こんにちは。
熊本市在住の管理人です。
2017年になって新しいことをいくつかはじめようと計画している管理人です。
といっても、正月はテレビを見てばかりいました。(笑)
計画を立てたのはいいけど、こんな感じで結局何もやらなかったとか出来なかったというパターンが多いんですよね。
芸能人の中にも今年こそは再ブレイクを狙っている方もいるかもしれません。
特に、昔の若い頃は大活躍していたんだけど、最近はほとんど姿を見ることがなくなった芸能人などです。
管理人的になんかすごく気になっているのが城みちるさんとあいざき進也さんです。
お二人とも昔の若い頃はイケメンアイドルでしたからね~。
どちらがイケメンか?なんて比較はここではやめておきます。
ファンの方からのクレームが来そうですから。(笑)
テレビで全く見かけなくなったような気がします。
だから気になってついついネットで調べたりしている人も多いと思います。
見かけなくてもファンクラブなんかがあってそのサイトが賑わっているならいいんでしょうけどね。
城みちるさんはテレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のクラスメートの山根君が大ファンということで有名ですよね。
また、ジャニーズのアイドルグループ「嵐」の相葉雅紀さんに似ているってことで話題になったことがあります。
イルカにのった少年はどこへ行ってしまったのでしょうか?
そんなわけで今回は特に城みちるさんにフォーカスします。
今現在はどうされているのか?
妻や娘について。
そして、実家についてまとめてみました。
さらには父親と被爆2世であることを告白したインタビューについても解説します!
城みちるの今現在は?
城みちるさんの今現在の活動は主に広島なんです。
出身地が広島県だからってことがあるんでしょうね。
ほとんどが地方での仕事です。
広島テレビの「テレビ派」という番組で金曜日のコメンテーターをされたりしています。
また、特番での懐メロ特集等に出演されることもありますが、老人ホームをメインとした施設への慰問コンサートなどの地方の仕事がほとんどなんです。
老人ホームでの仕事はボランティアです。
本日2017年1月4日には「甦る歌謡曲」にゲストで出演されます。
現在の姿を見たい人は要チェックですね。
被爆2世として父親の体験を語り継ぐ活動などもされています。
出身が広島ですからね。
ご自分が被爆2世であることは朝日新聞のインタビューなどで語られています。
このことは後ほど紹介します。
妻と娘
城みちるさんは24歳の時に結婚されました。
妻となった相手は一般の女性です。
しかし、1年で離婚してしまいました。
その後、1991年(平成3年)に再婚されました。33歳の時です。
現在の妻は山本けいこ(敬子)さんといい、夫の城みちるさんの故郷の広島でリポーター業などをされている方です。
セラピストの講座を開催されたりと幅広く活動されているようです。
城みちるさんには子どもさんがいます。娘です。
名前は城谷るりさんといいます。
アイドルグループひろしまMAPLE★Sのメンバーとして活動されています。
広島市の専用劇場を拠点に活動するグループです。
2016年には父娘共演を果たしました。
以上、家族についてでした。
実家について
城みちるさんの実家は電器店を経営していました。
その前に実家の歴史について解説します。
江戸時代には浅野藩の藩札を扱う両替商でした。
明治時代に入ってからは造り酒屋と郵便局と電報局を始めています。
電器店の経営は父親の代からです。
実家の規模がまたすごいんです。
築200年を超えた木造建築で土地は800坪もあります。
2階はすべて畳で100畳。
裏山から引いた水を使用しており、水道契約をしていないそうです。
ミネラルウォーターを飲んで生活されていたってことですね。
ちなみに、管理人の家も地下水を利用しています。
プロフィール
ここでプロフィールを紹介しておきます。
芸名:城みちる(じょうみちる)
本名:城谷晃太郎
生年月日:1957年11月18日 今現在の年齡は59歳
出身地:広島県安芸郡音戸町(現在の広島県呉市)
血液型:A型
身長:173cm
出身高校:堀越高等学校
出身大学:駒澤大学(中退)
出身高校については本当は複雑なんです。
以下のようになります。
武田学園呉高校(現在の武田学園高校)⇒明治大学付属中野高校(定時制)⇒堀越高等学校卒業
このようにいくつかの高校を経て堀越高等学校を卒業されています。
1973年(昭和48年)に「スター誕生!」のチャンピオンになられて「イルカにのった少年」で歌手デビューされています。
ちなみに、キャッチフレーズは「キラキラ 夢の国からやってきたロマンチック・プリンス キラキラ 」です。
城みちるさんは「ロマンチック・プリンス」だったんです。
当時、高校1年生くらいですが転校を繰り返しているのは歌手活動と関係があるんでしょうね。
上の画像が昔の若い頃のものです。
ルックスからわかると思いますが、人気がすごくありすぐにトップアイドルになってしまいました。
ルックスだけではないんです。
歌唱力も評価されていました。
また、「イルカにのった少年」は50万枚の大ヒットになっていますしね。
日本レコード大賞では新人賞も獲得されています。
1975年(昭和50年)に開催された沖縄海洋博では日本代表として歌ったなんて経歴もお持ちです。
10枚のシングルレコードを出した後に20歳で引退というか芸能活動を休止されました。
そして、駒澤大学に進学されたんです。
大学に入学後は何度か留年をされており、最終的には中退されました。
結局、歌手として活動していたのは高校の3年間だけでした。
父親との約束がありました。
それは、大学に進学して実家の家業を継ぐというものでした。
芸能活動を休止(引退)して大学に進学し、その後に中退して故郷の広島県の実家に帰った後に電器店を経営されていたんです。
このことは父親との約束でした。
そんな過去があったんです。
1981年(昭和56年)から長い期間そういう生活をされていたんです。
父親はもともと芸能界に入って活動することには大反対だったんです。
ところが、最終的には3年間という期間限定で許してもらいました。
20歳で芸能活動を休止というか引退状態になったのにはそんな理由がありました。
実家や家業についてはすでに説明した通りです。
引退から10年後に「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」で芸能界に復帰されました。
その後の活動についてはオフィシャルサイトやwikiに詳しく記載されているので、もっと知りたいかたはそちらをチェックしてみてくださいね。
父親と被爆2世について
城みちるさんが被爆2世であることはすでに説明しました。
父親は81歳ですでに亡くなられています。
原因は胆管がんでした。
デビュー後にアイドルとして多忙をきわめていた10代後半の時期には原爆とか平和に関して自分で言及することなんか想像もしていなかったそうです。
ところが、父親ががんになったことで少しづつではありますが、気持ちに変化がでてきたようです。
そして、ボランティアとして老人ホームを回る活動が始まりました。
こんな活動を始めたきっかけは父親が亡くなる直前に実家に残してあった被爆体験記です。
内容は、原爆投下から4~5日間の行動が生々しくつづられているというものです。
これを読んで胸が詰まったそうなんです。
この老人ホームでのボランティアに関しては自分の生きがいであるということを以前のインタビューで述べておられました。
ただ単にかつてアイドルとして活躍されていただけでなくこんな話もあるんです。
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