(おくむらたきえ)さんは、「サムライ牧師」とも呼ばれ、ハワイに高知城を建てた男として有名です。
でも、日本ではあんまり知られていません。活動の舞台がハワイだったからです。
昨年2015年には、生誕150年ということで「奥村多喜衛展」が開催されました。
それにもかかわらず、wikiも今だにないというのが現状です。
ハワイに移住した日系人の歴史の陰でいろんなことをおこなってきました。
今回は、サムライ牧師こと奥村多喜衛さんの出身大学や高校などの学歴、経歴、そして偉業とも言える業績について解説します。
プロフィールや結婚、父親、生い立ちなどについても紹介します。
自分の生涯を日本人と日系人の福祉や伝道に捧げた奥村多喜衛さんに早速フォーカスします!
奥村多喜衛の出身大学と高校は?
奥村多喜衛さんの出身大学は、同志社大学神学部です。
また、出身高校は現在の高知県立高知追手前高校。当時は高知中学校でした。
出身高校とは言いましたが、高知中学校に在籍中に自由民権運動を抑えこもうとする人たちが民権派の教師を解雇したのに抗議して無断欠席を続けました。
このことで結局は除籍されています。
プロフィール
奥村多喜衛さんが生まれたのは1865年(慶応元年)です。
詳しい生年月日まではわかりません。1951年にその生涯を終えました。
父親は土佐の士族でした。幕末には土佐藩主の山内容堂に郡奉行として仕えていました。
明治に入ってからは紙製造、砂糖や鰹節の販売、海産物の輸出、樟脳精製などの事業をおこないました。
しかし、それらの事業はことごとく失敗に終わります。
それで、家運は傾いてしまいました。
父親が亡くなった後に奥村多喜衛さんは大阪に行きます。
そして大阪府警の書記官となり、大阪の米穀商の娘さんと結婚します。
大阪教会に通い、夫婦で宮川経輝牧師から洗礼を受け、伝道者となることを決めた後に、同志社神学校に給費生として入学しました。1890年(明治23年)のことです。
一時期は土佐から始まった自由民権運動にも関わりましたが、最終的には救いをキリスト教に見出すことになります。
といっても、最初はキリスト教には反発心の方が強かったそうです。
大学2年生の時にハワイで伝道していた日本人の牧師が同志社神学校を訪れました。
その時にハワイでの日本人社会の事情について講演し、ハワイでの伝道を学生たちに呼びかけました。
その当時、同志社神学校では卒業前の学生に、各地のいろんな教会から仕事の依頼が来るようになっていました。
奥村多喜衛さんには大阪教会から依頼がありましたが、ハワイで伝道するという意志が固いため、辞退してしまいます
大学卒業後、キリスト教団体のハワイアン・ボードに招かれハワイに行きますが、そこでの日本移民の過酷な現状を見ることになります。
それで、きちんとした日本人の社会を形成するには自分自身がハワイに移住する必要があるとの考えに至り、1896年に家族をハワイに呼び寄せました。
1951年に亡くなるまでの生涯をハワイの日本人移民と日系人のために捧げたんです。
経歴と業績が生まれた理由
ハワイに移住してからすぐに教会の開拓を行いました。
そして、オアフ島のホノルル市にマキキ聖城基督教会を建設。
信徒数が増えたため、教会は1932年には新会堂も建設しました
この新会堂がハワイの高知城と呼ばれる、マキキ天守閣です。
生まれ故郷の高知城の天守閣に似た教会堂を作ったんです。
プロフィールからもわかるように、奥村多喜衛さんは生まれも育ちも侍です。
その精神も気骨もまさに侍。
だから、「サムライ牧師」と呼ばれるようになり、みんなに親しまれました。
ハワイの日系二世の人たちにも日本人としての誇りを忘れずにアメリカで活躍してもらいたいというのが願いでありました。
太平洋戦争が始まり、ハワイでは多くの日系移民が迫害を受ける悲惨な状況になりました。
しかし、そんな大変な中でも教会は弾圧に屈することはありませんでした。
ハワイの高知城は現在、アメリカで最大の日系教会なり、日系人だけでなく、多くのアメリカ人も訪れるようになってます。
このような業績のある奥村多喜衛さんですが、財政的にはそれほど恵まれてはいませんでした。お金持ちではなかったんです。
ではなぜ、偉業と言われる業績があるのか?
その理由は「人」です。
奥村多喜衛さんの人生の足跡を辿ればわかりますが、人を大切にし、人を育ててきたんです。
お金はないけど、お金では決して買えないものを大事にしてきたんです。
このような人生を歩んできたからこそ、みんながいろんなことに協力してくれました。
現代の社会はお金優先とも言えるものです。
しかし、お金がなくても出来ることをもう一度考え見直すことも必要だと思います。
奥村多喜衛さんの人生について調べた管理人ですが、人を大切にすることが結局は自分のためにもなるということをあらためて認識した次第です。
偉大な業績にばかり目がいってしまいがちですが、サムライ牧師こと奥村多喜衛さんという人間自身を理解しないとあんまり意味が無いでしょう。
ただ感心するだけですぐに忘れてしまいます。
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