスして話を進めていきます。

さて、今年2017年の分まで含めると、これまでに3回テレビドラマ化されれています。

1962年、1976年、そして今回の2017年版です。

大庭式子さんを演じたのは、1962年が月丘夢路さん、1976年が三田佳子さん、そして今回2017年が松嶋菜々子さんです。

映画の方では京マチ子さんでした。

テレビドラマになる1961年には映画もありました。

まずは映画化されてからテレビドラマとして放送されたんです。

映画もテレビドラマも原作と同じタイトルです。

ファンや小説好きにはすごく魅力的な作品です。

管理人的には「白い巨塔」の方がどちらというと好きなんですけどね。

「女の勲章」はまた違った面で魅力的な作品であるのも確かです。

原作はもちろんですが、こういった作品では、あらすじやネタバレ、結末、最終回といったものがすごく気になると思います。

テレビドラマの場合はキャストやテーマ曲も気になるところです。

テーマ曲は女優で歌手でもある薬師丸ひろ子さんの「追憶」です。

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今現在は?

気になる今現在なんですが、昨年2016年にニュースがありました。

正確な生年月日は不明ですが、昨年の報道だと96歳となっていました。

6月生まれだということはわかっています。

大阪の船場生まれで、今現在は大阪の吹田市にお住まいです。

一般社団法人「総合デザイナー協会」の参与を務められていることが昨年2016年のニュースに書いてありました。

これまでに数千着以上の洋服をデザインしてこれらましたが。すでに服飾業界を引退されています。

しかし、創作意欲には衰えもなく活動されているとのことです。

89歳の時に最後の作品を仕立てられました。

それは自分の死装束です。

理由は、自分には葬儀屋さんの白装束は似合わないということでした。

どういうものを作られたかというと、色鮮やかなドレスでした。

製作に3か月ほどかかっています。

ちなみに、金色をベースにしたヒョウ柄のツーピースのドレスです。

大阪とヒョウ柄ってなんかイメージが合いますね。(笑)

これで現役を引退されたんです。

さすがファッションデザイナーですね。

生花で作ったドレスを披露したりとまだまだご活躍中のようです。

ファッションデザイナーとして50年以上もの間第一線で活躍されてきたことは本当にすごいことだと思います。

山崎豊子さんが注目して小説にしたのも納得できますね。

ブランドのトッシー(TOSSY)について

近藤年子さんが設立したファッションブランドが「TOSSY(トッシー)」です。

1950年(昭和25年)に大阪市内で立ち上げられたんです。

1950年といえばいろんな出来事がありましたが、管理人的には朝鮮戦争が勃発

戦後に近所の若い女性たちを集めて洋裁塾を兼ねた店舗を開きます。

場所は大阪大空襲で焼け残った自宅の2階でした。

そして、占領軍の兵士たちの奥さんの洋服を作りながら服飾デザイナーとして自立していきました。

TOSSY(トッシー)は、大阪の平野町にオーダー店、梅田新道にプレタポルテ店、その他に阪神百貨店や東京の代官山にも出店していました。

しかし、現在は全て閉店しています。

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