こんにちは。
今回注目したのはベストセラー作家の下重暁子(しもじゅう あきこ)さん。
そんなわけで、下重暁子さんの夫と子供、出身高校と大学等の学歴、そして昔の若い頃もリサーチしてまとめてみました。
下重暁子の夫と子供
下重暁子さんをご存知でしょうか?
名前の読み方が結構難しいですね。
「しもじゅうあきこ」と読みます。
職業は作家です。
下重暁子さんは1936年5月29日生まれで、今現在の年齢は81歳。
出身地は栃木県宇都宮市です。
身長や体重は非公表で、さらに血液型も非公開です。
結構、謎が多い女性です。
今日まで色々な肩書と多数の実績があり、一言で言えば才女でしょうか。
大学卒業後、NHKの名古屋支局を経て、東京に戻り人気アナウンサーになりました。
そして、1968年にフリーに。
下重暁子さんの夫は3歳年下の、テレビ局勤務の人らしいです。
キャスター時代に出会ったらしいですね。
名前や生年月日など詳細は解っていません。
結婚した時に改姓しまたが、旧姓のままでいたかったようです。
結婚式などは挙げていないようです。
今でいうジミ婚?と思われるかもしれませんが、恐らくあえて挙げなかった可能性があります。
結婚式という形式的なものがあまり好きではなかったようで、ウエディングドレスなどにも興味が無かったのかもしれません。
彼女の結婚観は、「卒婚」らしいです。
卒婚とは、離婚ではなく、結婚という形はありながら、夫と妻がそれぞれの役割を卒業して、残りの人生を自由に楽しむものらしいです。
結婚という型にとらわれない下重暁子さんらしい考え方で、新しい発想です。
今は共働きが多く家事も分業の家が多いので、その考え方は、昔から先端を行っていたのかと思います。
逆に家族に固執しすぎると、束縛が多く、家族の押し売りになってしまい、かえって家族が崩壊してしまう恐れもあるということで、適度な距離を保つことは重要なのでしょう。
そして、「家族ほどしんどいものはない」とも言っています。
女は家、男は外という古い固定観念が嫌いなんでしょうね。
「一家団欒」という言葉に疑問を持っているのかも知れません。
そしてさらには、夫を夫と思ったことが無いとも言っています。
しかし、逆に夫からすればちょっとショックかも知れませんね。
言い過ぎのようにも思えます。
子供はいないようです。
子供は意図的に作らなかったという可能性もありますね。
彼女の考え方は賛否両論別れるところが多いですが、多いに評価できる実績もありました。
それは、日本自転車振興会の会長に就任して女子競輪の再開を強く要望していたそうです。
以前は女子競輪は1949年から15年間しかやっていなかったようですが、それをガールズケイリンとして復活させました。
男子競輪と違って花があっていいですね。
ロンドンオリンピックで女子の競輪が正式種目になったそうですが、ロンドン、リオでは日本選手の女子ケイリンの出場は叶いませんでしたが、東京オリンピックではなんとか出場してほしいです。
さらに、2015年にベストセラーである幻冬舎新書の「家族という病」を執筆しています。
50万部売れたそうです。
世間体が良い家族が理想の家族ではないと主張しています。
執筆した作品は90を超えるんだとか?
とにかく自分の書きたいこと・主張したいことをたくさん書いているようですね。
沢山の本を執筆していますが、軽井沢の別荘で執筆しているらしいです。
なんとも優雅です。
おそらく印税もたくさん入ってくるのでしょう。
年収も気になるところですね。(笑)
講演活動もたくさん行われて、子供がいない訳ですので、相当の収入があります。
きっと。
出身高校と大学
学歴についてですが、高校についてははっきりしたことはよくわかっていませんが、どうも出身高校は大阪府立大手前高等学校だったらしいです。
出身大学は1959年に早稲田大学教育学部国語国文学科卒業されています。
称号は文学士です。
ちなみに、お笑い芸人の小島よしおさんも早稲田大学教育学部国語国文学科卒業なんです。
その後、彼女はマスコミの仕事に就きます。
NHKです。
まさしくエリートの道です。
昔の若い頃について
下重暁子さんは幼い頃、太平洋戦争を経験しているようです。
疎開先の奈良県で終戦を迎えたそうです。
昔の若い頃の写真を見たところ、かわいらしいですが、どこか知的な感じがします。
父親との関係はあまり良くなかったらしいです。
例えば、父親が入院した時には会いに行かなかったとか・・・。
母親が専業主婦だった事もあり、母親とも確執があったようで、家族に対する悪いイメージは、この時から既に出来上がったのかもしれませんね。
野際陽子との関係とは?
野際陽子さんとの関係はNHK時代の一年先輩ということです。
先輩と後輩の間柄で信頼関係もあり、「ノンちゃん」と「アッコ」と呼ぶ仲だったらしいです。
名古屋の荒田という地名にあった木造3階建の寮で女性は彼女ら二人だけだったとか。
隣同士の部屋だったというので自然と仲良くなったのでしょう。
2人は周りから「荒田のオロチ」と呼ばれるぐらい酒豪で、遊びまわっていたんだとか?(笑)
しかし、どんなに飲んでも仕事には影響させなかったとのことです。
それは野際陽子さんから学んだことだそう。
さすがプロ意識が強く男勝りの二人です。
野際陽子さんの家に泥棒が入ったエピソードも面白いです。
給料前だったので、食べられなくなっちゃうから、泥棒につり銭を返してほしいと言ったそうです。
普通なら恐怖で何も言えないのでしょうけど、そんなことも言えてしまうのですから、まさに男勝りですね。
余談になりますが、野際陽子さんは立教大学を卒業していますが、その美貌から初代ミス立教に選ばれたそうです。
その後、1962年にNHKを退職後広告代理店へ転職、そして「女性専科」の司会者を経て、女優活動が中心になったらしいですね。
あの冬彦さんで有名な「ずっとあなたが好きだった」や「ダブル・キッチン」、「誰にも言えない」、「TRICK」などヒット作品に多数出ていました。
昔の若い頃より、むしろドラマに出ていてお母さん役やおばあさん役のイメージを持っている人も多いのではないでしょうか?
今年2017年の6月13日に天国へと旅立たれました。
最近まで活躍されていた人が急に逝かれるのはショックなものがありますね。
彼女のドラマを多数見て育った方々はその一報を聞いたとき本当にショックだったと思います。
今後も後輩で仲の良い下重暁子さんを温かく見守ってほしいですね。
コメント
1)下重暁子さんの出身高校は、大阪府立大手前高校です
2)大手前高校は進学校で、昭和39年には京大進学者数が全国一位となりました。学年の成績が50番程度までで東大(当時は遠距離ということであまり人気がありませんでしたが)、100番程度までで京大、その付近で阪大に進学していました
3)下重さんは地歴部に属しており、そこにあった集合写真で、美人の下重さんが人気になっていました