✔重信房子さんは2022年5月28日に刑期満了で出所。
✔重信房子さんの今後は謝罪と感謝とリハビリと闘病らしい。
✔娘の重信メイさんの父親はパレスチナ人の活動家。
重信房子(しげのぶふさこ)さんは、日本赤軍の元最高幹部だった女性。
2000年11月に日本国内で逮捕されたことが大きな話題となりました。
この逮捕は歴史的なものですが、そこで活躍したのが公安警察のコードネーム「ZERO(ゼロ)」と呼ばれた秘密の捜査官たち。
今回は、重信房子さんの現在と今後について、娘のメイさんとその父親、さらに出身大学や高校などの学歴、プロフィール、生い立ちに焦点を当て解説していきます。
日本赤軍のメンバーの現在や「総括」なんかも興味ありますね。
夫と娘はいったいどんな人なのか・・・?
重信房子の現在とガン治療
2014年現在の情報では重信房子さんは、通称「八刑」と呼ばれる東京都の八王子医療刑務所に収容されているということでした。
しかしながら、2020年現在の情報では、東日本成人矯正医療センターにおいて抗がん剤治療を行っているとなっています。
東日本成人矯正医療センターは、八王子医療刑務所が2018年へ移転して名称が変わった医療刑務所です。
服役中なんです。
ここで抗ガン剤の治療を受けているんです。
獄中でがんを患ったことから体調は思わしくないようです。
医療刑務所は、全国に4箇所あるんですが、受刑者の終末期のケアをおこなっているのは八王子医療刑務所だけなんです。
といっても、重信房子さんが終末期かどうかは不明です。
小腸がんで3度も手術をしているそうです。
しかも、大腸、卵巣、子宮に転移しているとの情報が当時ありました。
重信房子さんは、「ハーグ事件」への関与で国際指名手配を受けていましたが逃亡を続けていました。
その後、2000年に逮捕。
2006年には東京地方裁判所で懲役20年(求刑無期懲役)の判決を言い渡されました。
そして、現在に至ります。
現在といえば、超法規的措置で釈放され逃亡している国際指名手配中の佐々木規夫さんと大道寺あや子さんも気になりますね。
https://common-topics.com/sasakinorio-daidojiayako/
重信房子の今後
現在の心情を記した一部支援者への手紙では、刑期満了で出所後は謝罪と感謝とリハビリと闘病で精一杯であるとのこと。
出所後はがんの治療に専念するようです。
特に出所直後はこれからの活動などの動向にかなり注目が集まることは間違いないでしょう。
ここで、重信房子さんのプロフィールを紹介します。
重信房子のプロフィール
名前:重信房子(しげのぶふさこ)
戸籍名:奥平房子
生年月日: 1945年9月28日 現在の年齡は76歳
出身地:東京都世田谷区
出身高校:東京都立第一商業高等学校
出身大学:明治大学文学部史学地理学科(日本史学) 夜間学部です
重信房子の娘メイの父親は誰?
重信房子さんには子供がいます。
それが娘さんの重信メイさんです。
重信房子さんは奥平剛士さんという方と結婚し、その後、パレスチナ人の男性と結婚します。
このパレスチナ人が重信メイさんの父親です。
パレスチナ人の活動家でした。イスラエルとの闘争中に亡くなられたと考えられています。
このことは後ほど解説します。
重信メイさんのプロフィールから紹介します。
本名は、奥平メイといい、1973年3月1日生まれで現在の年齡は43歳。レバノンのベイルートで生まれました。
レバノン系及びパレスチナ系日本人のジャーナリストで、ニュースキャスターや女優業をされていたという経歴もあります。
職業はジャーナリストってわけです。
学歴については、出身大学はベイルート・アメリカン大学で、卒業後はその大学の国際政治学科大学院に進学されています。
1998年~2001年の間にレバノン大学でジャーナリズムを学びました。
驚いたのは28年もの間が無国籍だったてことです。
日本国籍を取得したのは2001年で、その年に初来日しました。
その後、同志社大学大学院社会学研究科メディア学の博士課程を修了されました。
河合塾の英語講師、APF通信社記者、APF通信社リポーター、中東放送センター東京特派員をされたりしていました。
著書もあります。例えば「秘密」という本です。それが上の画像です。
学歴も経歴もすごいです。
日本語、英語、アラビア語のトライリンガルでもあります。
今現在は結婚しておらず未婚です。
重信房子の学歴と生い立ちについて
学歴はプロフィールのところで説明しましたが、出身大学は夜間の学部です。
キッコーマンで働きながら大学でも学んでいたんです。
生い立ちについては、出身地の東京都世田谷区で、4人兄弟の次女として生まれました。
父親の重信末夫さんは、第二次世界大戦前の話しになりますが、血盟団事件に関わった右翼団体金鶏学院の門下生でした。
重信房子さんはこの父親の影響をかなり受けているようです。
「小さな親切運動」で表彰を受けたり、文学少女でもありました。
その後、学生運動に関わり、共産主義者同盟赤軍派の創立メンバーになります。
新左翼党派の一つなんですが、これが後の連合赤軍や日本赤軍などの母体となりました。
1971年には「国際根拠地論」に基礎にして、パレスチナに赤軍派の基地を作ろうとします。
そして、奥平剛士(おくだいらつよし)さんと偽装結婚します。
だから、戸籍名が奥平房子なんです。
この方は、日本赤軍の創設メンバーで最高幹部でした。
岡山県立岡山朝日高等学校から京都大学工学部に入学され、大学在学中はセツルメント活動をしていました。
その後、全共闘運動に参加するようになります。
当時、京大助手の滝田修さんのパルチザンの構想に影響を受けているようです。
日本赤軍のメンバーには奥平純三さんという方がいらっしゃいましたが、奥平剛士さんの弟です。
後にテルアビブ空港での事件で亡くなられました。
この後に、重信房子さんはパレスチナ人の男性と結婚しました。
そして、パレスチナで日本赤軍を結成します。
日本赤軍の最高幹部となった重信房子さんはいろいろな事件を引き起こし、世界の国々から非難を受けることになります。
その後に国際指名手配されることになりますが、それ以後のことはすでに説明したので省略します。
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