今日も熊本市からこんにちはの管理人です。
休みの日の楽しみっていうと、外出の予定がないならやっぱりテレビです。
本日注目している番組が「NHKスペシャル」。
毎回ほぼ欠かさず見てしまいますね。
内容がいいものが多いんです。
番組タイトルが、NHKスペシャル選「ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~」というのが今回放送されます。
昨年2016年8月13日に本放送があったんですが、それのアンコール放送なんです。
第43回放送文化基金賞 最優秀賞、第54回ギャラクシー賞 大賞、第71回文化庁芸術祭賞 優秀賞の受賞作品です。
管理人的には特に国際とか政治系のジャンルが個人的な好みです。
アンコール放送ってことでついついかなり期待してしまいます。
今回の放送のテーマは、1993年に日本の自衛隊が初参加したカンボジアPKOに関するものです。
当時、75人の警察官が文民として派遣されました。
UNTACに文民として初参加していた日本人警察官が5人いました。
UNTACというのは、国際連合カンボジア暫定統治機構(United Nations Transitional Authority in Cambodia)の略称です。
残念なことではありますが、そのうちの1人が任務中に殉職されたんです。
武装ゲリラによるものでした。
その方が岡山県警警視の高田晴行(たかたはるゆき)さんです。
当時33歳で階級は警部補でしたが、殉職後に二階級特進で警視になられました。
そんなわけで今回は、高田晴行さんの家族のその後が気になって調査しました。
妻と子供、父母は高田晴行さんの殉職後にどうなったのか?
そんなことをメインに解説していきます。
任務中とは言え、夫や子供が突然殉職なんてことになったら家族は悲しみだけでなくいろんな面でその後が大変になることが考えられます。
他人事とは管理人にはとても思えません。
そういうことで今回の記事のテーマとして選びました。
高田晴行さんはカンボジアで亡くなられたわけですが、実はその際の悲劇というか惨劇は今だに検証されてないんです。
そんな中、当時の隊員たちが重い口を開き始めているという事実。
カンボジアPKO全体で見ると、亡くなられた殉職者は高田晴行さんだけではないんです。
もう一人います。
国際連合ボランティア(UNV)の中田厚仁(なかたあつひと)さんです。
余談になりますが、この方の父親は父は国連ボランティア終身名誉大使の中田武仁さんです。
こんなことも解説していけたらと思います。
高田晴行について
まずは高田晴行さんの学歴や経歴などを含めたプロフィールについて紹介します。
名前:高田晴行(たかたはるゆき)
生年月日:不明
出身地:岡山県倉敷市
身長:180cm
出身高校:倉敷南高校
出身大学:専修大学
高田晴行(警視)さんは、岡山県倉敷市水島の市営種松山墓地に眠られています。
1997年に父親がカンボジアのプノンペン市郊外にあるタン・コーサン寺院内に慰霊碑を建立されました。
2012年には皇太子殿下が慰霊碑に献花され静かに手を合わせておられたのが印象的でした。
国連平和維持活動(PKO)の任務中に殉職されたわけですが、黒木雅文駐カンボジア大使から殉職時の説明を受けられていました。
皇太子殿下はどういうご心境だったのでしょうね?
2013年には安倍晋三首相が慰霊碑に献花をされました。
家族のその後
家族には父親の高田雅夫さんと母親の高田幸子さんと姉の国府和子さんがいます。
父親は、一人息子である高田晴行さんが亡くなられた数年後にある理由により亡くなられています。
このことは後ほど詳しく解説します。
母親からすれば、愛する息子さんが殉職されたわけですが、その後に母親が名誉会長となり、高田晴行さんの出身高校である倉敷南高校の同級生や有志の方々をメインに高田晴行基金が創設されました。
この基金の目的はもちろんカンボジアの復興と安定を強く願うものですが、高田晴行警視の功績や意志を受け継ぐものです。
将来的には高田晴行学校(スクール)や孤児院の建設も考えられています。
妻と子供さんに関してはこのあとに説明します。
妻と子供
高田晴行さんはご結婚されていて妻と子供さんがいました。
名前は不明です。
子供は2人で長男と次男の息子さんです。
高田晴行さんは殉職当時33歳で、その頃の報道では妻は31歳、長男は3歳、次男は1歳。
4人家族でした。
岡山県にある県警公舎で生活されていました。
妻と幼い子供を残したまま天国へと旅立たれたわけですが、やはり心残りなことが多かったと思います。
カンボジアで亡くなられたんですが、お体はその後にバンコクに移送されてプミポン空軍病院に収容されました。
当時警部補だった高田晴行さんの遺族として父親と母親と妻がバンコクの病院に行き対面されました。
想像がつきませんが、家族はとんでもない悲しみに包まれたことと思います。
そして、亡くなられたお体は故郷の岡山県倉敷市へと向かいました。
情報は全くありませんが今現在の奥さんと子供さんがどうされているのかが非常に気になるところですね。
父母と姉は?
家族といえば妻や息子さん達だけでなく、父母と姉の今現在も同様に気にかかりますね。
すでに説明しましたが、父親は高田雅夫さんといいます。
1999年のことになりますが、息子の高田晴行さんの七回忌法要の後に自ら命を絶たれて亡くなられています。
一人息子を失った後に6年もの間悩み続けた挙句の出来事だったとも言われています。
すでに紹介しましたが、母親は高田幸子さんといい高田晴行基金の名誉会長をされています。
姉については名前くらいしかわかっていません。
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