藤本敏夫の加藤登紀子との結婚と子供について!娘が気になる!

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こんにちは。

今回紹介するのは学生運動指導者などとして有名な藤本敏夫(ふじもととしお)さん。

本記事のタイトルからわかるように妻は歌手の加藤登紀子さんです。

実は本名は藤本登紀子さんというんです。

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夫の藤本敏夫さんなんですが、本を複数出版されています。

上の「農的幸福論 藤本敏夫からの遺言」という本なんですが、 著者は藤本敏夫さんで、加藤登紀子さんが編者)という夫婦の名前が出てくるものです。

まだ他にもあります。

実は管理人はそれらの1つを持ってて何回も読んでいるんです。

「不健康長寿国ニッポン」という食に関する本です。

食生態学者の西丸震哉さんとの共著です。

上の画像はさっき部屋で撮影しました。

今回はこれらの方々にフォーカスします。

さて、寒くなってくると映画などを見たくなりますね。

宮﨑駿さんの作品をよく見ます。

映画と言ったら、ジブリ映画で育ってきた管理人としては、となりのトトロ等どの作品も好きなのですが、その中でも個人的には天空の城ラピュタ、千と千尋の神隠し、紅の豚などが特に好きですね。

特に紅の豚は声優として、時には歌ったりして加藤登紀子さんも出てきていて本当に名作だなと思います。

ちょっと脱線しすぎました。(笑)

そんなわけで今回は、藤本敏夫さんと加藤登紀子さんとの結婚と子供についてをメインに解説していきます。

娘さんは実は有名な方なんですよ。

ですので、そちらにもフォーカスしていきます。

その他に、出身大学や高校などの学歴、プロフィールも紹介します。

昔の若い頃も気になりますね!

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藤本敏夫と加藤登紀子との出会い

藤本敏夫さんは左翼団体の委員長を務めていたことがあります。

そして、加藤登紀子さんにコンサートの依頼をしたことがきっかけとなり、2人は交際をスタートしたらしいです。

これが2人の出会いです。

もともとは加藤登紀子さんご自身は歌などが政治の為に利用されるのが嫌だったようですが、男女の間の感情は二人を分断する事が出来なかったようですね!

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結婚と子供

藤本敏夫さんと加藤登紀子さんは1972年に獄中結婚されました。

加藤登紀子さんってもっと華やかな印象があったのですが、過去に獄中結婚していたなんてかなり驚きでしたね。

そして、娘さんが3人いるのですが、長女は藤本敏夫さんが刑務所にいる間に生まれていて、次女は藤本敏夫さんが刑務所から出所した翌年に生まれています。

恐らく加藤登紀子さんは、夫が刑務所に入れられてから妊娠に気付いたのでしょうが、夫がこんな大変な状況の中で子供産むのか、更に子供の将来の為を考えると結婚するかも相当悩んだことでしょうね。

娘が気になる!

すでにご紹介したように、藤本敏夫さんには三人の娘さんがいます。

長女が美亜子さんで、次女が八恵さんといいます。

長女の美亜子さんの生年月日は1972年12月7日、次女の八恵さんは1975年12月14日だそうです。

長女と次女は誕生日も近く同じ12月生まれというのも中々偶然性を感じますね!

長女はできちゃった婚(さずかり婚)だと思われます。

1980年には三女となる娘さんが生まれているようですが、情報があまり出ていなく謎につつまれています。

もしかしたら触れられたくない部分もあるのかも知れませんね。

次女の八恵さんは母親の加藤登紀子さんと同じく歌手をしていて、その名前がYae(やえ)さんです。

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ここで少し娘のYaeさんについてお話したいと思います。

Yaeさんはあの加藤登紀子さんのDNAを引き継いだシンガーソングライターです。

歌詞付きの「別れの曲」なども話題になりました。

現在は、「鴨川自然王国」の活動に参加するなど、半農半歌手として活動されているそうです。

そして、Yaeさんは2005年に結婚されたそうですよ。

相手は、大豆畑の研修生だったようで名前は、ミツヨさんというらしいです。

今現在は子供までいるそうです。

加藤登紀子さんのDNAも着々と引き継がれているのでしょうね。

出身大学と高校

藤本敏夫さんの出身高校は、兵庫県立鳴尾高等学校です。

偏差値は56 – 58くらいの高校。

大学は、将来新聞記者や政治へのあこがれが強かったのでしょうか?

