日本が海外よりも美術作品やその数などが劣っていると考え、日本の若い芸術家たちに海外の優れたアートを見せるために芸術作品を収集し、美術館を建設しようと考えていた方です。
松方コレクションという名前で知られているその一部は国立西洋美術館の母胎となりました。
なんと作品のコレクションは1万点以上にもなったと言われています。
今回はそんな松方幸次郎さんについてまとめていきます。
松方幸次郎とは何者?
松方幸次郎さんとは何者なんだろうと思う方が多数かもしれません。
松方幸次郎さんといえば、神戸を代表する財閥である神戸川崎財閥の名前が出てきます。
松方コンツェルンとも呼ばれるくらいです。
松方幸次郎さんとはということで、経歴というか略歴を紹介します。
エール大学を卒業後、1891年に当時内閣総理大臣であった父である松方正義さんの首相秘書官となります。
その後、1894年に浪速火災保険の副社長に就任。
1896年には株式会社川崎造船所の初代社長に就任することに。
経歴的には他にも、大阪舎密鉱業、神戸瓦斯、神戸新聞、神戸桟橋、九州電気軌道、九州土地信託、川崎汽船、国際汽船、神港倶楽部、ベルベット石鹸、日本ゴム蹄鉄と西日本を中心とした会社の社長に就任。
また、それら以外にも11社の役員を務めました。
そして、1912年に衆議院議員となります。
本当にびっくりするくらいの輝かしい経歴です。
親のコネはもちろん、海外に留学したという経験があったため、各界において必要とされた人材であったことがわかります。
松方幸次郎の晩年
松方幸次郎さんの晩年までのおおまかな流れについて解説していきます。
川崎造船所の社長であった時に、日本国内の若い画家たちに本物の西洋美術を見せようと考え、美術品の収集を開始。
第一次世界大戦の際の造船の利益により、多額の資産があり、購入できたと言われています。
約1万点にも及ぶ作品で『共楽美術館』の建設を予定していました。
しかし、1927年に金融恐慌により、川崎造船所は破綻、メインバンクであった幸次郎の兄が頭取を務める十五銀行も破綻してしまいます。
これにより、松方幸次郎さんは全会社の役員を辞任し、美術品などを会社の財務整理にあてました。
また、海外に保管していた絵画もフランス政府に没収されてしまったり、ロンドンに保管していた絵画は焼失してしまったりと、美術館を建設するという夢が叶うことはありませんでした。
晩年は、大政翼賛会の推薦議員であったため公職追放となり、追放中の1950年に84歳で亡くなりました。
松方幸次郎の若い頃
松方幸次郎さんの若い頃、特に幼少期はとても腕白で、高いところから無茶な飛び降りをしてアキレス腱を切ったこともあったということです。
また、青年になってからも、宿の隣客のいびきがうるさいと口の中に石を詰め込んだという話というかエピソードも残っているほど腕白な方で、いたずらも好きな方だったようです。
松方幸次郎の子孫と家系図
松方幸次郎さんの父はすでに紹介したように、松方正義さんであり、父親は第4代、第6代内閣総理大臣でした。
松方正義さんには子供は22人いて、松方幸次郎さんは三男。
家系図的には、長男の厳は十五銀行頭取、次男の正作は外交官であり、岩崎弥之助という兄とともに三菱財閥を築き上げた父を持つ娘が妻になったりと各界のそうそうたる顔ぶれが揃っており、本当に華麗なる一族です。
また、子孫関係も気になるところです。
子供さんやお孫さんについてはこの後に解説します。
例えば、フィギュアスケートの選手である、八木沼純子さんの曾祖伯父にあたります。
曾祖伯父は『曽祖父の兄』という関係となります。
松方幸次郎の結婚と妻と子供
松方幸次郎さんの妻は、三田藩最後の大名であり、貴族院議員であった九鬼隆義さんの次女の好子さんです。
子供は6人います。
結婚後、4人の息子さんと2人の娘さんに恵まれました。
娘の花子さんは父親が九州電気軌道社長という松本重治と結婚しています。
孫の操さんは幕張メッセやヒルサイドテラスを設計した日本を代表する建築家と結婚しており、親族が偉大で有名な方ばかりでびっくりです。
松方幸次郎の出身大学と学歴
優秀な松方幸次郎さんの学歴が気なる方も多いと思います。
出身大学なんですが、東京帝国大学を中退後、アメリカの名門であるエール大学に留学し、法学博士号を取得します。
なんと、松方幸次郎さんだけではなく上の兄2人も海外に留学していました。
今の時代でも海外留学はお金がかかって大変なイメージがありますが、明治時代に子供を3人も留学させることができる財力があることにびっくりです。
なんと大学院では1年目で修士号、2年目で博士号と異例とも言われる早さで学位を取得したということから、親の力だけではなく、松方幸次郎さん自身も優秀かつ努力家であったことがわかります。
松方幸次郎コレクションと美術館
松方幸次郎さんが約10年間かけてヨーロッパで買い集めた膨大な美術品は『松方コレクション』と呼ばれています。
購入に費やしたのは当時のお金で3千万円で、現在の紙幣価値に換算すると900億円以上とも言われています。
ものすごい金額です。
モネとも交流があり、モネのお気に入りの作品であった自宅の作品を全て購入したいと申し出ましたが、この作品は全てモネのお気に入りであり、売らないと決めていたものでした。
しかし、松方幸次郎さんは私欲私欲のためではなく『フランスに来れない日本の若者たちに本物の油絵を見せてあげたい』という理由を知り、絵画を譲ることに。
しかし、残念なことにコレクションの大部分は負債処理のために売却されました。
フランスに負債として差し押さえられていたコレクションを返還する際の条件として国立西洋美術館が建設されました。
1959年のことですが、松方幸次郎さんの死後9年、美術館設立の夢を抱いてから40年経ってついに実現に。
松方幸次郎に関する本(小説)を紹介!
松方幸次郎さんに関する本は複数出版されています。
その中の小説について紹介します。
この本には、松方幸次郎さんの生い立ちから晩年までが書かれています。
こちらの小説の主人公である光次郎は松方幸次郎さんをモデルにしたと言われています。
これらの他に、原田マハさんの『美しき愚かものたちのタブロー』という小説などもあります。
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