こんにちは。
今回注目したのは築地八宝亭の件で話題となった山口常雄さん。
すでにお亡くなりになられています。
本記事では築地八宝亭の件については言及せずに山口常雄さんという人物にのみフォーカスしていきます。
中華料理店「八宝亭」の件についてはすでにインターネット上にたくさん情報があるからです。
wikiやNAVERまとめがあるくらいです。
動機なんかが気になるところではありますけどね。
八宝亭の件の詳細だけが知りたい方はそちらを参考にしてくださいね。
ところで、山口常雄さんと関係がある重要な女性がいます。
それが西野ツヤ子(太田成子)さんです。
この方についても記事後半で解説していきます。
そんなわけで今回は、元八宝亭店員の山口常雄さんの出身地や生い立ち、学歴、そしてプロフィールをリサーチしてまとめてみました。
築地八宝亭の場所や住所が気になる方もいると思います。
そんな情報も紹介します。
さらに、西野ツヤ子(太田成子)さんについても。
特に西野ツヤ子(太田成子)さんについてはその後も気になるところです。
そして最後に、中華料理店「八宝亭」の件とアプレゲール犯罪との関係についても解説します。
山口常雄(元八宝亭店員)の出身地や生い立ち
元八宝亭店員の山口常雄さんの出身地は茨城県川根村です。
現在の茨城町です。
生い立ちについて調べてみると、実家は裕福な農家で次男でした。
兄弟については情報がなく不明です。
学歴や経歴とプロフィール
山口常雄さんのプロフィールって今現在のところはほとんど情報がないというのが現状です。
ですので、断片的になりはしますが、調査してわかったことをまとめておきます。
生年月日は不明ですが、八宝亭の件が起こった当時の年齡は25歳でした。
学歴は尋常小学校の卒業です。
中学や高校、大学へは行っていません。
尋常小学校卒業後は神奈川県横浜市鶴見にある軍需工場で少年工として働いていました。
しかし、肋膜を患ったために療養生活に入ります。
1943年(昭和18年)からは地元である川根村の村役場で書記として働いていました。
この頃は女性関係が原因でお金に困っていました。
1947年(昭和22年)には配給主任となりましたが、村役場で扱っていた報奨物資の横領で1948年(昭和23年)には逮捕されることに。
この時に村役場も退職となってしまいました。
すでに説明したように実家は農家ですが、もともと農業が嫌いらしく、その後も農業の手伝いをすることもなくブラブラしていたそうなんです。
預金を引き出して遊んでいたそうです。
こういう生活はいつまでも続くわけはありません。
当然、預金は底をついてきますから。
その当時に交際していた女性がおり、家が中華そば店だったんで山口常雄さんは料理を勉強するために1950年(昭和25年)に上京します。
その後、中華料理店の築地八宝亭に住み込みで働くことになったんです。
見習いコックとして働き始めたんです。
ここでついでに築地八宝亭の場所や住所について説明しておきます。
場所は東京の築地であるとわかるでしょうけど、住所は東京都中央区築地2-8です。
中華料理店「八宝亭」の一家4人はすでに亡くなられているので、今現在はもちろんお店はありません。
以上、学歴や経歴とプロフィールでした。
西野ツヤ子(太田成子)とその後
太田成子こと西野ツヤ子さんの出身地は伊豆西海岸にある村です。
父親は漁業に従事していました。
母親や兄弟については不明です。
状況することになった原因は、妻子ある男性との結婚を父親に反対されたからです。
それで、東京に住んでいた兄を頼って上京。
その後は宿屋の女中をしていましたが、生活が困窮したために夜の女性となってしまっていました。
山口常雄さんと出会ったのは新宿旭町。
そして、八宝亭に連れてこられました。
その後が気になると思います。
築地八宝亭の件では結局、執行猶予付きの懲役3年の刑を言い渡されました。
その後、刑期を終えた後は生まれ故郷に戻って結婚され平穏無事な人生を送っられたということです。
築地八宝亭とアプレゲールとの関係
築地八宝亭の件についてはアプレゲール犯罪の1つとされています。
山崎晃嗣さんの光クラブの件もアプレゲール犯罪の1つとして有名です。
「アプレ」とは1945年(昭和20年)~1955年(昭和30年)くらいにかけてよく使われた言葉です。
この言葉のもとはフランス語の「apres-guerre(アプレゲール)」。
「apres」の意味は「~の後」、そして「guerre」は「戦争」という意味。
つまり「戦後」ってことです。
第一次世界大戦後に戦前の文化に反抗するフランスの青年たちから起こった新芸術運動がアプレゲールと呼ばれ、一般にも使われる言葉となったそうなんです。
アプレゲールの意味の「戦後」は第一次世界大戦後だったというわけですね。
ところが、日本ではこの単語が第二次世界大戦が終わった頃から出てきます。
戦後の混乱期に従来の価値観やモラル、そして習慣などが崩壊。
そして、それらに縛られることなく行動する反体制的であり反道徳的な若者たちが出現。
アプレゲールの省略形である「アプレ」という言葉は、そのような若者たちを指す言葉として日本で使われ始めたんです。
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