正確には出身大学とは言えませんが、同志社大学文学部新聞学科に入学し、後に中退してしまっています。

有名大学に入学しての中退はかなりもったいない気がしますね。

学生運動に関わらなければ中退する事も無かったでしょうからかなり勿体ない話だと思います。

プロフィール

藤本敏夫さんは加藤登紀子さんと結婚したわけですが、まず妻である加藤登紀子さんのプロフィールを少し紹介したいと思います。

加藤登紀子さんの出身大学は東京大学です。

出身高校は東京都立駒場高校なので、相当頭が良かったかと思われます。

生年月日は1943年12月27日で、出身地は満州のハルビンなんです。

今現在の年齢は73歳となります。

しかし、年齢を感じさせないパワフルさにはいつも感心させられます。

また、ミュージシャンとして、次々とヒット作も連発しています。

知床旅情や百万本のバラも有名ですね。

特に百万本のバラは他のアーティストにもカバーされる程名曲で、カラオケの定番でもあります。

そしてジブリファンにはたまらないあの紅の豚で、ジーナ役をやっていました。

豚もかっこよかったですが、それを引き立てたのがジーナで、ジーナの歌も本当にお洒落でかっこよかったです。

存在感でいくと主役を食っていたくらいでしたから!

また加藤登紀子さんの出した難破船はのちに中森明菜さんがカバーで歌うのでしたが、中森明菜さんに楽曲提供した曲かと思っていましたが実際はカバーとして歌っている訳で驚きでした。

中森明菜さんがまるで自分の歌であるかのように歌いこなし流石プロだなと思いました。

また、今までの中森明菜さんの世界観を変えた位の名曲でした。

さて、そんな加藤登紀子さんと結婚した藤本敏夫さんはいったいどんな人物だったのでしょうか?

今度は、藤本敏夫さんについてプロフィールを解説したいと思います。

藤本敏夫さんの出身地は、兵庫県西宮市甲子園。

生年月日は1944年1月23日で、藤本敏夫さんは昔の若い頃は同志社大学の学生で学生運動をしていたそうです。

その後いくつかの学生運動を起こす訳ですが、最終的には刑務所に入れられてしまうのです。

その時に加藤登紀子さんと獄中結婚したわけなんです。

出所したあとは家族と過ごし幸せな日々を過ごす訳ですが、食と農をテーマにした活動を始め、鴨川市に鴨川自然王国を1981年に設立しました。

当時は鴨川に妻と娘を呼ぶ計画もあったのですが、子供達の生活の事もあり娘と妻は東京、夫は鴨川というように、離れ離れに暮らすのです。

しかし、この環境によってより一層家族の絆は強くなったのではないでしょうか?

しかし、そんな幸せの中、突然不幸が訪れてしまします。

肝臓ガンの為、2002年に58歳で藤本敏夫さんが短い生涯を終えてしまいます。

藤本敏夫さんはもっと家族と一緒にいたかったでしょうし、鴨川自然王国で色々とやりたいこともあったでしょうね。

今は、娘のYaeさんも加藤登紀子さんもライブを行っているようですし、それを天国の藤本敏夫さんも温かく見守っていることでしょう。

若い頃の藤本敏夫さんは学生活動がきっかけで大変な思いをされ、晩年は闘病生活に苦しむといった状況になりましたが、理解のある妻と娘に囲まれていましたから、幸せな人生だったともいえると思います。

今回は、藤本敏夫さんについてお話をしました。

藤本敏夫さんの分まで加藤登紀子さんと娘さんたちは頑張ってほしいと願う管理人であります。

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