広瀬淳(医師)の出身大学と経歴!妻が原因の理由とは?動機とその後も解説!

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広瀬淳さんは元国立浜松医科大学付属病院の医師でした。1989年(平成元年)に話題になり注目されました。

それが、腎不全患者に対する嘘の腎移植と2500万円に関するものでした。

今回は、エリート医師であった広瀬淳さんの出身大学や高校等の学歴、そして経歴、妻と家族について調査しました。

また、注目され話題となった問題の動機や原因、理由にも迫り、その後どうなったかというところまで解説します。

テレビの「奇跡体験!アンビリバボー」でも広瀬淳さんのことが取り上げられます。

いろいろ言われてますが、やっぱり今でも医師といえばまだまだエリートと言われてもおかしくないのが現状です。

あいかわらず医学部の偏差値は高く、受験倍率も他の学部に比べると圧倒的に高いです。

つまり、すごく人気があるということです。テレビでタレント業をされて話題になる医師も多いですね。

一見すると、ものすごくうらやましくなりますが、現実ではいろんな問題があるようです。

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広瀬淳(医師)の出身大学と経歴

経歴

広瀬淳医師の出身大学は、浜松医科大学。

1974年創立の国立大学で、現在の偏差値は67くらいで、一般の大学の学部と比較するとかなり高いです。

1999年の第93回医師国家試験では98.1%という全国でトップの合格率を記録しました。

出身高校は不明ですが、偏差値がどうであれ、高校時代はかなり勉強されたのではないかと思います。

卒業するのと同時に医師国家試験にも合格されたので、輝かしい自分の未来を想像されてたかもしれませんね。

現在、「ゴールドライセンス」と世間一般で言われている資格があります。

弁護士や会計士などです。

中でもダントツなのが医師免許です。

話を元にもどしますね。

その後、研修医として静岡県の遠州総合病院に派遣されます。

その後、浜松医科大に戻りますが、派遣先だった遠州総合病院に出張して診療をおこなっていました。

現在わかっている範囲での広瀬淳さんの学歴や経歴は以上のようになります。

ニュースなどの報道で話題になった当時は浜松医科大学泌尿器科助手という肩書でした。

経歴的にはこれからって時に注目されてしまったってことです。

せっかく医師になってこれからという時になぜ問題がおきてしまったのかが気になりますね。

昔からそうですが、ニュースや週刊誌等のメディアで医師の問題が報道されると、医師なのにどうして?って疑問を持つ方が多いようです。

確かに管理人も思います。

でも、医師の現実の収入は、大学進学率が低かった時代なら別ですが、みんなすべてが高収入ってわけではありません。

だから、お金が絡んだ問題で話題になる医者が結構出てくるんだと思います。

広瀬淳さんの場合もそうでした。問題が起きた当時の年齡は33歳でした。

助手でしたし、研修医をやってましたからね。

金銭的にはすごく裕福ではなかったはずです。

しかもすでに結婚して妻がいて家族は4人でしたから。

立派な理想的な医師であるというのが周囲からの評価がありました。

高い理想を掲げ、研究にも熱心な医者でした。

患者さんからの信頼ももちろんかなりありました。

そんな中で問題が起こってしまいました。

とんでもなく注目を浴びる問題なんてそうそうありません。

どうしてかというと、広瀬淳さんの場合は医師として、当時異例の問題だったからなんです。

つまり、それまでに例がなかったってことです。

問題について

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問題について概要を説明します。

広瀬淳さんは、詐欺と人を危めた容疑で逮捕されてしまったんです。

この時に被害を受けたのは腎不全の患者さんです。

嘘のの腎移植の話をを持ちかけて、現金をだまし取った後に、危めてしまったんです。

2500万円もの金額の現金です。

医師がおこなった医療行為を利用した日本初の問題だったんです。

だから、医師の問題としては異例で注目されてしまったんです。

自供によると、推理小説のファンで、「コンピュータ完全犯罪」などの小説を基にして問題が絶対にバレないようにしたとのことでした。

問題の内容にも興味があるでしょうが、一番気になるのは、動機や原因や理由についてだと思います。

エリート医師がなぜそこまでやったのかです。

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妻が原因である理由とは?

結婚

広瀬淳さんは当時助手で研修医であったことから、はっきりいって安月給でした。

そのために毎日アルバイトに追われる大変な生活をしていました。

患者さんたちには先生と呼ばれたところで、現実の生活は金銭的にもかなりきつかったんです。

体力的にもそうだったと思います。

といっても、当時の医師はみんな同じような環境で生活していました。

きついのは広瀬淳さんだけではありませんでした。

一方、当時はバブル景気の時代で日本中が浮かれた状態であり、拝金主義者が蔓延していました。

これも、問題の原因や理由の1つとも言えます。

しかし、ここで最重要なポイントとなるのが妻の存在です。すでに結婚していました。

しかも、妻は病気を患っていたんです。

経済的には他の医師と変わらないけども、違うのは妻がいることと病気。

実はここだったんです。

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動機とその後

判決

自供によると、問題の動機は、少しでも長く病気の妻のそばにいてやりたかったからということでした。

アルバイトをやめても生活に不自由しないだけのお金が欲しかったんです。

その後、裁判がおこなわれ、懲役17年(求刑は懲役20年)の判決が言い渡されました。

広瀬淳さんは自分の問題を素直にみとめ反省し、結局控訴はおこないませんでした。

そして、厚生省(現在の厚生労働省)の「医道審議会」は、医師免許の取り消しをおこないました。

解剖学者であり東京大学と筑波大学の名誉教授でもある当時の浜松医科大学の学長の中井準之介さんは、医師としてはあってはならないことで、言語道断の許すことが出来ない行為であるとのコメントを発表しました。

1989年当時33歳だったので、現在の年齡は60歳くらいになっています。

今、どこで何をされているかは不明です。

判決後にどのような人生を歩まれてきたのかも気になりますね。

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