名前の呼び方がちょっと難しいですね。
今現在の年齢は80歳ですが、現役の医師として活動されています。
小堀鴎一郎医師の訪問診療医としての在宅医療に関する本もあります。
タイトルは「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」
在宅医療といえば、今後の日本での重要なテーマの一つですね。
このように在宅医療で有名な方ですが、のちほど説明するように明治~大正時代に活躍した小説家の森鴎外のお孫さんでもあります。
小堀鴎一郎医師の名前にも祖父の森鴎外の「鴎」が使われています。
小堀鴎一郎医師と堀ノ内病院
小堀鴎一郎医師が常勤医として在籍している堀ノ内病院というのは「社会医療法人社団 堀ノ内病院」で、埼玉県新座市にあります。
現在、その病院で小堀鴎一郎医師は名誉院長を務められています。
もともと地域医療を掲げている病院です。
小堀鴎一郎医師が勤務されている堀ノ内病院についてさらに詳しく知りたい方は病院のホームページをチェックして見るといいと思います。
→ http://www.horinouchi.or.jp/
Facebookもあります。
小堀鴎一郎医師は森鴎外の孫
すでに記事冒頭でも説明したように、小堀鴎一郎医師は文豪と呼ばれる森鴎外のお孫さんです。
名前の一部に祖父である森鴎外の「鴎」と同じ字が入っています。
森鴎外には先妻と後妻がおり、孫は全部で13人います。
先妻は登志子さんといい、後妻は志げさんといいます。
小堀鴎一郎医師は森鴎外の後妻の志げさんの孫です。
この辺についてはのちほど詳しく解説していきます。
森鴎外の家系図を見ると、なんかすごそうな方がたくさんいます。
やはり、家系的にみんな優秀なんでしょうかね。
小堀鴎一郎医師の経歴について
ここでは、小堀鴎一郎医師のこれまでの経歴を略歴として説明します。
東京大学医学部医学科卒業。医学博士です。
大学卒業後、東京大学医学部付属病院第一外科、国立国際医療研究センターで外科医として約40年間勤務されてきました。
定年は65歳。
そして、定年退職後に埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任され現在に至ります。
森鴎外のお孫さんってことだけでもびっくりしますが、東大病院のエリート外科医だったという経歴もお持ちなんです。
定年後は堀ノ内病院に勤務して在宅医療に携わってこられましたが、なんと軽自動車で患者さんの家を一軒一軒診て回るということをされています。
経歴的には異色の医師と言えるかもしれません。
大学病院で外科医として活躍され、、国立の医療機関で院長にまでなられた後に民間病院ですから。
小堀鴎一郎さんは医師としてだけでなく、人間的にも非常に興味深い方だと思います。
出身高校と大学
小堀鴎一郎さんの出身大学は経歴のところですでに紹介したように東京大学医学部医学科。
出身高校は都立戸山高校。
東大医学部卒業なので、理科Ⅲ類かと思いきや、高校卒業後に進学したのは東京大学理科Ⅱ類。
現在、理科Ⅲ類以外からも医学部医学科には進学可能なんですが、小堀鴎一郎さんが東大におられた当時には理科Ⅲ類はまだありませんでした。
なので、医学部医学科へは理科Ⅱ類からの進学となっています。
昔は東大入試では理科I類と理科II類しかなかったんです。
1962年度に教養学部に理科Ⅲ類が設けられたんですが、新制大学になった1949年からそれまでは理科は理科I類と理科II類の2つだけでした。
余談になりますが、現在東京大学理科Ⅲ類合格者の約6割が大学進学の受験塾である「鉄緑会」の出身です。
以上、学歴でした。
母親と父親と兄弟
小堀鴎一郎医師の家系図についてはすでに紹介しました。
家族関係も気になるところです。
母親は森鴎外の次女の小堀杏奴(こぼりあんぬ)さん。
随筆家でした。
父親は油彩画家の小堀四朗(こぼりしろう)さん。
小堀遠州の子孫です。
小堀遠州とは、小堀政一(こぼりまさかず)ともいい、安土桃山時代から江戸時代の前期における大名です。
兄弟についてですが、2人兄弟です。
小堀鴎一郎医師は長男で、長女が小堀(横光)桃子さん。
小堀(横光)桃子さんの夫は、作家の横光利一さんの二男である横光佑典さんです。
妻と子供
小堀鴎一郎医師の結婚関連の情報なんですが、妻や子供に関するものは特にありませんでした。
なので、これに関しては不明ということで終わりにしたいと思います。
プロフィール
最後になりましたが、プロフィールを紹介して本記事を終わりにしたいと思います。
名前:小堀鴎一郎(こぼりおういちろう)
生年月日:1938年生まれ(誕生日は不明) 現在の年齢は80歳
出身地:東京都
今、80歳という年齢ですが、趣味はマラソン。
これにはちょっとびっくりしました。
コメント
小堀鴎一郎さんが東大に入学された時期には理科3類はまだ無く、理系は1類と2類だけでした。医学部進学希望者は主に理科2類に入学しました。
H.Yoshii様。コメントありがとうございます!
東大には当時理科三類がなかったのですね。