こんにちは。
今回フォーカスしたのは岡潔(おかきよし)さん。
数学者に詳しい方を除くと初耳の人が多いと思います。
一般的には数学って嫌われてますよね。(笑)
その数学に生涯を捧げた天才数学者です。
生涯をかけて研究されたテーマは多変数複素函数論で、その基礎的な研究で知られています。
その功績は数学界に多大な影響を与え、その理論は現在でも多くの研究者に引用されているほどです。
なんとなくちょっとイメージできそうな感じがしないでもないんですが。(笑)
数学界においては世界的に有名な方なんですが、その一方で日本人の情緒や心性についての深い洞察でもすごい方です。
天才数学者っていうと、管理人的にはオイラー、ガウス、ラマヌジャン、ノイマンなどたくさんの数学者の名前が頭に浮かびます。

他にも、ニュートンやライプニッツなどいろんな名前が頭に浮かびます。
そういえば、「数学セミナー」という数学専門の月刊誌だったか、大学受験で有名な「大学への数学」という毎月出る本の中で京都大学の河合良一郎さんが岡潔さんのことを連載されていたのを思い出します。
このように、岡潔さんという天才数学者はその業績は上にも書いたように特に何もいうことはなくすごいんですが、名言とか奇行といわれているエピソードなどたくさんの興味深いものがいろいろとあります。
こういったことがたくさん取り上げられていることから考えると、数学の方だけじゃなくて人間そのものとしても魅力的な方だったと言ってもいいかもしれません。

一般人のわたしたちが論文読んでもわかりませんよね?(笑)
そんなわけで本記事では、天才数学者である岡潔さんの妻と息子と娘、孫、家族や子孫をメインにまとめてみました。
その他に、プロフィールや弟子についても解説していきます。
予言や名言なんかもすごく気になるところですね。
また、お弟子さんというわけではないですが、ノーベル物理学賞受賞者のお二人、湯川秀樹さんと朝永振一郎さんの恩師でありますから、お弟子さんも興味が湧いてきますね。
岡潔(天才数学者)のプロフィール

まずは、岡潔さんという天才数学者について知らない方のためにプロフィールを紹介しておきます。
名前:岡潔(おかきよし)
生年月日:1901年(明治34年)4月19日 1978年に76歳で亡くなられています
出身地:大阪府大阪市東区島町(現在の大阪市中央区島町)生まれ
出身中学校:和歌山県立粉河中学校(現在の県立粉河高校)
出身高校: 第三高等学校理科甲類
出身大学: 京都帝国大学理学部
出身地については大阪市生まれなんですが、生まれてすぐに父親の故郷である和歌山県紀見村(現在の橋本市柱本)に引っ越されているので、実際の故郷は紀見村ということになります。
日露戦争が始まって父親が出征したことが理由のようです。
余談になりますが、実家は「岡屋」という屋号の旅籠(はたご)で、曽祖父の代までは営業していたらしいです。
数学の魅力にハマってしまったのは和歌山県立粉河中学校(現在の県立粉河高校)3年の時みたいです。
たまたまなんですが、後ほど紹介する父親の本棚にクリフォードの「数理釈義」を発見して、その中に書いてあるクリフォードの定理に熱中してしまったそうなんです。
そういえば、奇行のエピソードで有名な岡潔さんですが、このようなことが見られるようになったのはどうやら京都帝国大学に入学後からみたいです。
研究に没頭しすぎてしばしば道端で数式を書き始めるなどの奇行は有名な話です。
突然道端にしゃがみこんで一心不乱に地面に図形や数式を書いたりとかされたら誰でも奇行って思いますよね。
しかし、後輩の三高生は先輩である岡潔さんのこうした奇行とも言われる行動を見て畏敬の念に襲われて受け止められていたらしいです。
岡潔の異才というものは、単なる奇人ではなく、常人にはない深い思考と洞察力を持つ天才として認識されていたようなのです。
なんとなくわかりますね~。
とんでもなくすごい人であるとみんなその頃から感じていたんでしょう。
簡単なプロフィールですが、学歴などは上のようになります。
経歴についても簡単に紹介しておきます。
京都帝国大学を卒業すると同時に京都帝国大学講師に就任されています。
そして、助教授に。
研究の道を志しパリへ留学されています。
フランスへの留学は3年間でした。
そこでガストン・ジュリア教授のもとで深く研究を進め、その後の研究の礎を築きました。
日本へ帰国後は、広島文理科大学の助教授へ就任されていますが、病気が原因で休職され、最終的には辞職。
そして、故郷で研究生活を送ったりもされていましたが、その後に北海道大学へ。
1949年(昭和24年)には奈良女子大学教授になられ、後進の指導にも尽力されています。
晩年まで奈良市高畑町に住んでおられ研究生活を送り、1960年には多変数解析関数の研究業績が認められ、文化勲章を受章。
この他にも日本学士院賞、橋本市名誉市民とか奈良市名誉市民など複数の受賞歴や叙勲歴があります。
岡潔さんのプロフィールということでしたが、学歴や経歴の概略が上のようになります。
専門的な論文は一般人には極めて難解です。
しかし、その一方、論文だけでなく『数学を志す人に』や代表作である『春宵十話』など、一般人向けに書かれた随筆も多くあります。
これらの文章は、彼の数学に対する深い洞察力に加え、日本人の心性や情緒にも触れていることから、世代を超えて多くの読者を現在も魅了し続けているほどです。
彼の自筆遺稿は奈良女子大学附属図書館に寄贈され、貴重な研究資料として現在も大切に保管されています
また、生涯や生い立ちなどさらに知りたい方は上の画像の本「天上の歌 岡潔の生涯」などを参考にされるといいと思います。
岡潔の妻

