こんにちは。
ストレス等が原因と言われた円形ではない脱毛症がやっと治ってきた熊本市在住の管理人です。(笑)
脱毛症というよりも、気づいたら髪がない部分が知らぬ間に出来ていたんです。
見た目ではハゲていることは全くわかりません。
髪が多くて隠れているからです。
なんか部分的に禿げていたんですが、やっと治ってきたんです。
どうでもいい話なんですけど、左だけつるつるの部分がありました。
ところで、先日、脱毛のレジーナクリニックの記事を書きましたが、わざわざ脱毛しなくてもいいのでは?
なんてことも考えてしまう今日このごろです。
こんなことはどうでもいいのではありません。
今回はハゲというか薄毛をネタにされることが多い方にフォーカスしました。
ご自分でもネタにされてることもありますが。
その方とは、モト冬樹(モトふゆき)さんです。
2006年に公開されたのが主演映画の「ヅラ刑事」。
この映画の主題歌も歌われました。
長い間独身でしたが、2010年にご結婚されました。
妻となったお相手は10歳年下の武東由美さん。
熟年婚でした。
こんなことも話題になったことがあります。
また、兄弟は有名人です。
兄はエド山口さん。
今回は、モト冬樹さんの産婦人科医師の父親と母親、そして兄弟について解説していきます。
モト冬樹さんといえば兄弟も有名人なんてすごいですよね。
では、お楽しみに!
モト冬樹の父親は産婦人科の医師
モト冬樹さんは今現在66歳です。
本名は武東裕男(むとう ひろお)さんといいます。
「モト冬樹」というのが芸名で、本名でないことは日本人であれば確かに解ります。
そして、何と言ってもハゲ(薄毛)キャラで有名です。
もしかしたらハゲ・薄毛系の芸能人のなかで先駆者かもしれません。
ハゲ・薄毛系の芸能人で今が旬?な有名人ですと、トレンディエンジェルの斉藤司さんが有名ですが、ハゲを売りにしている芸能人は自虐ネタが多いのが特徴ですね。
また、モト冬樹さんは何と言ってもお笑いもできて、モノまねも出来て、更に音楽も出来るという多才ぶりを発揮しています。
さらに役者までこなせますからね。
才能がありますよね~。
本当にマルチな方です。
それがお茶の間を賑わせている最大の売りではないでしょうか?
ところで、見た目からはちょっと想像がつかないんですが、かなりのプレイボーイであることは有名で、スキャンダルにもなったほどです。
グッチ裕三さんらとコミックバンド「ビジーフォー」を結成されたのは1978年です。
当時の芸名はスリム冬樹でした。
父親はお医者さんです。
晴一さんと言います。
戦争中は軍医として中国に従軍しておられ、戦後は産婦人科の医師として働かれていました。
巣鴨で開業医をされていました。
今年2017年に100歳で亡くなられています。
すごく勤勉で優しい方であったようです。
モト冬樹さんはこのことをご自分のブログで報告されています。
将来は医者を継ぐのでは?と期待されていただけにその道を進まなかったのは何故でしょうか?
それは彼の多才すぎたゆえに芸能界が引き寄せたからではないでしょうか?
もしかしたら当時は音楽で食べていく事は、あまり良いイメージを持たれなかったかも知れません。
実はモト冬樹さんご自身は医者に興味がなかったというわけではないことをインタビューの中で語られています。
ギターとの出会いが違った道へ進ませてしまったんです。
中学までは勉強はできたらしいのですが、ギターを覚えてから学校の成績が急激に落ち込んだそうなんです。
母親からは医者になってほしいという希望があったそうですが、父親からはそれほど勧められてはいなかったようです。
しかし、父親の本心は解りません。
今はこんなに有名人になって、父親も喜んでいらっしゃると思いますし、心から応援している事でしょう。
結局医者にはありませんでしたが、医学部を受験されてはいるんです。
日本医科大学と東京慈恵会医科大学を受験されましたが、残念?なことに共に不合格となりました。
上で少し説明しましたが、父親は軍医として華北に渡っていたそうです。
何でも、医者になれば兵隊にならなくてすむ、鉄砲に撃たれないからだというのが理由でした。
猛勉強して医者になったなのだそうですが、もともと医者になる位なので、頭は良かったのでしょうね。
当時は赤紙一枚で戦争に行かされる時代でしたので、もし断れば当然非国民扱いされた訳です。
兵隊に行かなくても良い理由とすれば、お医者さんになるというのは、かなり良い選択肢だったかも知れません。
また、やはり父親(モト冬樹さんの祖父)が海軍の人であったから自分は戦争の最前線で戦って死にたくないという気持ちもどこかにあったのではないでしょうか?
