松島トモ子の現在と若い頃は?ライオンと結婚と母の今も気になる!

ライオンとヒョウひと
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今回は松島トモ子(まつしまともこ)さんに注目!

職業は、歌手、女優、タレント。

若い頃から現在まで、歌手としてだけではなく、映画、テレビドラマ、ラジオ、バラエティ、CM等で活躍されてきました。

また、本も出版されています。

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というわけで、今回は、松島トモ子さんの現在と若い頃、ライオン事件(実はヒョウも)、結婚、母親の今に関することをメインに解説します。

その他に、父親、本、年齡などのプロフィールも紹介!

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松島トモ子の現在は?

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松島トモ子さんは、テレビの徹子の部屋や爆報!THEフライデーに出演されたり、毎年コンサートを開催されたてきたりと現在もあいかわらず活躍されています。

これまでテレビ・舞台・講演などで幅広く活動されてきました。

といっても、昔の若い頃ほどはテレビでは見かけることがありませんが。

昨年2018年もそうでしたが、今年2019年も松島トモ子さんに関するニュースをいくつか読みました。

2019年もニュースになったり、テレビに出演されたりしていますが、ここ数年の松島トモ子さんは大変な状況にあるようです。

のちほど詳しく解説しますが、母親の介護に関することです。

母親が認知症ということで、その介護のストレスで松島トモ子さんご自身も過呼吸で病院に運ばれたりとかあったそうです。

ご自身がインタビューで語られていますが、パニック障害と診断されたそうなんです。

それが原因で、過去には仕事を1年ほど休まざるを得ないことにもなったりしたようです。

現在も介護中で、2019年2月のニュースでは在宅介護4年目に入ったとのこと。

でも、今も元気にしていらっしゃるとわかれば、気になっていた人には嬉しいことと思います。

ニュースに出たり、テレビに出演されたりしてますからね。

ここで、松島トモ子さんのプロフィールを紹介しておきます。

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松島トモ子のプロフィール

プロフィール

芸名:松島トモ子(まつしまともこ)

本名:松島奉子(ともこ)

生年月日:1945年7月10日 今現在の年齡は73歳

出身地:満州国奉天

出身小学校:目黒区立東根小学校

出身高校:大東学園高等学校

生まれてまもなく満州国から引き揚げてきます。

本名の「奉子」という名前の由来は、出身地の満州国奉天です。

3歳の時にバレエを始めます。

映画デビューは4歳の頃です。これが芸能界デビューでもあります。東横映画「獅子の罠」に出演しました。

この後は、名子役として活躍しました。

1964年には、ニューヨークのザ・マスター・スクールに留学されています。

そのことを書いた留学日記の「ニューヨークひとりぼっち」がベストセラーになりました。

かなり昔の本です。

ニューヨークひとりぼっち;ミュージュカル留学記 (1965年) [古書] 松島 トモ子【楽天】

松島トモ子さんの父親は、三井物産のタイのハジャイ出張所所長をされていた高橋健さんです。

いわゆる、商社マンって方でした。

シベリアで亡くなられています。

母親については記事の最後のほうで紹介します。

松島トモ子さんにはとても苦手な方がいます。

それが永六輔さんです。

10代の頃の子役スターだった時代に、舞台監督をしてもらったりとか、いろいろ縁があり、また世話にもなっていたからだと思います。

一生頭が上がらない存在だそうです。

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松島トモ子の若い頃について

若い頃

昔の若い頃の画像を見ればわかりますが、松島トモ子さんはすごくかわいかったです。

目が大きくてですね。

そういえば、みのもんたさんがインタビューで、憧れの女性芸能人は松島トモ子さんっ言ってました。

その頃はまだ、”アイドル”なんて言葉はありませんでした。

しかし、若い頃の松島トモ子さんはアイドル的な存在だったんです。

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松島トモ子のライオン事件(ヒョウも解説)

ライオン

松島トモ子さんは、ライオンとヒョウに立て続けに襲われてしまいました。

実は、ライオンだけではなかったんです。

1986年のケニアでのテレビ収録中の時でした。

ライオンには頭と太股を噛まれ、ヒョウは高さが約5メートルくらいの柵を跳び越えてから飛びかかりました

そして、首に噛みつきました。

それで、頚椎を粉砕骨折。

ライオンの時は、動物の扱いに慣れた同行者の人がちょっと目を離した隙の出来事でした。

ヒョウの時は、その飼い主と松島トモ子さんが親しげに話をしていたのに嫉妬して怒ってしまったというのが原因らしいです。

噛まれた位置があと1mmでもずれていたら、生命が危なかったというくらい大変ものでした。

また、下半身不随などの後遺症も残らず奇跡的でした。

この松島トモ子さんの症例はニューヨークの学会でも発表されました。

ヒョウ

ヒョウって嫉妬するのを初めて知った管理人です。(笑)

以上のように、ライオンとヒョウに連続でおそわれた松島トモ子さんは、生死の境をさまよいました。

帰国した時には、首にコルセットをはめていました。

そして、言った内容が畑正憲さんレベルでした。

「それでも動物が好き!」と笑顔で言ってました。

確かに、動物には罪はないのかもしれません。

しかし、こわいですよね~!

