こんにちは。
今日は山鹿灯籠まつりに行く予定の熊本市在住の管理人です。
花火大会もあるので楽しみです。
相変わらずのものすごい暑さ。
夜は少しでも涼しくなるといいんですが・・・。
ところで、今日は2016年の終戦記念日ですね。
wikiには「終戦の日」というものがあります。
零戦と真珠湾攻撃を思い出します。
というわけで、今回は第2次世界大戦、太平洋戦争関係の人にフォーカスしてみます。
名前は、ジェイコブ・デシェーザー(Jacob DeShazer)さん。
キリスト教の伝道を出身国のアメリカだけでなくて日本でもおこなわれた方です。
日本本土が初めて受けた空襲「ドーリットル空襲」に参加されたアメリカ軍のパイロットでもあります。
このジェイコブ・デシェーザーさんご自身について、そして結婚と妻と娘について解説します。
また、戦後キリスト教徒となった淵田美津雄(ふちだ みつお)さんとの運命的な出会いと意外な関係についても紹介します。
淵田美津雄さんは、真珠湾攻撃総隊長であり、「トラトラトラ」を打電した有名な方です。
2人は真珠湾攻撃つながりなんです。
ごゆっくりどうぞ!
ジェイコブ・ディシェイザーとは?
1942年(昭和17年)4月18日は日本の本土がアメリカ軍から初めて空襲を受けた日です。
ドーリットル空襲(Doolittle Raid)と名付けられています。
この名称は、ジミー・ドーリットル中佐という空襲の指揮官の名前が由来です。
この日本初の空襲作戦に参加していた1人がジェイコブ・ディシェイザーさんです。
航空母艦ホーネットの16番機の爆撃手となった攻撃隊の一員でした。
戦闘機のパイロットだったんです。
当時、伍長でした。
ジェイコブ・ディシェイザーさんは、1940年(昭和15年)にアメリカ陸軍に入隊しました。
日本時間の1941年12月8日に起こった真珠湾攻撃の時には、
アメリカ西海岸にあった陸軍航空隊で炊事担当として働いていました。
日本軍の真珠湾攻撃に復讐するためにドーリットル爆撃隊に参加することに決めたんです。
自ら志願したんです。
爆撃訓練を受け、目的地が不明の極秘任務を遂行することになったジェイコブ・ディシェイザーさんは、空母ホーネットでサンフランシスコを出発しました。
そして、ホーネットの艦内で東京を爆撃するというドーリットル空襲の命令を受けたんです。
1942年(昭和17年)4月18日に爆撃がおこなわれました。
ジミー・ドーリットル中佐が先頭になり、爆撃機が次々とホーネットから飛び立ちました。
ジェイコブ・ディシェイザーさんは最後尾発進でした。
東京爆撃の空襲後は空母のホーネットには戻らず、支那大陸(中国大陸)に向かうことになっていました。
中国国民党軍(蒋介石軍)の溧水(りすい)飛行場へ着陸することになっていました。
飛行機上から落下傘で降下したんですが、日本軍のエリアに着地してしまい捕虜になってしまいました。
捕虜収容所では取り調べの拷問や軍法会議などでかなり悲惨な体験をしています。
また、何人もの仲間が亡くなりました。
このことで、日本人をさらに憎むようになりました。
しかしその後、憎しみの原因を考察するようになり、イエス・キリストのことを思い出します。
それで、捕虜収容所の看守に聖書の差し入れを依頼しました。
その聖書を無我夢中で徹底的読み込み考え、現在の自分というものを悟ることとなります。
いつの間にか日本人に対する憎しみが慈愛へと変化していたんです。
1945年(昭和20年)8月20日に米軍により救出され、北京で解放されました。、
そして、アメリカ本土に送還
以上のように、聖書を手にしたことでキリスト教に回心したんです。
アメリカに帰国後、日本人に伝道することを志し、シアトル大学で神学を学びます。
「私は日本の捕虜であった」という日本語で書かれたパンフレットを100万部以上も日本に送り続けたんです。
1948年(昭和23年)12月には宣教師として商船ゼネラル・メイグス号でサンフランシスコから出港し、日本に初来日を果たします。
イエス・キリストの教えや言葉を伝えるためです。
ジェイコブ・ディシェイザーさんの学歴や経歴は以上のようになります。
プロフィールについて少し説明しておきます。
生年月日は1912年11月15日で、2008年3月15日に亡くなられています。
その他のことについては上で説明したとおりです。
妻と娘
ジェイコブ・ディシェイザーさんが結婚したのはシアトル大学に入学した後のようです。
在学中なのか卒業後なのかや具体的な年はわかりません。
妻に関しても全くわからないですね。
子供に関しては、キャロルさんという娘さんがいます。
日本人伝道の集まりに参加されていたということなので、父親のジェイコブ・ディシェイザーさんと同じようにキリスト教関係の活動をされているのかもしれません。
子供が娘さん1人だけなのか、他にも息子さんがいるかどうかについては不明です。
もしかしたら、妻もクリスチャンの宣教師関係のことをされていたのかもしれません。
現在ご健在かどうかはわかりません。
wikiがあるんですが、ほとんど記載がありません。
やっぱり情報が殆ど無いってことでしょうね。
NHKスペシャル「ふたりの贖罪(しょくざい)~日本とアメリカ・憎しみを越えて~」でジェイコブ・ディシェイザーさんのことが取り上げられるので、何か新しい情報がでてくるかもしれません。
その場合には本記事に追加します。
初来日の時には家族連れだったそうです。
淵田美津雄との関係
ジェイコブ・デシェーザーさんが初来日したのは1948年。
その翌年の1949年(昭和24年)12月に東京の渋谷駅前の路上でパンフレットを配っていました。
その一冊を受取ったのが淵田美津雄さん。
淵田美津雄さんは真珠湾攻撃総隊長で「トラトラトラ」を打電した方です。
2人は真珠湾攻撃つながりです。
なんと運命的な出会いでしょうか。
淵田美津雄さんは戦後、キリスト教徒になったんです。
そして、渡米し伝道をおこないました。
これまで説明してきたように、ジェイコブ・デシェーザーさんもキリスト教徒になりました。
爆撃機のパイロットとして名古屋に数100発の爆弾を投下しました。
たくさんの生命を奪ってしまったというわけです。
それで、日本に来て名古屋を中心に伝道をおこなったんです。
淵田美津雄さんと共に10年もの間、北海道から沖縄まで日本全国で伝道をおこないました。
そして、1977年にアメリカに帰国語もオレゴン州で伝道を続けられました。
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