(かわぐちみさ)さんは年齢が60歳の女性。
映画「放射線を浴びたX年後」を観たことがきっかけで、父が亡くなった原因に疑問を持つようになるんです。
父親は若くして亡くなられました。
それがビキニ環礁でのアメリカの実験と関係があるんではないかとの推測をしたんです。
今回は、川口美砂さんの経歴や映画、父親と母親と妹のこと、ビキニ事件の真相に迫ってみました。
その他に、経歴なども紹介します。
川口美砂の経歴と映画
川口美砂さんは高知県室戸市で生まれました。現在の年齢は60歳。
20代の時に上京しました。今も東京で生活されています。
東京で広告代理店を経営されているんです。
学歴についてはわかりませんでしたが、経歴の概要は上のようになります。
映画というのは「放射線を浴びたX年後」で、続編の「放射線を浴びたX年後 2」に川口美砂さんが出演されているんです。
この映画の予告編の動画がYouTubeにあるので紹介しておきます。
記事冒頭にも書きましたが、父が亡くなった原因を再び考えさせることになったのがこの映画なんです。
続編の方では、ビキニ実験が原因だったと思われる若い年齢で亡くなった漁船員の方々の遺族を訪ね歩いて聞き取り調査を続ける川口さんの姿をメインに作られています。
また、それらに取材から得られた新たな事実を交えていくという映画になっています。
父と母と妹はあの時に!
川口美砂さんの父親は当時、マグロ漁船員でした。
そして、36歳で亡くなりました。
そのために、母親と6歳下の妹さんと残されてしまいました。
これだけでも、想像できないくらい悲しいのに、亡くなった原因は酒の飲み過ぎとまで言われているんです。
出身地の高知県室戸市では、漁師さんが若くして亡くなると、みんなそれで片付けられるそうなんです。
それで、最初は川口美砂さんもそう思い込んでいました。
しかし、「放射線を浴びたX年後」という映画との出会いによってその考えが変化し始めたんです。
ビキニ事件の真相とは?
1954年にアメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を実施しました。
学校の歴史の教科書や資料集では、「第五福竜丸」の名前だけが大きく取り上げられています。
実は、この時に「第五福竜丸」以外にも、たくさんの日本の漁船や貨物船が被爆していたんです。
これがビキニ事件の真相なんです。
その真相を映画化したのが「放射線を浴びたX年後」でした。
父親もマグロ漁師として、その時期に放射性物質で汚染されてしまっていた海域で操業していました。
この事実を知ってから、川口美砂さんは自分の父親が早くに亡くなったのは酒なんかじゃないんじゃないかと思い始めたんです。
放射線を浴びたのではないかと・・・?
それで、当時の乗組員の人たちや遺族の方々の所をを訪ね、やがて補償を求める行動を開始しました。
これが、続編の「放射線を浴びたX年後 2」におさめられています。
1946年~1962年にかけて欧米の国々は、太平洋で120回ほどの核実験をおこなっています。
静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の被ばくが明らかになったのは、1954年の3月です。
しかし、翌年の1955年1月にアメリカが見舞金として200万ドルを日本政府に払ったことで政治決着してしまいました。
それ以後は調査がなされなかったんです。
第五福竜丸の乗組員の方々には、船員保険で療養給付や傷病手当金が出ました。
さらに、2000年以降にはその当時の治療で発症してしまった病気への船員保険の再適用が認められています。
しかし、他の船の乗組員の方々は被ばく治療での適用例が全く無く、公的な救済がされていないとうのが現状です。
「第五福竜丸」だけでなく、他にも多くの船が被爆していたんです。
こういった事実を知って川口美砂さんは活動をはじめました。
そして、それが映画に。
こういうことだったんです。
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