予言とか奇行などいろんなエピソードがあるのが岡潔さんなんですが、孤高の天才数学者と言われることもあります。
天才と言われるこういった方の中にはニュートンみたいに生涯を独身で終える方も中にはいます。
やはり、結婚はすごく気になるところですね。
結婚は留学直前の1925年です。
ちなみに、留学は1929年(昭和4年)でした。
岡みちさんという方があの世界的に有名な天才数学者である岡潔さんの妻です。
旧姓は小山みち。
夫の岡潔さんが亡くなってすぐに妻の岡みちさんも急逝されています。
どういうわけでフォーカスしたのかというと、「天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~」という岡みちさんに注目したドラマがあるからです。
夫の岡潔さんに比べれば、妻である岡みちさんに関する情報は極めて少ないです。
なので、なおさら知りたくなるってところもありますね。
天才を支えてきた奥さんとして。
いろいろと振り回されたりとか、かなりご苦労もされてきたというのが本当のところのようです。
しかし、それでも夫のことを信じぬいたという。
そんなことが、後の岡潔さんの文化勲章受章などにもつながっているのは事実のようです。
そういった意味では「天才を育てた女房」というのは事実といえるのかもしれません。
世間的には天才を育てられるのかというこについては賛否両論あるとは思いますが・・・。
というわけでここでは、岡みちさんの父親と母親と姉妹、岡潔さんと北村家の関係を中心に解説していきます。
その他に、出身、学歴、生い立ちなどもリサーチしてみました。
後ほど詳しく説明しますが、北村家とは岡潔さんと岡みちさんの両方に関係があります。
この3つの関係にはびっくりする事実がありました。
彼女はハイカラで好奇心が強く、思いやりのある女性で、数学に打ち込む夫を辛抱強く支えたようです。
こういった夫婦の関係は「天才を育てた女房」という岡潔さんと妻のみちさんの半生を描いたドラマの中で描かれています。
岡みちの父親と母親と姉妹
岡潔の息子と娘
岡潔さんの子供さんなんですが、すでに書いたように3人いらっしゃいます。
息子さんが1人に、娘さんが2人です。
長男は岡熙哉(おかひろや)さんといいます。
そして、長女がすがねさん、次女がさおりさん。
息子さんの岡熙哉さんですが、長年の間、栗本鉄工所に勤務されていて、すでに定年退職されています。
その後は晴耕雨読みたいな生活を経て、いろいろと活動されているようです。
父親の岡潔さんは和歌山県橋本市の名誉市民であることをすでに経歴のところで紹介しましたが、今年2018年のニュースに息子さんの名前が出ていました。
岡潔を讃える「岡潔 顕彰講演会」に関するものです。
娘さんは2人ともご結婚されています。
長女のすがねさんの旦那さんは鯨岡寧(くじらおかやすし)さんという方で、脳外科の医師です。
兵庫県尼崎市にある医療法人岡田病院の院長さんであるとの情報がありましたが、現在もそうなのかは不明です。
次女のさおりさんの夫は松原勝昭(まつばらかつあき)さんという方で、奈良市内にある高校の教師をされていた方です。
すでに定年退職されています。
地質学の先生をされていました。
お~、管理人と専門が同じです。
長男の岡熙哉(おかひろや)さんと次女の松原さおりさんは、父である岡潔の顕彰碑除幕式に出席するなど、父親の功績を称える活動に携わっておられました。
また、松原さおりさんは、父が遺した貴重な資料の保存にも尽力されています
簡単ではありましたが、以上が奥さんと子供さんに関する情報です。
岡潔の孫について

