平安時代に相応(そうおう)が始めたとされています。
相応は平安時代前期の天台宗の僧です。
千日回峰行の祖とされている方です。
一般的には相応和尚(そうおうかしょう)、または建立大師(こんりゅうだいし)ともいわれます。
詳しくは後ほど解説しますが、荒行として有名な修行です。
酒井雄哉(さかい ゆうさい)さんという天台宗の僧侶はなんとこの千日回峰行を2度満行した達成者なんです。
2回も達成した方は実は3人おり、その一人が酒井雄哉さんです。
この荒行は7年間にわたって行われる修行です。
やはりこういったものすごいことをやりとげた成功者ってすごく興味がありますよね。
一人目の初めて成功した方も気になります。
これまで失敗者がどれくらいいるのかも知りたいところです。
とにかくとんでもなく過酷な修行ですから。
実際の体験談を読むと想像を絶するようなことが書いてあります。
精神的なところとは別に身体的な人体に与えられる影響にもすごいものがあります。
また、失敗した人や失敗したらどうなるのかとか・・・。
また、あまりにも過酷な荒行なので、残念なことに修行中に亡くなられた方もいるのではないかと・・・。
本記事に来た方は千日回峰行についてはある程度知っているので訪問されたと思います。
昨年2017年や今年2018年の情報などもあれば紹介していきます。
千日回峰行(比叡山延暦寺)とは?
本記事を訪問された人は比叡山延暦寺の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)についてはある程度の予備知識があると思いますが、それほどよくしらない方のために簡単に説明しておきます。
千日回峰行とは、滋賀県から京都府にまたがっている比叡山の山中で行われる天台宗の回峰行の1つです。
修行なんですが、荒行として有名です。
達成者というか成功者、つまり満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれることになります。
「千日」となっていますが、実際に山中を歩くのは「975日」であり、残りの「25日」は「一生をかけて修行しなさい」という意味なんです。
975日といってもかなり長い期間ですよね。
7年間に渡っておこなわれる修行ですが、1~3年目は年に100日、4~5年目は年に200日となっています。
この5年間での700日を満行した後がさらに大変です。
最も過酷な「堂入り」が行われるからです。
入堂前には行者は生き葬式を行われます。
そして、無動寺明王堂で足かけ9日間(実質的には丸7日半くらい)にわたって断食、断水、断眠、断臥の4無行に入ることに。
堂入り中は行者は不動明王の真言を唱え続けなければいけません。
さらに毎晩深夜の2時には堂を出て、近くの閼伽井で閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければならないことになっています。
水汲みで外に出る以外は、堂中で10万回真言を唱え続けなければいけません。
堂入りを満了(堂さがりと言います)したら、行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨となって、信者達の合掌で迎えられます。
6年目に入ると、これまでの行程にさらに京都の赤山禅院への往復が加わります。
そして、1日約60 kmの行程を100日続けることになります。
7年目には200日。
最初の100日は全行程が84 km にもおよぶ京都大回りで、後半の100日は比叡山の山の中での30 km の行程に戻ります。
以上が比叡山延暦寺の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)の概略です。
それにしてもすごすぎます。
特に9日間の断食、断水、断眠、断臥の4無行がですね。
普通の修行なら挑戦したいと思う方も多いでしょうけど、さすがに4無行をやりたいって方はほとんどいないのではないでしょうか?
やったとしても一般の方が成功する可能性は極めて低いでしょうね。
管理人は病院で断食をやったことがあるんですが、それだけでも大変なことですから。
寝ないのもきついけど、水を飲めないってのはとんでもなく辛そうです。
断食中は水はしっかり飲みますからね。
というか、飲まないと生命に危険が及びます。
実はですね、満行者にはその後もやらなくちゃいけないことがあるんです。
え~、そんなすごいことを達成した後にまだあるの?ってびっくりする方も多いと思います。
簡単に説明すると、まずは満行後の2,3年以内に100日間の五穀断ち。
五穀断ちとは、米・麦、粟、豆、稗の五穀と塩、果物、海草類です。
その後さらに自分から発願して7日間の断食と断水で十万枚大護摩供を行うんです。
この十万枚大護摩供には別名があって「火炙り地獄」と呼ばれています。
達成者の名前と人数について
ココからが本記事のメインの部分です。
千日回峰行という荒行の達成者はすごく気になるところです。
また、その成功者の人数もです。
これまでのトータルでは51人となっています。
でも、戦後に限っては成功者の人数はたった14人しかいません。
余談になりますが、失敗者がどうなるのかも興味ある人が多いと思います。
かつては失敗したら自死が求められたとされているようです。
二千日回峰行という修行もありますが、その達成者についても記載しておきます。
以下に年代順に一覧みたいな感じでまとめていきます。
ただし、年月日は満行日
1940年10月:箱崎文応さん
1946年9月19日:叡南祖賢さん 達成者38人目で戦後の1人目です
1953年9月18日:葉上照澄さん 39人目 戦後2人目
勧修寺信忍さん 40人目 戦後3人目
1960年:叡南覚照さん 41人目 戦後4人目)
小林栄茂さん 42人目 戦後5人目)
1962年:宮本一乗さん 43人目 戦後6人目
1979年:叡南俊照さん 45人目 戦後8人目
1990年:光永覚道 47人目 戦後10人目
1994年10月18日:上原行照 48人目 戦後11人目
2003年9月18日:藤波源信 49人目 戦後12人目
2009年9月18日:光永圓道 50人目 戦後13人目
2017年9月18日:釜堀浩元 51人目 戦後14人目となっています。
二千日回峰行に関しては以下のようになります。
1918年:奥野順玄さん
1980年10月と1987年7月:酒井雄哉さん 46人目 戦後9人目
現在修行中の方はいるの?
現在修行中の方がいるのかどうかも気になりますよね。
結論から言うと全く情報はありません。
何らかの情報が入り次第本記事に追記したいと思います。
また、もしご存知の方がいらっしゃれば教えて頂きたいです。
最後になりますが、一日回峰行というものがあり、これは一般の方も参加できます。
1日体験コースみたいなものです。
今年2018年は春以降に実施が予定されています。
興味のある方は延暦寺に問い合わせてみるといいですよ。
コメント
コメント失礼いたします。1970年9月26日に満行された光永澄道阿闍梨様(光永覚道阿闍梨様の師僧)がおられます。戦後7人目となります。
昨日6月16日、赤山禅院にお詣りしたとき、大護摩共を為さっていた所に出会いました。皆様がひざまずいて、大護摩を読経なさっていた御坊から数珠で肩を優しく、叩いて頂く得徳をして居られました。私も末席で数珠供養を頂きました。護摩を終えられた御坊をお休み処に戻られる後ろ姿をお見送りさせて頂きました。何か?心が温かく感じられながら、下山致しました。