冨士茂子の結婚と離婚について!夫と子供は?学歴や経歴にもフォーカス!

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こんにちは。

今回フォーカスしたのは冨士茂子(ふじしげこ)さん。

徳島ラジオ商の件で有名になられてしまった女性です。

今現在が気になる方もおられるかもしれませんが、残念ながらすでにお亡くなりになられています。

家族については後ほどリサーチした結果を紹介しますが・・・。・・・。

小説家であり脚本家でもある早坂暁さんが描いた「暁は寒かった」というタイトルのNHK土曜ドラマで取り上げられている女性です。

徳島ラジオ商に関するものなんですが、ドラマ自体はフィクションです。

徳島ラジオ商の件は実際に起ったことなんですけどね。

このドラマには前編と後編があります。

冨士茂子さんのことは瀬戸内寂聴さんもご自身の著書の中で扱っています。

【楽天】

「それでも人は生きていく」というタイトルの本です。

余談になりますが、この本の中では永田洋子さんのことも書かれています。

永田洋子の生い立ちと家族!母親は?結婚と夫と子供にもフォーカス!
こんにちは。 昭和史ってすごく面白いですね。 平成になってしまいましたが、昭和時代というのはいろんな観点から眺めると実に興味深いことがたくさんありました。 今回のテーマは連合赤軍に関するものですけど、特に連合赤軍中央委員会副委員長だった永田...

瀬戸内寂聴さんは冨士茂子さんのことを1番悲しいと思った女性だと語られているようです。

また、冨士茂子さんの人生最後の言葉について言及されてますが、それは何か?

どんなことなのかも興味あるところです。

どんな思いが込められているのか?

徳島ラジオ商の件の詳細な内容については本記事では言及しません。

wiki

wikiなどたくさんのサイトでまとめられていますので興味のある方はそちらを参考にしてくださいね。

今回はあくまでも冨士茂子さんという一人の女性にフォーカスしていきます。

例えば、生い立ちとか・・・。

そんなわけで、本記事では冨士茂子さんの結婚と離婚について、夫と子供、そして学歴や経歴などをリサーチしてまとめてみました。

どんな人生を歩まれてきたのか?

気になりますね。

最後にはプロフィールも解説します。

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冨士茂子の結婚と離婚

離婚

冨士茂子さんには結婚歴だけでなく離婚歴もあります。

結婚を2回されており、そのどちらでも離婚という結果になっています。

原因や理由についての詳細は不明です。

また、元夫についてもわかっていません。

その後、徳島ラジオ商の男性と結婚され、その方が夫となったわけです。

しかし、正確には事実婚というものでした。

冨士茂子さんはどうも婚姻届にはこだわりがない女性だったようです。

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夫と子供

2度の結婚と離婚の後に出会ったのが徳島ラジオ商として後に話題となった夫でした。

婚姻届を提出していない、つまりいわゆる事実婚であったので、正確には内縁の夫ということになります。

名前は三枝亀三郎さんといいます。

そんなわけで、冨士茂子さんの方は内縁の妻ということになります。

こういったことに関してはいろんな議論がありますが、それらについては本記事のテーマと関係ないことなので省略しますね。

ところで、経歴のところでも説明しますが、冨士茂子さんは元夫との離婚後に酒場(カフェ)を経営されていたんです。

その店の客が後に内縁の夫となった徳島ラジオ商でした。

子供に関してですが、夫の方には元妻との間に4人の子供がいました。

そして、冨士茂子さんとの間には娘さんがいました。

なので、子供は5人ということになります。

徳島ラジオ商の件が起こった当時、夫の方の子供は一番上が高校生で、冨士茂子さんとの間に生まれた娘さんは9歳でした。

5人全員が母親として慕っていたことは裁判所も否定できなかったそうです。

結局7人家族だったということになります。

つまり、認めていたということでしょうね。

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学歴と経歴について

冨士茂子さんの学歴なんですが、徳島県立高等女学校を卒業されています。

この学校は今現在の徳島県立城東高等学校の前身です。

高等女学校に進学できたのは終戦の頃でも5、6人に1人くらいの割合だそうですから、誰でも行けた学校とは言えません。

そういった意味ではエリートともいえますね。

経歴についても紹介しておきます。

徳島県立高等女学校を卒業後から2度目の離婚までどうされていたのかについてはよくわかっていませんが、離婚後は酒場(カフェ)を経営されていたとの情報がありました。

すでに説明したように、そのお店の客が事実婚の相手、つまり内縁の夫である徳島ラジオ商でした。

ラジオ商とは、現在の電器店のことです。

古い表現と言うか言葉なので、特に若い方には馴染みがなく聞いただけでは意味不明でイメージがわかないのではないかと思います。

正直に告白しますが、管理人も最初は意味がよくわかりませんでした。(笑)

単なるラジオ専門の会社か何かってイメージでした。

話を元に戻しますが、冨士茂子さんは経理にすごく詳しく、事業の才能があったようです。

そのため、内縁の夫のラジオ商事業の片腕といった立場にもありました。

このような経歴もあるんです。

こういったことは裁判での判決でも評価されているようです。

戦前の高学歴なので、優秀でかなり勉強もされていたんでしょうね。

一般的な言い方をすれば頭が良かったと。

夫の片腕として事業を支えていた中で起こってしまったのが徳島ラジオ商という名称で有名になってしまった件でした。

以上、簡単ではありましたが、学歴と経歴について解説しました。

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プロフィール

冨士茂子さんのプロフィールに興味を持っている方もおられると思いますので紹介しておきます。

名前:冨士茂子(ふじしげこ)

生年月日:1910年(明治43年)5月22日 1979年(昭和54年)に69歳で亡くなられました。

出身地:徳島県

学歴:徳島県立高等女学校(現在の徳島県立城東高等学校)

高等女学校とは、第2次世界大戦後の学制改革まであった旧制の女子中等教育機関です。

小学校(又は国民学校)の6ヵ年の課程を修了後に入学出来る学校です。

修業年限は4年または5年なので、今現在の中学校から高校にあたるといえます。

ですので、徳島県立高等女学校は出身中学と高校をあわせたものと考えて良いかもしれません。

徳島県立城東高等学校の著名な出身者の中には、記事冒頭でも紹介した瀬戸内寂聴さんもおられます。

経歴についてはすでに紹介したので、ここでは省略します。

生い立ちに関しても気になるところですが、今のところは情報はないですね。

戦前に高等女学校を卒業されているので、結構裕福な家庭で育ったという生い立ちなのかもしれません。

確証はなくあくまでも管理人の推測なんですが・・・。

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