今回フォーカスしたのは、元東京都知事の舛添要一(ますぞえよういち)さん。
自らの辞職でした。
ところで、昔、若い頃はしょっちゅうテレビで見かけていたようなイメージがあります。
都知事時代に辞任するという結果になったことがかつて大きな話題になりました。
今回はそんな舛添要一さんの妻と子供、現在と若い頃、出身高校や大学などの学歴や経歴のプロフィールについて調査!
現在に関しては都知事時代も含めて、年収や月収なども気になるところですね。
舛添要一の妻と子供
舛添要一さんは、今現在の妻とは1996年に結婚しています。
相手は元秘書。
名前は雅美さんという15歳年下の女性。
夫の舛添要一さんは政治資金の私的流用問題で過去にピンチ状態になったことがあります。
そんな中、妻は六本木の超高級ホテルでママ友たちとビュッフェでランチ。
このランチビュッフェなんですが、おひとり様の値段がなんと4650円。
これがニュースで報道されていました。
こんな時に奥さんまでお金のことで書かれるとは。
その日の帰宅後に週刊女性が奥さんにインタビューした内容も書かれていました。
怒りの表情だったとか。
話をもとに戻しますね。
舛添要一さんは実はこれは3度目の結婚なんです。
2度の離婚歴があるということです。
現在の奥さんとの間には2人の子供がいます。
息子さんと娘さんが1人づつ。
一番最初の妻はフランス人でした。
一般の方です。
この元妻は舛添さんが留学中に知り合った女性。
2人目の元妻は、片山さつきさん。
当時は大蔵省官僚をしていて、名前は朝長さつきさんでした。
この方は元ミス東大という経歴もお持ちです。
元夫の舛添要一さんの問題では、セコい、ケチだとか言って、昔と変わっていないことも指摘。
昔からどうもお金に関してはそのようだった可能性もあるようですね。
出会ったきっかけはお見合いで、1986年に結婚。
しかしながら、この結婚はうまくいかず、当時妻であった片山さつきさんが弁護士に相談するなどして調停となり、1989年に離婚しています。
子供に関してはまだ続きがあるんです。
上で説明した元妻以外の日本人女性2人との間に婚外子が3人いるんです。
今の嫁さんとの間に2人の子供があるから、実子は全員で5人となります。
ちなみに、婚外子とは婚姻届を提出していない男女間に生まれた子供のこと。
要するに結婚してない関係の間の男女の子供です。
つまり、婚外子の母親は舛添要一さんの愛人ってことになります。
2番目の妻の片山さつきさんと結婚していた当時に不倫していたようなんです。
しかも、その人には離婚したら必ず籍を入れると約束していたとか。
しかし、子供を産んだところ、この約束を反故にしてしまいます。
さらに、2年もの間認知を拒み続けたらしいんです。
その子供さんは戸籍上は舛添さんの長男にあたる息子さんです。
現在30歳を超えており、重度の障害があるようです。
舛添要一さんが参議院議員をやめて、一度目の都知事選に出馬したときの話なんですが、自分は議員をやめて収入が減るから、障害を持つ息子さんの養育費を大幅に減額してくれと申し入れてきたそうです。
裁判になりましたが、申し出は却下されました。
このことで、今まで謝罪は一度もないと元不倫相手の母親が女性自身のインタビューに答えています。
さらに、こうも言ってます。
娘は重い障害のある息子を抱えて必死に生きてきたと。
それなのに養育費の大幅減額を申し入れてきた。
舛添要一さんご自身は政治資金流用で公私混同な事をやってきたのにもかかわらず。
この母親はものすごく怒っていたようです。
そんなピンチの時に、こんなことが報道されたので、舛添要一さんのイメージがますます悪い方向へ行ったりしたみたいです。
舛添要一の現在
舛添要一さんについてはいろんな点に関して現在が気になっている方が多いと思います。
特に都知事辞任以降の動向や別荘のことととか。
以前はテレビでしょっちゅうお見かけしてたイメージがありますが、現在というか最近はほとんど見かけないような感じがします。
いやいや、今も舛添要一さんはいろいろと忙しく活動されています。
舛添要一さんの公式サイトをチェックすれば、それはよくわかります。
テレビ出演、週刊誌関係や連載、ブログ、Twitterなどの情報がオフィシャルサイトのトップページで確認できます。
新着情報がいろいろとあり、積極的に忙しく活動されていることがよくわかります。
つい先日というか、今話題になっている韓国のGSOMIA破棄決定と文在寅さんについてのブログ記事も投稿されていました。
舛添要一の今の年収や月収は?
