大野雄次の今現在!妻と息子は?お店も紹介!

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こんにちは。

野球が大好きな管理人です。

今回注目したのは1990年代に巨人とヤクルトで活躍された代打の切り札であった大野雄次(おおのゆうじ)さん。

野村監督に見放されてからの人生が大きく変化した方です。

世の中には様々な仕事がありますが、野球などスポーツ選手は特に華があり、いつの時代も子供たちの憧れの的ですよね。

しかし、どのスポーツのプロ選手達も同じと思いますが、プロのスポーツ選手になるのが難しいのはもちろんのこと、努力してプロスポーツ選手になれた後も、第一線で活躍し続けることはとても難しいことだと思います。

どんなに才能があろうとも、ケガをしてしまっては思うようなプレーをすることはできませんし、監督の作りたいチーム構想の中に入れなければ、出場機会もなくなります。

そのような厳しいプロの世界では、体力の限界までプレーして引退される方よりも、ケガや戦力外通告によって、第二の人生を歩まれる方の方が何十倍も多いと思います。

今回の記事では、その厳しいプロ野球の世界で11年間に渡って活躍され、現在は野球とは全く異なった業種で活躍されている、大野雄次さんについて書いていこうと思います。

そんなわけで今回は、大野雄次さんの今現在、結婚と妻と息子、そしてお店をメインに解説していきます。

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大野雄次の今現在

大野雄次さんの現在の職業は、野球関係のお仕事と思いきや、とある駅前で小料理屋の店主さんをされています。

現役を引退された後、一時期は野球解説者のお仕事もされていたようですが、現在は主に料理屋のお仕事をされているようです。

引退後にサラリーマンになる方が多いのかと思っていましたが、飲食店を経営されるかたもいらっしゃるのですね。

畑違いなので最初はとても苦労されたのではないでしょうか。

2013年からは富山県のクラブチーム・ロキテクノベースボールクラブという社会人野球チームの監督に就任したり、野球教室や講演会なども行われています。

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妻と息子について

大野雄次さんのプライベートの話ですが、実は入団時には既に結婚されていて、妻も子供さんもいらっしゃったみたいですね。

ですので、ついたあだ名が「子連れルーキー」だったとのこと。

子供は息子さんがお二人いらっしゃるようで、長男さんのほうは、横浜隼人~東海大を経て横浜隼人のコーチに、次男さんの方は2009年の夏に横浜隼人の4番として甲子園に出場されています。

妻については、大野さんのお店で接客を担当されているみたいです。

お店の名前と場所はどこ?

気になるお店の名前と場所ですが、JR田町駅前の鰻・牛タンの小料理屋「大乃」というお店を経営されています。

ちなみにお店の住所は

:東京都港区芝5‐33‐1森永プラザビルB1F

JR山手線・京浜東北線 田町駅西口(三田口)徒歩1分

都営三田線 三田駅より徒歩5分

三田駅から53m

となっています。

牛タン・鰻・海鮮料理・魚介料理などが楽しめる居酒屋風のお店で、価格帯も普通の大衆居酒屋と同じぐらいなので、サラリーマンやOLに人気みたいです。

当然のことながら、話を聞きつけた野球ファンが来店することも多く、記念撮影にも応じてくれるみたいです。

プロ野球選手時代を知るファンにはたまらないお店ですね。

是非お店にもアクセスしてみてくださいね。

出身高校と大学

大野雄次さんの学歴も気になりますよね。

出身高校は千葉県の君津商業高校。

甲子園には出場されていないようですが、高校通算本塁打は48本ということです。

出身大学は専修大学ですが、1年の夏に肩を壊して3カ月入院され、その後中退されています。

プロフィール

大野雄次さんは、1961年2月2日生まれなので、2017年現在は56歳になられます。

千葉県のご出身で、野球は小学校2年生のころ始められ、中学時代は捕手だったようです。

君津商業高校から専修大学を中退後、社会人の川崎製鉄千葉に入社。

入社後は中々芽が出ず、84年にチームとして都市対抗野球に進出しましたが、控え捕手だった大野さんに出場の機会はありませんでした。

85年に内野手に転向すると個人の成績も急上昇、翌年には打率.419、本塁打14本、打点32と大活躍して、86年のドラフト会議で大洋ホエールズから4位指名を受け入団されました。

先程も少し触れましたが、入団時にすでに25歳であり、生後3カ月のお子さんもいらっしゃったので、「子連れルーキー」として注目されたようです。

大洋ホエールズ時代は、勝負強い打撃で主に代打の切り札として活躍されています。

1991年12月に読売ジャイアンツに移籍。

ジャイアンツでは思うような活躍が出来ず、1993年に自由契約となり、その後、西武への入団が内定していましたが、日本シリーズに解説として球場を訪れていたヤクルトスワローズの野村克也監督が、巨人の藤田監督に大野選手の去就を訪ねられ、大野選手本人に確認したところ、「出来れば知っているセ・リーグで」とのことでしたので、ヤクルトのテストを受けて入団することになりました。

ヤクルト時代にも、大洋ホエールズのとき同様、代打の切り札として起用されることが多く、96年には4月と8月に代打逆転満塁本塁打を記録。

1シーズン2回の代打逆転満塁本塁打は、当時の日本記録でした。

98年に現役を引退され、引退後は野球解説者としても活動されましたが、現在は先に述べた、小料理屋「大乃」の店主として活躍されています。

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