宮城まり子(ねむの木学園長)の今現在!夫と子供は?若い頃にもフォーカス!

ねむの木ひと
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ねむの木

こんにちは。

夜がすごく寒くなってきた熊本市在住の管理人です。

もう11月に入りましたから、当然といえばそうなんですが。

風邪などに気をつけてくださいね。

さて、今回フォーカスするのは、宮城まり子(みやぎまりこ)さん。

昔

歌手や女優としてこれまで活躍されてきた女性です。

若い人の中には名前を知らない人が多いのではないでしょうか?

テレビに出演されるってことを知ってすごく気になった管理人です。

というわけで、宮城まり子さんが今現在どうされているのか、夫と子供、そして昔の若い頃にもフォーカスしてまとめてみました。

その他に生い立ちやプロフィールも紹介します。

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宮城まり子の今現在は?

今現在

宮城まり子さんの今現在が気になっている方は多いようですね。

実は、2012年から歌手活動を30年ぶりに再開されているんです。

『探検バクモン「ねむの木学園・宮城まり子89歳に会いに行く」』というテレビ番組が放送されるんですが、見たいと思っている人がかなりいることがわかりました。

プロフィールのところにも書きますが、現在の年齢が89歳とご高齢なんで、若い方にはほとんど馴染みがないと思います。

というか。名前を聞くのは初耳って人の方が多いのかもしれません。

宮城まり子さんは今現在、ねむの木学園の理事長・園長・校長を務められています。

「ねむの木村」の運営もされています。

日本で初めての肢体不自由児養護施設なんです。設立は1948年。

設立したくらいの時期からタレントとしての活動はほとんどされず、事実上の引退状態となっていました。

その間にもいろんな活動をされており、1979年には、ねむの木養護学校を設立されています。

今年2016年は悲しいニュースがたくさんありました。

その一つが永六輔さんがお亡くなりになられたことです。

宮城まり子さんは永六輔さんが作詞した曲も歌ったことがあるので、寂しいということをコメントされていました。

皇后さまが「ねむの木学園」の美術展を鑑賞されたことも今年のニュースにありました。

今現在もお元気に活躍されているということなんです。

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夫と子供について

不倫

宮城まり子さんは結婚されたことがありません。子供もいません。

一応、生涯独身ってことになりそうなんですが、実はそうではないんです。

宮城まり子さんのことを調べていると、作家の吉行淳之介さんの名前が必ず出てきます。

吉行淳之介さんは結婚して約10年後に宮城まり子さんと知り合いました。

ということは、吉行淳之介さんには妻がいたんです。

それにもかかわらず、宮城まり子さんと交際していました。

正確には不倫関係ってことになるんでしょうね。

吉行淳之介さんがお亡くなりになるまで良い関係にあったようです。

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若い頃と生い立ちが気になる!

昔の若い頃

家族は父親と母親と弟がいました。

弟さんの名前は八郎さんといいます。

宮城まり子さんは2人姉弟の姉なんです。

父親の仕事の関係で小学3年からは大阪で暮らし育ちます。

小学5年の時の父親の事業の失敗と母親が亡くなるという辛い出来事を経験されます。

そのため、小学校卒業と同時に弟と共に吉本興業に入ることになりました。

歌謡曲を歌われていました。

まだ幼い若い頃に母親と別れることになるなんて、とんでもなく辛い少女時代だったでしょうね。

初舞台は戦時中でした。戦前のお生まれですからね。

15歳のときでした。

宮城千鶴子という芸名で吉本興業直営の大阪花月劇場に出演されたんです。

その後、終戦を迎えるまでは自分の一座を率いて巡業などをされていました。

戦後になりますが、1948年に父親と弟とともに上京して浅草の舞台に立つことになります。

翌年の1949年には日劇の舞台に主役として出演。

1950年にテイチクから「なやましブギ」でデビューされます。その後ポリドールへ。

さらにビクターに移籍した後、「あんたほんとに凄いわね」が初めてヒットしました。

1953年の「毒消しゃいらんかね」は流行して歌手としてその名前が知れ渡るようになりました。

その後もいろんな曲でヒットを連発されています。

NHKの紅白歌合戦に出場したり、声優をされたりもしました。

その後に女優さんとしても活躍されることになります。

ちなみに、弟の八郎さんは宮城秀雄という名前で作曲家として活躍されました。

その後に、ねむの木学園の設立ということになります。

宮城まり子さんの昔の若い頃や生い立ちについて説明しましたが、幼い頃から結構苦労されたのではないかと思います。

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プロフィール

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最後にプロフィールを紹介して本記事を終わりにしたいと思います。

芸名:宮城まり子(みやぎまりこ)

本名:本目眞理子(ほんめ まりこ)

生年月日:1927年3月1日 今現在の年齢は89歳

出身地:東京府東京市蒲田区

学歴についてなんですが、小学校を卒業すると同時に吉本興業に入られていることから小学校卒ということになりそうです。

学歴なんかどうでもいいんですけどね。一応念のために。

『まり子の「ねむの木」45年』という本をはじめ、著作も多数あります。

上の画像がその本です。

東京都名誉都民、東京都文化賞受賞など数々の表彰歴があります。

細かく詳細な経歴についてはwikiなどにまとめられているので、本記事では省略させていただきます。

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コメント

  1. 松永行子 より:

    6/19(月) 静岡江崎ホールに宮城まり子さんがお見えになりますね。私は、静岡市清水区に住んでおりますが、清水駅から400m海側に建設が計画されているLNG火力発電所の中止を願っております。予想される南海トラフ巨大地震による災害リスクが高まること、大気汚染の悪化、シラス・桜エビの漁獲減少、景観の悪化など静岡市の明るい将来を閉ざすのではないかと憂慮しております。特に世界文化遺産となった富士山、その構成資産となった三保の松原の景観を損なう2本の煙突、巨大な建物は、絶景と称賛される日本平や三保の松原からの富士山の眺めを損ないます。私達清水の環境を考える女性の会のメンバーは、川勝県知事との対話を1年前から切望しております。宮城さんは、川勝県知事と懇意とのこと、ぜひ知事とお話する橋渡しをしていただけないでしょうか?突然のお願い大変驚かれたことと思いますが、何としてもこの計画を中止してほしい、そのためには川勝県知事にお願いするしかない事態になっております。江崎ホールには私も資料持参で参加します。何卒宜しくお願い致します。

  2. 森永 國昭 より:

     宮城まりこは知っています。小6のとき親類と国鉄のバスに乗り近くを観光したことがありました。そのときガイドさんが「歌のリクエスト」所望されました。そのとき「ガード下の靴磨き」を頼んだら、「まだその歌は覚えていないので」と言われたことを覚えています。
     それくらい昔の歌です。もう60数年前になります。

     宮城まりこさん。記憶の底にあります。昔小6のとき親類の国鉄に勤めておられた方の子供と近くを観光したことがあります。ガイドさんが歌のリクエストを所望されて、そのとき「ガード下のくつ磨き」をたのみました。すると「まだその歌はおぼえていないので」と言われました。もう60数年前のことです。