ついでに紹介しておきますね。

ライオンに噛まれた人は、松島トモ子さんだけでなくまだいるんです。

それが、ムツゴロウこと畑正憲さん。

畑さんの場合は、単に咬まれただけでなく、中指を食いちぎられています。

ただし、第一関節より先の部分で、指ごと全部ってわけではありません。

しかも、肉だけで、骨が露出していたとのこと。

結局は病院でその骨を切除してもらったそうです。

これって収録中の出来事なんですが、終わってからライオンに、許すからこっちに来いよって言ったら、絶対に来なかったんだそうです。

それを畑正憲さんは、ライオンが自分が悪いと思っているからだと説明しています。

管理人にはどうしてもそう思えないんですが・・・。(笑)

東大

ちなみに、学歴は東大の理学部動物学科から東大大学院理学系研究科に進まれて、動物の研究をされていたという経歴があります。

動物が専門だったんです。

ただし、大学院ではアメーバの生理学的研究でした。

非常に優秀な方であるのは間違いないです。

テレビで見てると、ちょっと変わった人に思えますが、学歴などを知らない人が多いのかもしれません。

「よーし、よしよし。」なんていいながら、どんな動物にでもスキンシップをはかってますもんね。

だから、ガブッと噛まれたりすることがあります。(笑)

松島トモ子さんにせよ、畑さんにせよ、このようにすごく貴重な体験をされてます。

うらやましいな~。

いやいや、そんなことはイヤイヤです。

っていうか、誰でも嫌ですよね?(笑)

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松島トモ子の結婚は?

見合い

松島トモ子さんの結婚に関する情報はあるにはありました。

そういった譲歩からすると、これまで一度も結婚されていないのだと思われます。

そうなると、夫や子供はいないことになります。

生涯独身でいくってことになるのかもしれませんね。

昔、若い頃はアイドル的存在でしたから、今までに彼氏は何人かいたかしれません。

松島トモ子さんは、実はお見合いしたことがあるんです。

ジャーナリストのばばこういちさんを送る会での驚きの発言でした。

ばばこういちさんはすでに亡くなられています。

2010年のことです。

結婚したい気持ちはあったんでしょうね。

見合いの時期は、ばばさんの2回目の離婚があって1人の頃だそうです。

二度目の離婚の時期がわかれば、松島トモ子さんが何歳くらいのことなのかがわかるのですが、結局情報がなかったです。

ところで、松島トモ子さんが、黒柳徹子さんにこういったことがあります。

「あなたは、どうして結婚しなかったのですか?、って言われるでしょう。私はどうして結婚しないのですか?、って言われるわ」

これは、松島トモ子さんの「芸能生活50周年」のパーティーでの出来事です。

2000年だから、55歳くらいの頃の話です。

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松島トモ子の母は今どうしてる?

シベリア

松島トモ子さんの母親は、結婚してわずか半年で夫を亡くしました。

戦争未亡人になってしまったんです。

松島トモ子さんが3歳でデビューした頃から今現在まで母親がマネージャーをされてきました。

志奈枝さんといいます。

現在もお元気ではあるようです。

しかし、すでに説明しましたが、母親の今の年齡は98歳で認知症。

もっと詳しく言うと、レビー小体型認知症。

それで、娘である松島トモ子さんが介護中なんです。

一時期は地獄のような大変な日々をおくられてきたそうです。

母に認知症の症状が表れたのは2016年の春のこと。

介護による大変なストレスで、松島トモ子さんはパニック障害と診断されるまでになりました。

介護と自分の病気が重なってしまい、精神的にもつらい状況になりました。

そういったことが原因で仕事も休まざるを得なく状況になったこともあります。

認知症になって今も介護されている母は91歳くらいまでは車の運転もされていました。

もともと信じられない程の元気な方みたいです。

当時は、外出時にはスーツとハイヒール。

また、つけまつげにも興味を持ってて、娘である松島トモ子さんのものを借りたりされていたことも。

松島トモ子さんの付き人として長年働かれてきたお母さんですが、昔、旦那さんが亡くなられた場所に近いところでロケがありました。

その時に、ディレクターがなぜ再婚しなかったのかという理由を聞きました。

それに対して、松島トモ子さんの母親は、「必ず帰ってくるから」と旦那さんに言われ、それはたったひとつの約束だったから、待っていてあげようと思ったから、と答えました。

旦那さんは、妻の志奈枝さんと子供の松島トモ子さんのことを想いながら、シベリアで亡くなったんでしょうね。

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