島秀雄の出身大学と高校について!妻と息子は?父親も解説!

島秀雄の出身大学と高校について!妻と息子は?父親も解説!
この記事の所要時間: 357

新幹線

こんにちは。

台風16号の影響か雨が降ってきた熊本市在住の管理人です。

昼間はすごく天気が良かったのに日暮れくらいから雨が降り始めて、さらに雷もゴロゴロいってます。

管理人は旅行が大好きなんですが、最近興味あるのは鉄道を使った旅行です。

今までのほとんどは自家用車や飛行機を使った旅行なんですが、鉄道の魅力にはまりかけてます。(笑)

知人の影響です。

今回紹介するのは、島秀雄(しまひでお)さん。

D51

「D51形蒸気機関車」と「0系新幹線電車」をこの世に生み出した方です。

伝説の鉄道技師と呼ばれています。

というわけで今回は、島秀雄さんの出身大学や高校などの学歴と経歴、妻と息子、父親についてまとめてみました。

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島秀雄の出身大学と高校

東大

島秀雄さんの出身大学は、東京帝国大学工学部機械工学科です。

出身高校は、第一高等学校。

その他の学歴についても紹介します。

出身小学校:桜川小学校(東京都新橋)

出身中学校:東京府立第四中学校

中学は一中ではありませんが、一高から帝大という学歴から、島秀雄さんは戦前のエリートってことになりますね。

妻と息子

結婚

島秀雄さんと結婚して妻となった相手は華族で官僚もされていた男爵で鉄道官僚の中村謙一(なかむらけんいち)さんの長女の娘さんです。

名前は豊子さんといいます。

子供は息子さんだけでなく娘さんもいらっしゃいます。

次のようになります。

長男:宏さん。東京大学出身。1980年に亡くなられています。

次男:隆さん。鉄道技術者をされていました。東京大学工学部機械工学科卒業。大学卒業後、国鉄(日本国有鉄道)に入社されます。

新幹線輸出の第一弾となる台湾高速鉄道の顧問を務めた経歴もお持ちです。

父親の島秀雄さんとともに東海道新幹線0系の台車設計をされました。後に東北・上越新幹線の200系車両の設計責任者となります。

三男:敏さん。若くしてお亡くなりになってます。

四男:直(なおし)さん。出身大学は東京大学。

長女:久美子さん。聖心女子大からフルブライト留学生としてアメリカに行きました。

以上が島秀雄さんの家族です。

父親について

鉄道

島秀雄さんの父親は、島安次郎(しまやすじろう)さんといいます。

息子で長男の島秀雄さんと同じく鉄道の技術者をされていました。

日本機械学会会長をされた経歴もお持ちです。

息子は新幹線の開発にかかわり、孫の島隆さんは台湾新幹線に携わったなんてすごい家系です。

島安次郎さんのプロフィールを紹介します。

名前:島安次郎(しまやすじろう)

生年月日:1870年9月2日 1946年2月17日にお亡くなりになっています

出身地:和歌山県和歌山市

出身大学:東京帝国大学機械工学科

実家は「島喜」という薬問屋で代々続いてきた家系です。

大学卒業後に関西鉄道に入社し汽車課長にまで昇進されました。

関西鉄道が国有化後に鉄道院に入省。

辞職後は満鉄(南満州鉄道株式会社)の筆頭理事や社長代理などを務めた後に1925年に汽車製造(汽車の会社)の社長に就任しました。

鉄道大臣の諮問機関の「鉄道幹線調査会」が発足して特別委員長に選任され、「弾丸列車計画」を推進しましたが、途中で亡くなってしまいました。

しかし、この計画は息子さんである島秀雄さんによって新幹線という形で実現することとなりました。

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プロフィール

プロフィール

最後になりましたが、島秀雄さんのプロフィールを紹介して終わりにしたいと思います。

名前:島秀雄(しまひでお)

生年月日:1901年5月20日

出身地:大阪府

学歴:上で説明したので省略

生まれたのが1901年ってことは明治34年です。

1901年って歴史的にも重要な年なんです。

管理人が真っ先に思い出したのが、歴史の教科書に載っていた八幡製鉄所の開業です。

他には、田中正造さんの足尾鉱毒事件て天皇直訴やノーベル賞が始まった年でもあるんです。

こんな年に島秀雄さんはお生まれになったんです。

大学を卒業後に鉄道省に入省しました。

伝説の鉄道技師と呼ばれ、D51形蒸気機関車と0系新幹線電車という名車両を設計しこの世に生み出しました。

D51は「デゴイチ」という愛称で有名ですね。

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