読み方がちょっと難しいですね。
「まつほどうたく」と読みます。
考古学上の画期的な数10年に一度くらいの発見という事で、すごく有名になって松帆銅鐸のミルクチョコまであります。(笑)
世紀の大発見と言えるものですからね。
歴史の教科書や資料集でほとんど誰もが見たことがあるあの銅鐸(どうたく)です。
銅鐸に関しては以前記事にしています。
https://common-topics.com/dotaku/
今回は特に、2015年に発見された松帆銅鐸(まつほどうたく)にフォーカスします。
気になる発見の経緯や場所、そして分析によって明らかになった年代についても解説していきます。
松帆銅鐸とは?
すでに記事冒頭で説明したように、松帆銅鐸とはその名の通り銅鐸(どうたく)です。
弥生時代の青銅器です。
銅鐸と言えば、弥生時代における最高の宝でした。
銅鐸のこれまでの研究では、その使い方や用途、製作された目的がはっきりしておらず不明となっていました。
ところが、2015年の松帆銅鐸の発見により、銅鐸の鳴らし方を解明する上での大きなデータが得られました。
銅鐸はその形状から、釣鐘のように使用されていたであろうことは推測されていたのですが、そのことに関して前進があったのです。
松帆銅鐸は7個出土していますが、埋納例としては過去4番目の多さです。
この7個すべてに音を鳴らす棒である「舌」が伴っていました。
このような銅鐸を「聞く銅鐸」といいます。
発見の経緯と場所はどこ?
まずは松帆銅鐸の発見の経緯について解説します。
発見場所はどこなのかが気になると思います。
兵庫県南あわじ市にある株式会社マツモト産業の加工工場の砂山が発見場所です。
淡路島です。
誰が発見者かと言うと、その会社の社員です。
発見者の社員が見つけたのは銅鐸2点。
発見された日付は2015年(平成27年)4月8日。
この件について連絡を受けた兵庫県南あわじ市教育委員会の職員が翌朝に銅鐸であることを確認しました。
最初の発見の翌日の4月9日には株式会社マツモト産業の資材置き場を詳しく調査したところ、5月1日までの間にさらに銅鐸5点を発見します。
これで合計7点の発見となりました。
このような発見の経緯がありました。
松帆銅鐸(まつほどうたく)という名前の由来は、発見された場所の地名からです。
年代について
松帆銅鐸の年代は銅鐸本体の分析により、紀元前4世紀~前3世紀、つまり弥生時代中期前半であることがわかっています。
紀元前3世紀以前の銅鐸に使用されていたのと同じ朝鮮半島産の鉛が含まれていました。
こういったことから、松帆銅鐸は最古級の銅鐸であることがわかりました。
また、銅鐸に付着していた植物片に対するC14(放射性炭素14)による年代測定も行われています。
それが松帆銅鐸の年代、正確には埋納年代です。
その結果によると、埋納年代は紀元前4世紀~前2世紀くらいの可能性が高いことがわかりました。
これは従来の結果を補強して、さらには想定されていたよりも150年以上も古い紀元前にまで遡ってしまう可能性が出てきました。
以上のように、銅鐸の埋納年代に関する科学的に裏付けが得られたのが初めてということ。
さらに、従来推測されていた年代より150年以上も古く、紀元前にさかのぼる可能性が明らかになった初めての例が松帆銅鐸というわけです。
このことが、考古学史上における画期的な成果であると注目が集まった理由です。
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