都知事時代にお金関係でいろいろと話題になりましたが、現在の収入や月収について興味ある方も多いと思います。
今から4年くらい前の情報なんですが、給与所得、不動産所得や配当所得などをあわせると、年収は3000万円以上あったようです。
都知事辞職後の1年数ケ月後の2017年の情報だと、現在の月収は「事務所から入る11万円」と明かしており、貯金を切り崩した生活をしていたようです。
では、2029年今現在の年収や月収は?ってことになりますが、2019年8月25日(日曜)の22時00分~放送の「林先生の初耳学」という番組内で現在の収入などについて舛添要一さんがインタビューされます。
その結果が判明してから本記事に情報を追記したいと思います。
舛添要一の若い頃
舛添要一さんの若い頃なんですが、経歴を見るとある程度は想像できると思います。
公式サイトに詳しく記載されています。
受勲についても記載されています。
若い頃から活躍されてきたのは事実です。
以前はテレビでも毎日にように見かけていたようなイメージもありますしね。
難しいことよりも、今と若い頃のルックスの違いの方に興味がある方が多いかもしれません。
舛添要一さんの過去!
舛添要一さんは、昨年2018年にご自身のTwitterで髪がふさふさだった青年時代の写真を公開しました。
ニュースにもなり話題になり好評を博したようです。
実際、イケメンです!
若い頃はこの写真のように髪がふさふさで、国際的にもてたと自分で言っておられますが、確かに納得できます。
かっこいい!
20代の若い頃、舛添要一さんは東大卒業後にフランスやスイスなどで客員研究員を務めたりしていました。
気鋭の国際政治学者として活躍していたんです。
写真を見ると確かにイケメンなので、国際的にもてたとご自身で言っておられるのは、単なる冗談ではなく本当だった可能性が高いですね。
また、本記事冒頭の画像のように「朝までファミコン 」という舛添要一さんのゲームソフトまであったことから、若い頃にかなり注目され、話題になっていたこともわかると思います。
舛添要一の韓国在日帰化説とは?
韓国人だとか朝鮮人だとか在日であるとか帰化してるんだという噂が舛添要一さんにはあります。
元韓国大統領の朴槿恵(パククネ)さんと会談したこともあります。
その時に、東京都内で出ている在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチに関して、都としてはこのような発言は絶対に許さないと言っているんです。
そして、帰国後には国会できちんと法律をつくることがこのような問題への対応になるということを述べました。
韓国内での反日運動規制に関しては、韓国自身のことだから、われわれがとやかく言う話ではないと。
一方、諸外国での反日運動については極めて不快であると発言しています。
この舛添要一さんの訪韓自体が韓国外交に利用されたと当時批判を受けました。
この時に、舛添要一さんが在日であるとか、妻が中国人であると書かれたりしました。
こんなことなんかで、韓国、在日、帰化なんていうキーワードが舛添要一さんに関連してしまったようなんです。
2014年に韓国を訪問しているんですが、その時に、東京都民の90%は韓国が好きなんて韓国のパク・クネ大統領と会談中に発言して物議をかもしたこともあります。
これって舛添要一さんご自身が韓国好きなだけなのかもしれません。
1989年の「朝まで生テレビ」で、舛添要一さん自らが在日朝鮮人だと告白していたという話もあります。
日本の文化や習慣を完全にマスターした朝鮮人もいる。
それが自分なのだとカミングアウトしたとか?
ここでは全部を紹介しませんが、韓国関係の話がやたらと多いんです。
それで、在日朝鮮人だとか帰化人っていう噂や疑惑が出てるようです。
事実はどうなのか?
舛添要一さんは日本人です。
生い立ちなんかを調べるとわかります。
ただ、母親は朝鮮人だったようで、そのことで結構いじめられていたという話もあります。
父親は日本人だから、ハーフというのが正しいのかもしれません。
大学へは韓国教育財団もしくは朝鮮奨学会の奨学金で進学しているようです。
これらの奨学金には返済義務がないからのようです。
こんなことでも韓国や朝鮮との関係がありますが・・・。
韓国人だとか朝鮮人だとか帰化人だとか、明確な根拠もなく決めつけられている芸能人や有名人がたくさんいますね。
ただ気に入らないだけとか嫌いだからっていう理由だけでそんな噂が流されているようにも思えます。
舛添要一の出身高校と大学について
舛添要一さんの出身高校は福岡県立八幡高等学校で、出身大学は東京大学法学部政治学科です。
高校時代は陸上部に所属し短距離選手としてインターハイにも出場しています。
学歴に関してはすごいの一言ですね。
舛添要一の生い立ちと父親と母親
舛添家は江戸時代から続く庄屋の家系です。
幼少期は両親が青果店を営んでおり、比較的裕福な家庭で育ちましたが、父親が亡くなってからは家業は傾いていき、貧困の中で生活し、苦労しながら勉強をされてきました。
舛添要一さんの父親は戦前、炭鉱などさまざまな事業をやっていました。
若松で石炭商を営んでいたのですが、その事業が行き詰まって次には八幡東区で八百屋を始めたものの商売はは厳しかったようです。
若松市議会選挙に1930年に立候補されたこともあります。
立憲民政党陣営からの立候補でありましたが、残念ながら落選という結果になっています。
母親は、長野県駒ケ根市の小池家の出身です。
家族内では長男で姉が4人います。
舛添要一さんが小学2年以降は父親が大変なことになり、家族は長女の働きで糊口を凌いだという話があります。
また、中学2年生の時に父親がガンで亡くなられます。
そのため、早く働いて稼がないといけないという状況にあったようです。
後に東大に合格されるくらいですから、当然成績は良かったのですが・・・。
当時、国策で進められたのが5年制の国立工業高等専門学校の設立。
北九州に住んでいた舛添要一さんの家から一番近いところにあったのが山口県の宇部高専です。
高専に進学して技術者となり、地元の大企業に入ることで生活状況を早く安泰にしたいと思っていたそうです。
北九州といえば、歴史の教科書にも出てきますが、官営八幡製鐵所ですよね。
それで、高校受験では、宇部高専と福岡県立八幡高校を受けて、両方とも首席合格だったようです。
都知事にまでなった舛添要一さんですが、このように学生時代など若い時も含めて、生い立ち的にはかなり大変だったようです。
最後にプロフィールを紹介します。
舛添要一のプロフィール
名前:舛添要一(ますぞえよういち)
生年月日:1948年11月29日 現在の年齢は70歳
出身地:福岡県八幡市(現在の北九州市) 東京都世田谷区在住
出身小学校:八幡市立祝町小学校(現在の北九州市立祝町小学校)
出身中学校:八幡市立大蔵中学校
出身高校:福岡県立八幡高等学校
出身大学:東京大学法学部政治学科
学歴はすでに紹介しましたが、1971年には東京大学法学部の助手に採用されました。
政治学者、参議院議員、東京都知事、自民党議員、厚生労働大臣などとしての経歴はwikiにかなり詳しくまとめてあるので、本記事では省略します。
マドンナ議員批判や実姉の生活保護受給問題、介護に関してのエピソードなど、舛添要一さんにはいろんな話題があります。
また、著書や論文も多数。
オフィシャルサイト、オフィシャルブログ(Ameba)、Facebook、Twitterがあります。
興味がある方は覗いてみてくださいね。
余談ですが、興味深い事実を一つ紹介します。
よど号ハイジャック事件に関してですが、舛添要一さんはこの飛行機の搭乗券を予約していましたが、実際には乗らなくて事件を免れています。
また、日本航空123便墜落事故でも、予約していたのに乗らなかったから事故を免れているんです。
飛行機関係でこんな不思議な話があったんです。
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