東山彰良の結婚は?妻と子供が気になる!出身大学と高校も解説!

台湾 ひと
この記事は約6分で読めます。
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

こんにちは。

熊本市在住の管理人です。

せっかくの3連休だというのに大きな台風18号が日本列島に接近してきてますね。

何事もなく過ぎ去ってくれることを願うばかりです。

こんな日は家でゆっくりと、溜め撮りしておいたドラマをみたり、気になっていた本を読んだりして過ごしたいですね。

【楽天】

今回は時間がとれたらぜひ読んでみたいと思っていた作家の一人で、2015年に「流」で第153回直木賞を受賞された東山彰良(ひがしやまあきら)さんにフォーカスします。

そんなわけで、東山彰良さんの結婚と妻と子供、出身大学と高校等の学歴をメインに解説していきます。

その他に、経歴やプロフィールも紹介します。

スポンサーリンク

東山彰良の本名と直木賞について

東山彰良さんは、1968年に中国人の両親のもと、台湾で生まれました。

なので「東山彰良」という名前はペンネームで、本名は王震緒といいます。

本名の方は読み方が難しくてよくわからないです。(笑)

ちなみにペンネームの「東山」は、祖父の出身地が中国山東省であり、それをひっくり返して東山、「彰良」は父親が暮らした地であり、母親の出身地でもある台湾の彰化に由来するそうです。

では、なぜ本名ではなくペンネームで活動しているのかの理由については、最初に書こうとしていた小説がハリウッド映画のようなエンターテインメント作品だったようで、本名の王震緒で書いたら歴史的な重い作品を書いている人だと思われそうだったからなんだとか。

なるほどな~、そこまで考えているんだと感心した管理人であります。

やはり、イメージというものはありますからね。

2015年に直木賞を受賞された作品「流」については、以前より作家になったら家族の話を書きたいと思われていたそうで、それが実現した形となったのでしょう。

ところで、直木賞とはどういった賞なのでしょうか?

名前だけは知ってるけど、内容についてはよくわからないって方が結構多いようです。

直木賞は、文藝春秋社社長の菊池寛さんが友人の直木三十五(なおきさんじゅうごしょう)さんを記念して1935年に芥川龍之介賞(芥川賞)と同時に創設しました。

正式名称は直木三十五賞です。

直木賞は主に大衆小説、芥川賞は純文学作品という違いがあります。

当初は芥川賞と同じく無名・新人作家に対する賞だったみたいですが、現在はキャリアは関係なくベテランが受賞することも多くなってきました。

選考は年2回あり、受賞者には正賞として懐中時計、副賞として100万円が贈呈されます。

これは複数受賞者がいる場合でもそれぞれに賞品と100万円が贈呈されるそうです。

スポンサーリンク

結婚と妻と子供

東山彰良さんのご結婚は大学院修士課程2年目の1995年のようです。

子供さんは2人いらっしゃるようで、2人とも息子さんです。

娘さんはいらっしゃらないようです。

1995年~1996年に第1子となる長男を授かり、2000年9月には第2子となる次男さんを授かっていらっしゃいます。

スポンサーリンク

出身大学と高校について

東山彰良さんは直木賞の受賞作家ということで、学歴が気になる方も多いと思います。

出身高校は福岡県にある西南学院高等学校で、出身大学は西南学院大学経済学部経済学科を卒業されています。

ちなみに、中学も西南学院中学校です。

ずっと西南学院ですね・・・。

大学卒業後に1年間東京で会社員として働いていますが、会社を退社後の4月から西南学院大学大学院経済学研究科修士課程に進み、修了後は吉林大学経済管理学院博士課程に進まれています。

しかし、博士課程については中退されています。

スポンサーリンク

プロフィール

ここでプロフィールを紹介しておきます。

東山彰良さんの出身地は台湾の台北市。

そして、福岡県小郡市在住です。。

すでに少し触れましたが、1968年に中国人の両親のもと台湾で生まれました。

生年月日は1968年9月11日で、今現在の年齢は48歳。

生い立ちなどを調べてみると、5歳まで台北市で過ごした後、広島の大学院で修学していた両親に引き取られ広島に移住します。

その時に日本語に染まってしまい中国語を忘れています。

さすが子供ですね。

しかし、そのことを知った祖母が激怒し、厳しく中国語の勉強をさせられたそうです。

子供の語学、特に英語については子供さんがいる両親はどこも熱心ですよね。

余談になりますけど、幼い頃から英語ばかり教えるのも考えものではないかと思います。

実際、日本語が中途半端にしか身につかなかったなんて例もあるようです。

日本人なのにですよ。

英語も日本語もどちらも中途半端。

そういえば、津田塾大学創始者の津田梅子さんなんて小さい頃から留学して日本に戻ってきてからは通訳を間にいれなければいけないほど日本語がだめになってたなんてエピソードを何かの本で読んだことがあります。

話を元に戻しますね。

台湾の台北の南門小学校に入学するも、9歳で日本に戻り福岡で育っています。

小さい頃は本を読むことよりも、外で遊ぶ方が好きで、特に野球にはまり「ドカベン」などの漫画ばかり読まれていたみたいです。

作家さんになる人は、子供の頃からよく小説を読まれているイメージがありましたので、このエピソードは意外でした。

といっても、本来、子供ってそんなものですよね。

幼い頃から本ばっかり読んでいるのも考えものです。

もちろん、好きな子にはどんどん好きなように本を読ませるのがいいのはいうまでもありません。

子供の頃に苦労したこともあります。

それが日本と台湾の文化の違いであるということを東山彰良さんご自身が言われています。

普段日本で生活していても、名前は中国名なので周りと違いますし、台湾に帰った時も物の考え方や物腰が日本式になっていて、当然周りの子供と違う。

どちらにいても輪の中に溶け込める性格ではあったみたいですが、どこかしらしっくりこない感じは常にあったと話されています。

そうでしょうね。

日本には帰化せずに中華民国台湾の国籍を保持されていますが、国に対する帰属意識はあまりなく、自分を台湾人だと思うか、中国人だと思うか、日本人だと思うか聞かれ、どれかひとつを選べといわれると困ってしまうそうです。

これは非常に難しいことだと思います。

中学・高校時代は映画と音楽にはまっていて、特にやりたいこともなかったようです。

そのため、大学も文学部にいこうと思っていたところ、父親の助言で経済学部に入学されています。

そのような志望動機で修士課程まで修了するところがすごいですよね。

大学時代はオートバイと女の子にかまけていたと本人がおっしゃっています。(笑)

まだこの頃はどこにでもいる大学生ですね。

大学卒業後は東京のANAの子会社で1年間勤務。

選んだ理由はかっこよさそうだったから・・・。(笑)

しかし、ゆくゆくは大学で働こうと西南学院大学大学院経済学研究科修士課程に進学され、吉林大学経済管理学院博士課程は中退ではありますが、会社を退社してまでやるといったその行動力は、すごいとしか言いようがありません。

経歴についても簡単に紹介しておきますね。

主な受賞歴は以下の通りです。

2002年:「ダート・オン・ザ・ラン」で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞及びド読者賞を受賞。

2009年:「路傍」で第11回大藪春彦賞を受賞。

2014年:「ブラックライダー」で第67回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)候補。

2015年:「流」で第153回直木三十五賞を受賞。

2016年:「罪の終わり」で第11回中央公論文芸賞を受賞。

経歴は以上のようになります。

今後のさらなる活躍と新作に期待している管理人であります。

ひと
スポンサーリンク
シェアする
コモトピをフォローする
関連コンテンツ

コメント