永田洋子の生い立ちと家族!母親は?結婚と夫と子供にもフォーカス!

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こんにちは。

昭和史ってすごく面白いですね。

平成になってしまいましたが、昭和時代というのはいろんな観点から眺めると実に興味深いことがたくさんありました。

今回のテーマは連合赤軍に関するものですけど、特に連合赤軍中央委員会副委員長だった永田洋子(ながたひろこ)さんにフォーカスします。

長野県北佐久郡軽井沢町にある「あさま(浅間)山荘」の件が当時、世間を揺るがす大きな話題となりました。

ちなみに、ここは河合楽器の保養所でした。

この場所がどこなのかに興味を持つ人も多いようです。

確かにその気持ちはわかります。

余談になりますが、あさま(浅間)山荘は地図上には現在は記載は見られないとのことですが、今は使用されていないようですが、建物自体は残っているようです。

一種の観光スポットみたいになっていて、今現在の画像もネット上で見れます。

話を元に戻しますね。

あさま(浅間)山荘」の件の中心的存在であった永田洋子さんですが、2011年に亡くなられています。

満65歳でした。

亡くなられた原因は病気です。

脳腫瘍だったんです。

亡くなった場所は東京拘置所。

獄中だったんです。

そういえば、昨年2016年に元連合赤軍の植垣康博さんのニュースもありました。

金廣志さんの記事も見ました。

さて、日本赤軍というものもあり、その最高幹部だった重信房子さんについては当サイトで以前記事にしたことがあります。

重信房子(しげのぶふさこ)さんは、日本赤軍の元最高幹部だった女性。 2000年11月に日本国内で逮捕されたことが大きな話題とな...

永田洋子さんも重信房子さんも昭和史における超有名人ですから、2人の関係について興味を持っている方が多いようです。

面識があって知り合いなのか?とか、お互いに関わったことはあるのか?とか・・・。

所属していたのが連合赤軍と日本赤軍という異なる組織でしたが、「赤軍」という部分では共通していますからね。

当時の学生運動って何だったのか?

そんな疑問にも非常に興味深いところがあります。

また、悲惨とも言える末路も・・・。

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そういったことも含めて、連合赤軍に関しては映画にもなっているくらいです。

本記事では永田洋子さんという人物に焦点を当て、連合赤軍に関する具体的事実については省略させていただきます。

wikiなどをはじめ、詳しく解説してあるサイトも多いですからね。

さて、昭和という時代はもちろん人間が作っていったものです。

昭和史というものを詳しく紐解くと結局は人間同士の関係ってことになるのではないでしょうか?

ですから、管理人的には特に人間について興味があります。

そんなわけで今回は、永田洋子さんの生い立ちと家族をリサーチしてみました。

父親と母親は?

そして、結婚と夫にも迫ってみました。

さらに、出身大学と高校やプロフィールについても紹介します。

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永田洋子の生い立ち

永田洋子さんといえば、連合赤軍の元最高幹部ということで、その生い立ちに関心がある人が多いようです。

管理人もその一人なんですが・・・。

出身地は東京都本郷区元町です。

現在の東京都文京区本郷になります。

生後2ヵ月の時に横浜市港北区綱島に疎開し、小学4年生までは父親が勤務していた電機会社の寮で生活していました。

生い立ち的には平凡な一般家庭で育ったようです。

管理人的がリサーチする前に抱いていたイメージとはだいぶ違う結果となりました。

案外そんなものかもしれません。

父親と母親については後ほど説明します。

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家族と父親と母親

生い立ちについてはすでに説明しましたが、次に気になるのは家族です。

父親が勤務していたのは一流の会社。

母親は看護婦長で病院で働いていました。

永田洋子さんは長女で妹さんがおられます。

ところで、永田洋子さんが亡くなられた時の葬儀には遺族がおられなかったそうなんです。

当時、すでにご両親は亡くなられていたようですが、妹さんは生きていらっしゃたはずなんです。

連合赤軍のことがありましたから、姉妹は絶縁状態であったとしても不思議ではありませんね。

結婚と夫と子供

永田洋子さんは正式に結婚されたことはないようですね。

いわゆる「事実婚」でした。

1970年から同じ連合赤軍の坂口弘(さかぐちひろし)さんと事実婚状態となります。

ちなみに、坂口弘さんは連合赤軍のナンバー3でした。

その後、同じく連合赤軍の森恒夫(もりつねお)と事実婚の関係になりました。

この方は連合赤軍中央委員会委員長を務めていました。

森恒夫さんとの事実婚関係になってから、永田洋子さんは坂口弘さんに離婚を通告しています。

離婚通告の原因や理由については不明です。

以上が結婚に関する情報です。

法律婚(届出婚)ではなく事実婚でしたが、子供いるのか気になっている方も多いと思います。

結論から言うと、子供はいません。

もし子供さんがいたとしたら、かなり大変な人生を歩むことになったのではないかと思います。

出身大学と高校

学歴も気になるところですね。

どこの学校でどんな教育を受けてきたのかとか・・・。

成績は小学生の時から良くて、高学年ではトップクラスでした。

実際、よく勉強されていたようです。

性格は負けず嫌いだったそうですから、そんなこともこの良い成績に影響しているのかもしれません。

中学・高校時代も小学時代と同様にトップクラスの成績でした。

生い立ちのところで説明しましたが、生後間もない頃に横浜市に疎開しています。

後ほど説明しますが、生年月日をみると、終戦の半年ほど前に生まれていることからもわかります。

出身小学校は横浜市の綱島小学校です。

中学校は調布学園中学校で、現在の田園調布学園中等部となります。

高校は調布学園高等学校で同じく現在の田園調布学園高等部。

出身大学は共立薬科大学。

現在の慶應義塾大学薬学部です。

ですので、経歴に関して薬剤師というものがあるんです。

プロフィール

最後にプロフィールを紹介して終わりにしたいと思います。

名前:永田洋子(ながたひろこ)

生年月日:1945年(昭和20年)2月8日 2011年に満65歳で亡くなられています

出身地:東京都本郷区元町(現在の東京都文京区本郷)

血液型:O型

身長:150cm

出身中学:調布学園中学校(現在の田園調布学園中等部)

出身高校:調布学園高等学校(現在の田園調布学園高等部)

出身大学:共立薬科大学(現在の慶應義塾大学薬学部)

所属:京浜安保共闘⇒連合赤軍

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コメント

  1. 木暮晶子 より:

    何故、左に傾倒して、あのように残酷な人になったのか? その原因を知りたい。

    • コモトピ より:

      木暮晶子様、コメントありがとうございます!

      本当にそうですよね。

      そこの原因や理由がみなさんが非常に興味を持っているところだと思います。

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