天才数学者の子供さんもですが、お孫さんもですよね。
遺伝学的にかなり優秀とか祖父の岡潔さんと同じく天才なんて言われているんじゃないかとついつい期待してしまいます。
数学の道に進まれているのではないかとか・・・。
お孫さんは少なくとも4人はいらっしゃいます。
実際には4人だけかもしれませんが。
あんまり情報はないんです。
ということは、ほとんどが一般の方ってことでしょうから、コレ以上の詮索はやめておきます。
しかし、一人だけニュースに出たり、本を出版されている有名な方がいます。
それが松原始(まつばらはじめ)です。
この方について説明していきます。
松原始さんは岡潔さんの4番目のお孫さんに当たります。
母親は岡潔さんの次女の松原さおりさんです。
「カラスの教科書」という本を出版されてて有名な方です。
祖父と同じ数学者ではなく、ご専門は動物行動学。
研究されているテーマはカラスの行動と進化です。
カラスの研究者ってことです。
抽象的な数学とかなり違うご専門です。
著書には、『カラスの教科書』以外に『鳥類学者の目のツケドコロ』『カラスは飼えるか』『カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?』などがあります。
誕生日は不明なんですが、1969年生まれということで、今現在の年齢は55歳か56歳ということになります。
ここで、学歴と経歴などをメインにプロフィールを紹介しておきます。
出身地は奈良県で、出身大学は祖父と同じく京都大学理学部です。
といっても、祖父は帝国大学の時ですが。
京都大学院理学研究科博士課程も修了されています。
やはりお孫さんも高学歴ですね。
今現在は東京大学総合研究博物館のホームページを見ると、研究部インターメディアテク寄付研究部門(IMT)に松原始さんの名前が特任准教授(動物行動学)として今現在も掲載されています。
立派で優秀なお孫さんなんですね。
岡潔の家族

家族についても簡単に紹介しておきます。
父親は岡寛治さん、母親は八重さんといいます。
父親は岡潔さんが生まれた頃は大阪にいて保険の仕事をされていました。
岡寛治さんの父親やそれ以前の祖先、つまり父祖の地はすでに説明した和歌山県紀見村(現在の橋本市柱本)の紀見峠です。
でも、生まれたところは大阪市でした。
母親は紀見峠の北村家の人ということです。
そういえば、1つ疑問があったんです。
岡潔さんのwikiには「生誕 坂本 潔」と記載されているんです。
なんで「坂本」なのかというところが気になってました。
これは、父親の岡寛治さんが「坂本」と名乗っていたことがあったからみたいです。
ですから、岡潔さんが生まれた時には「岡潔」ではなく「坂本潔」だったというわけです。
もっと詳しく説明すると、岡寛治さんの長兄が岡家を継いだのですが、事故で早く亡くなられました。
また、祖父の文一郎さんが岡家のことをいろいろされていたんですが、亡くなります。
そのため、岡寛治さんが帰郷して岡家を継ぐことに。
それで、姓が岡に戻りました。
そして「岡潔」となったわけです。
これは明治45年、つまり大正元年の春のことでした。
岡潔さんが柱本尋常小学校の6年生になった年の春のことでした。
岡潔の子孫と家系図

天才の子孫や家系図って気になりますよね。
ベルヌーイの家系なんか調べてみると特に興味が湧いてきますね。
子孫ということで、お孫さんについてはすでに説明したので省略します。
家系図については、岡潔さんの父親、母親、妻、子供、祖父など簡単なことしかわかりませんでした。
これらについてはすでに説明したので省略しますね。
結論として、きちんとまとめられた家系図はないようです。
子孫に関してはお孫さんのお子さんが気になるんですがね。
もし、いらっしゃれば優秀な可能性が高いですね。
コメント
歴史探偵の気分になれる
ウェブ小説「北円堂の秘密」を知ってますか。
北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。
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小一時間で読めます。その1からラストまで無料です。
順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。
重複、既読ならご免なさい。
お仕事のリフレッシュや脳トレに最適です。
物語が観光地に絡むと興味が倍増します。
岡潔の歩いた奈良が舞台の小説です。
omachi様、コメントありがとうございます!
ウェブ小説「北円堂の秘密」については知りませんでした。
是非読みたいと思います。
嬉しい情報ありがとうございました!
楽しみです!
先日(2018/2/23)、日本テレビで天海祐希と佐々木蔵之介主演で「天才を育てた女房、世界が認めた数学者と妻の愛」というスペシャルドラマがあり、面白く観ました。数学者の岡潔については奇行の多い世界的数学者だということは知っていましたが、どんな分野について研究したのか知りませんでした。(もちろん、ドラマを見ても、難解な分野らしいことしかわかりませんが・・(笑))。ところで、昔、岡潔をモデルにした松竹映画「好日好人」(1961年)という、岡潔を笠智衆が演じ、娘を岩下志麻が演じた映画があったことを覚えているんですが(私はこの映画はみていない)、調べてみると、岩下が演じる一人娘は養女という設定のようですが、これはフィクションなんですね。実際には一男二女の実子がいるんですね(日本テレビのドラマではそうなっていました!)
≪…日本人の情緒や心性についての深い洞察…≫で、数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【 ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と 】の平面・2次元からの送りモノとして眺めると、[数のヴィジョン]になるとか・・・
岡潔数学体験館で、自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ~