こんにちは。
今回フォーカスしたのは吉野邦昭(よしのくにあき)さん。
この記事のタイトルからわかるように記憶術インストラクターです。
特に試験特化型の暗記術。
勉強関係で特に覚えることに苦労したり悩みを持っている方には非常に興味深い方だと思います。
まだwikiはありません。
記憶術に関する著書もあります。
「イラスト記憶法で脳に刷り込む英単語1880」という本です。
ま~、参考書ですね。
ところで、台風22号が温帯性低気圧に変わり天候は晴れになったのですが、本日は突風がすごかったです。
こんな時に洗濯物を干していたら風で吹っ飛んじゃいますね!
さて、あなたは受験勉強で苦労したことはありますか?
私は何を隠そうあります。
暗記モノの中でも数字を使った記憶はかなり不得意で、なかなか苦労した覚えがあります。
当時から勉強法のノウハウの本が好きで色々な勉強法を試したことはありましたが、なかなか教材に書いてある通りにはいかなかったことを思い出します。
そんな時に優れたメンターがいればもっと望んでいた人生になれたのに!と思う今日この頃です。(笑)
w今回は記憶術インストラクターの吉野邦昭さんについてその評判はいかなるものか記事を書こうと思います。
吉野邦昭(記憶術インストラクター)の評判
記憶術インストラクターなんて肩書きを聞くと、まず気になるのが評判や口コミですね。
試験特化型記憶術インストラクターとして紹介されていることもあります。
受験生には「試験特化型」って言葉って惹きつけられそうですね。(笑)
管理人のわたしも記憶術の本をこれまで何冊か購入したことがあるんですが、全部途中であきらめてしまいました。(笑)
昔は通信講座もあったような気がします。
もしかしたら今もあるのかもしれませんけど。
実際に探してみたらかなりいろんな教材がありました。
そんな記憶術の指導者の一人が吉野邦昭さんです。
テレビに出演されたりもしており、そこでは記憶術インストラクターとして紹介されています。
今までに9歳の子供さんから80歳のご老人にまで幅広い年齢層の方々5,000人以上の人に記憶術を教えてきた実績があります。
しかも、たった二日間で全員マスターしたそうで、そのおかげで自分に自信が持てるようになったとか夢が持てるようになったとか嬉しい声がたくさんあります。
以上のように評判や口コミは上々のようです。
確かに、覚えることで苦労したとか今現在苦労しているという人はかなり多いはずです。
特に勉強系ですよね。
しっかり覚えようとすればするほど頭に入らないなんて悪循環に陥った人はかなりいると思います。
管理人もかつてそんな経験があります。(笑)
受験勉強や資格試験などの各種試験って結局のところ、合格するためにおこなわなければいけないメインの作業は記憶することですから。
それをそれほど苦労せずに今までよりもずっと楽になれるようにしてもらえたなら評判もよくなるはずです。
今回、吉野邦昭さんの記憶術についてリサーチしているうちにだんだんと自分もやってみようかなと思ってしまった管理人です。
英単語なんかを覚えるのに実に大変な時間と労力を割いている受験生の方は多いと思います。
通常の勉強と並行しつつ記憶術を使って勉強するのもいいかもしれませんね。
中学受験、高校受験、センター試験、大学受験など一度マスターしたら幅広くいろんなことに応用もできると思います。
出身大学と高校
吉野邦昭さんは記憶術のインストラクターですから、それですべての試験をクリアしてきたのかもしれません。
そこで気になったことの1つが学歴です。
出身高校は京都教育大学附属高等学校です。
もともと工作が趣味という事もあり理系志望だったようです。
この後に説明する大学や大学院からしても、恐らく高校でも理系のコースで勉強されていたんでしょうね。
ところで、高校時代にある有名な塾に通われていたようです。
周りは関西の超進学校の人ばかりだったとか。
そして、浪人をして通った予備校で聞いた学習法で勉強するものの、何とか滑り止めで工学部の大学に入ったという事です。
その大学、つまり出身大学が大阪府立大学工学部船舶工学科です。
ちなみに、工学系は偏差値60位だそうです。
そして、大学卒業後は大学院に進学されています。
1990年、25歳の時に大阪府立大学大学院工学研究科博士前期課程(機械系工学)を修了したそうで、最終学歴は大学院ということになります。
工学修士です。
やはり高学歴ですね。
経歴
吉野邦昭さんの学歴もそうですが、学校を出た後の経歴も気になるところです。
大学院を修了後に現在のパナソニックに入社します。
当時は松下電器産業です。
ちょうどバブル期あたりに入社したのでしょうし、パナソニックがかなり元気な頃ですね。
そして、吉野邦昭さんはパナソニックの本社や製造部門や設計部門などでエンジニアを担当していたり、営業部門に配属されたかと思えば、海外工場支援など様々な部署でキャリアを積みます。
会社員時代も記憶術を駆使していたのかも知りたいところです。
当時のパナソニック時代のエピソードとして隣の上司に出張に行っても良いかという事をメールで質問する位口下手だったようです。
そして2004年彼が恐らく39歳くらいの時に退職して独立します。
年齢的にはおそらく最後のチャンスというくらいの強い気持ちだったのではないでしょうか?