でも軍医も結構危険な仕事には変わりなく、流れ弾が飛んでくる可能性も十分あります。
戦争では、現地で亡くなられた軍医の方も沢山いましたので、よく戻ってこられたと思います。
そんな父親ですが、戦争から戻ってきた後は巣鴨で産婦人科を開業したそうです。
地域の人々から愛されていたようです。
ちなみに、家の作りは母屋と病院が通路でつながっているような住まいだったそうです。
家系について
祖父は武東知亮さんといい、海軍の主計官。
曽祖父は武東晴一さんといい、警察官で警視庁の刑事でした。
名刑事で「鬼武東」なんて呼ばれたりしていました。
後に初代の築地警察署長。
最終の肩書きは警視でした。
これがモト冬樹さんの家系なんです。
なんかすごいですよね。
曽祖父が幕末に長州から江戸にやってきたということはわかっているんですが、詳しいことは今のところわかっていません。
母親について
母親もはすでに他界されています。
名前は秀さん。
晴一さんが復員して巣鴨に住んでいた時に、福島から上京して下宿を探していた時に出会ったそうです。
母親に関する情報はあまりありません。
母親は夫、つまりモト冬樹さんの父親のことをあまり好きではなかったようです。
その原因や理由については不明なんですが、このことをAmebaにあるオフィシャルブログの記事に書かれています。
兄弟は?
モト冬樹さんの兄弟は、エレキバンド「エド山口&東京ベンチャーズ」のリーダーであるエド山口さんです。
有名な方です。
血液型はB型で、今現在の年齢は69歳。
その他に兄弟がいるか調べてみましたが二人兄弟のようです。
どちらも親から医者になるように期待されていた(?)だけに芸能界の道に進まれたのは、なんらかの導きがあったかも知れません。
エド山口さんのプロフィールを簡単に紹介しておきます。
身長177cm、体重68kg、血液型はO型です。
本名は武東郁夫(むとういくお)さん。
和光大学と成城大学という2つの大学を中退しています。
親からすれば、親不孝でかなり心配させたのではないでしょうか。
勉強の方はそれほど?お好きではななかったようですが、音楽に関しては才能を発揮して、学生時代からセミプロとして、バンドの活動をしていたそうです。
「ブルーエンジェル」というバンドを結成していました。
メンバーには今も活躍されているグッチ裕三さんと実の弟であるモト冬樹さんがいました。
また、新宿『ムゲン』などでもご活躍されていました。
1982年に『お笑いスター誕生』(日本テレビ系)で8週を勝ち抜き、金賞を獲得しています。
そして、それがきかっけで、芸能界デビュー。
1996年に結成したエレキバンド「エド山口&東京ベンチャーズ」のリーダーです。
ホームページで確認する限り、今なお活躍しているようですね。
この東京ベンチャーズは、ザ・ベンチャーズをエレキの原点ととらえているそうです。
エド山口さんは主にバンド活動をしていましたが、映画やドラマにも出演しています。
また、釣り好きでも有名な芸能人ですね。
釣り番組にも色々と出演していますし、磯釣りの名人として専門雑誌にコラムを執筆もしています。
私生活でももちろん「釣り」が趣味で、独自の釣法を確立していると自負しているようです。
相当「釣り」が好きなのでしょう。
ちなみに、1990年代後半にはモト冬樹さんと、「東京ドンバーズ」で活動されていたらしいです。
こう考えるとエド山口さんの多才ぶりはご兄弟であるモト冬樹さんと通じるところがありますね。
今はBSデジタル放送で「Oh!エド釣り日記」という番組で釣りの番組をやっています。
大江戸釣り日記ではないです。
念のため注意しておきます。(笑)
二人しかいない兄弟ですので、仲良くやっていって欲しいですね。
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