胡耀邦元総書記の妻と息子は?親日政策や中曽根康弘との関係も解説!

2019年6月9日

今回フォーカスするのは初代中国共産党中央委員会総書記だった胡耀邦元総書記

胡耀邦さんの名前の読み方は「こようほう」です。

天安門事件という世界が注目した歴史的出来事は、胡耀邦元総書記が亡くなられた日に始まりました。

胡耀邦元総書記を慕っていた学生達が追悼という目的のために次々へと天安門広場に集合。

天安門広場での追悼大会には20万人もの学生が集まったといいます。

事件後、江沢民(こう たくみん)さんが総書記になりました。

今回は、胡耀邦元総書記の妻と息子、親日政策、そして中曽根康弘元首相や歌手ですでに引退されている山口百恵さんとの関係について解説していきます。
【スポンサー リンク】

胡耀邦元総書記の妻と息子について

「百花斉放・百家争鳴」を推進し民衆の声に耳を傾けるなど政治改革をされていた胡耀邦元総書記ですが、そんな家族について記載したいと思います。

胡耀邦元総書記を支えた妻の李昭さんは、多くの改革派指導者と交流がありました。

2017年3月11日に北京市内で病気のため他界しました。

95歳でした。

地方から駆け付けた人も多かったようで参列者の数を4000人以上と推定されています。

涙を流していた人も少なくなかったようです。

それだけ胡耀邦元総書記の影響は強かったんですね。

胡耀邦元総書記の息子は、胡徳平さんと胡徳華さんとHu Liuさんといいます。

子供さんは息子さんの他に娘さんもいます。

名前は李恒さんといいます。

【スポンサー リンク】

胡耀邦元総書記の親日政策とは?

胡耀邦元総書記は、チベットの緩和政策も当然保守派からの攻撃対象となったようです。

一方で、政治改革に積極的で親日家としても知られていたようで、歴代中国指導者の中でも特にそう言われていてたのですが、結局、それらが保守派からの批判の理由になったようです。

その親日家としての背景は胡耀邦元総書記の性格にあると言われています。

少なくとも日本人の「情」というものを理解でき、物事を公正な目で判断できる人だったようです。

中曽根内閣当時の胡耀邦主席は、かなり親日融和政策を推進していたようです。

しかし、他の指導者からの物凄い勢いの批判の渦にさらされることになりました。

胡耀邦元総書記は親日政策的な外交を展開した事が引き金でその地位を追われることになったようです。

【スポンサー リンク】

胡耀邦元総書記と中曽根康弘や山口百恵との関係

【楽天】

胡耀邦元総書記は、日本人である中曽根総理と個人的な友人関係を結んでいたようで親しかったようです。

1985年に中曽根首相が靖国神社に公式参拝した事が原因で、交流のあった胡耀邦主席は、集中非難を浴びてしまい、その翌年には中曽根総理は胡耀邦主席を応援するため、靖国参拝を取りやめた位です。

その理由を靖国参拝によって親日派である胡耀邦主席が共産党内で批判され、最悪、辞めさせられてしまう可能性があったからだと言っています。

中曽根康弘さんは、国益よりもむしろ友情を先行したなんて話もあります。

さて、話は変わりまして、日本という国は資源が無い分、物を作って世界に売って経済を発展させてきました。

アニメやマンガ、ゲームそしてアイドルなども世界をマーケットにすることができます。

今は日本のアイドルなども世界に進出してマンガやオタクが世界中で大ブームになっています。

何故だか日本で昔、流行ったマンガやドラマが世界で再放送され、今の日本人以上に詳しかったりします。

そして、当時は中国では、高倉健さんや山口百恵さんなどは、大人気だったようで、扱いはアイドルそのものでした。

ところで山口百恵さんはご存知でしょうか?

夫は俳優の三浦友和さんです。

「秋桜」や「いい日旅立ち」、「さよならの向う側」などの多くの名曲も残しています。

そんな山口百恵さんは80年代に引退しましたが、家庭に入り主婦でいたいという事が理由だったようですが、世間からは今でも復帰コールが根強いです。

そんな山口百恵さんに実は、彼女が引退した4年後の1984年に、中国政府が国家をあげて復帰工作というのを行おうとしていたなんて話があります。

中国でも日本と同様にものすごい人気を誇った山口百恵さんですが、その話が真実ならば、彼女を日中友好のシンボルに利用しようと画策した計画って一体どんなものだったのでしょうね。

当時の中国の最高指導者であった胡耀邦総書記と山口百恵さんの会見を実現させて、山口百恵さんを天安門に立たせようと・・・。

そして彼女に「こんにちは。私が山口百恵です」と挨拶させようとした計画の話も。

真実かどうかは不明ですが、この山口百恵さんに対する工作というのは、実は胡耀邦総書記の側近だった人物や日本の中国大使館が、山口百恵さん本人やその周辺の人を通じて、正式に打診され、中国政府の文化部というセクションからも正式な招待状が発行されていたといいます。

もちろん山口百恵さんの中国招請は実現していません。

山口百恵さんを中国に呼び、天安門で山口百恵さんが中国の国民に挨拶をするということの政治的意味ってどういうことなんでしょうか?

実は、改革開放をすすめる胡耀邦元総書記が日本との関係を強化する為、中国国内における親日派的世論を作ってゆくのが目的だったようで、山口百恵さんは天安門広場に立つ必要があったのだと。

真偽は別にして、政治的観点からすると非常に興味深い話ではありますね。

胡耀邦元総書記のプロフィール

最後に、プロフィールや簡単な経歴を紹介して本記事を終わりにしたいと思います。

胡耀邦元総書記はすでにお亡くなりになられていますが、生年月日は1915年11月20日生まれで湖南省瀏陽市出身です。

出身大学は中国人民抗日軍事政治大学を卒業されています。

1933年に中国共産党に入党し、1987年総書記を辞任。

1989年4月に会議中に心臓発作で倒れ、73歳で他界しました。

記事冒頭でも少し説明しましたが、胡耀邦元総書記を悼んだ学生らの追悼運動が起こり、それが引き金で(六四)天安門事件というかの有名な民主化要求運動に発展しました。

天安門事件から今年2019年で30年もの月日が流れました。

中国で親日派だったと言われる胡耀邦元総書記。

今後の日本と中国との関係も気になるところですよね。

【スポンサー リンク】
関連コンテンツ

ひと

Posted by コモトピ