しかし、独立した当初は、営業系のセミナーばかり行っていて小さな家を買える位、投資をしていたらしいです。
しかし、ことごとく失敗に終わったようです。
そしてある時に講師に自分は向いているという事に気付き、シフトチェンジしていったそうです。
そして現在は記憶術インストラクターとして活躍をして現在は、EIM academyの代表を務めています。
調べてみると、吉野邦昭さんご自身は40歳を過ぎた頃から記憶に自信が持てなくなっていたと語られています。
おそらく、その頃から記憶術の方に進んでいかれたのだと思います。
以上のように、最初から記憶術関係のことをされているわけではないんです。
経歴的には結構いろいろあって、そんな経緯から記憶術インストラクターとしての今現在の地位を確立されたようです。
暗記術について
すでに少しお話しましたが、吉野邦昭さんがパナソニックを退社するのが39歳くらいですが、ちょうど40歳を超えたあたりから記憶に自信が無くなりました。
そして、物忘れが多くなってきた頃にそのことを周囲に話すと、そのうちの一人が記憶術の種明かしをしてくれたそうなんです。
その方というのは東大出身なのですが、大学時代に少しだけ教えてくれた暗記術と再び再会するわけです。
記憶術があれば、自分のような思いで苦しんでいる人も多く、きっと暗記術を知りたいニーズがあると思ったのではないでしょうか?
そして、記憶術のインストラクターとしてこのビジネスを始めるのです。
ところで、ここでは暗記術なる言葉を使いましたが、一般的には記憶術と同じ意味と考えて良いと思います。
厳密な定義みたいなのはなさそうですから。
あんまり難しく考えてもですね~。
何でもうまく覚えられればいいわけですから。
プロフィール
最後になりましたが、プロフィールを紹介します。
吉野邦昭さんは1965年生まれです。
誕生日が不明なので、今現在の年齢は51歳か52歳。
出身地は京都市です。
干支は巳(へび)。
どうでもいいことかもしれませんが、血液型はA型です。
ちなみに、1965年に生まれた芸能人には吉川晃司さんやヒロミさんがいます。
出身大学や高校、経歴についてはすでに解説したのでここでは省略しますね。
子供の頃は、体力もあまりなく体育なども苦手で、どちらかというと工作が好きだったようで、ものづくりが好きな少年だったんでしょう。
吉野邦昭さんの父親がもともと職人だったということもあって、プラモデルや鉄道模型を一緒に作っていたそうです。
さらに、中学に入学すると更にそのようなことを極めていき、マイコンでプログラムを作っていたそうです。
余談になりますが、昔、「マイコンBASICマガジン」という雑誌がありました。
通称は「ベーマガ」。
この雑誌には読者が自分で作ったゲームなどのオリジナルのプログラムが掲載されていたんです。
このプログラムをパソコンに打ち込んでゲームを動かして楽しんでいた方はかなり多いと思います。
ちなみに、プログラムのメインはBASICでした。
機械語(マシン語)も使われていましたが。
m「ベーマガ」という言葉を聞いてなつかしく思える方はある程度以上の年齢の方ですね。(笑)
マイコンという単語はパソコンの前身の言葉になります。
いまはコンピューターをパソコンといいますが、昔は自分のものをマイコンなんて言っていた時代があるんです。
インターネットやEmailやUSBなどはもちろん、フロッピーディスクなども無い時代だったので相当マニアックな世界だったんでしょうね。
またまた余談ですが、その当時はカセットテープにプログラムを保存したり、カセットテープに入っているプログラムをコンピューターに読み込ませて使っていたんですよ。
今と違ってパソコンを使うのにも結構時間がかかる時代でした。
ちなみに管理人のわたしはWindows95が出る前のMS-DOSで遊んでいた事はありますが、その頃よりもさらに前の世代という事で、次元が違いますね!
吉野邦昭さんにはそんなマニアックさもあり、同年代の中学生と一緒に部活で汗を流したり、放課後に遊んだりするというよりかは、もう少し年上の人と遊んでいたようです。
実は、吉野邦昭さんの両親はガチガチの受験熱心ではなかったようで、常に勉強しろと言う(たまには言うくらいで)ような事も無かったようです。
実は両親は受験経験が無かった為、そういった勉強のテクニックを教えることが出来なかったそうです。
だから、受験の参考書等は買ってはくれるが、実際の勉強のやり方については、自分で見つけていくか塾や学校の先生とかに聞くしかなかったようですね。
また父親と母親は勉強する上での環境も整えてくれたようで、大学受験時代に通った塾は周りは超進学校の学生ばかりで、その時に使える記憶術と出会い、その後の人生に影響を与える原点になったようです。
このように小さな頃から勉強に苦労してきた吉野邦昭さんが記憶術に出会い、そしてそれを今多くの人に教える立場になりました。
もし資格勉強や大学受験で記憶に苦労している人は、吉野邦昭さんのセミナーを一度受けてみるのもいいかもしれませんね。
興味のある方は講演やセミナーをチェックしてみてくださいね。
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