こんにちは。
熊本市在住の管理人です。
今回は脚本家の橋田壽賀子(はしだすがこ)さんにフォーカスします。
「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」などたくさんの代表作があり、それぞれがすごく有名ですよね。
管理人的には「渡る世間は鬼ばかり」が一番好きですね。
名作ドラマの数々を50年以上にわたって書いてこられました。
でも、女学校時代は文章を書くのが苦手だったなんていうエピソードもあります。
年齡はすでに91歳となられていますが、今現在もすごくお元気なんです。
そんなわけで本記事では、橋田壽賀子さんの今現在、夫と子供、熱海の自宅と終活も解説します。
その他に愛犬のことや本、プロフィールについても紹介します。
橋田壽賀子の今現在
もう脚本は書かないとかすでに終活を始めていると今現在の橋田壽賀子さんは言われています。
そして、一人暮らしをされています。
静岡県の熱海市にお住まいで東京と往復する生活を現在されています。
ちなみに、泉ピン子さんも熱海に住んでおられるようです。
すでに91歳という年齡になられています。
でも、信じられないほどすごくお元気なんですよね。
91歳で今だに現役ってとこがすごいところです。
食事や運動に気を遣っておられることが元気の秘訣なのかもいしれません。
いろいろとまだ仕事はされていますが終活に取り組んでおられるんです。
なにもないけど一番幸せとも語られています。
たくさんあった蔵書の多くは図書館に寄贈されました。
押し入れの片付けをしていて出てきた120個ものハンドバッグも処分されてしまいました。
誰も貰い手のなかったバッグはリサイクルショップに持っていったら40万円以上のお金になったそうです。
高級バッグばかりだったんでしょうね。
新聞の切り抜きなんかはすべて処分してしまったそうです。
終活ということで着々と準備をされているんでしょうね。
人に迷惑を書けたくないとも述べられており、そのためにバランスボールを使ってストレッチをしたりトレーニングマシーンを使って体力つくりにも力を入れられています。
以前は毎日近くのプールで800mも泳いでいたそうです。
そのプールがなくなってからは週に3回ジムで1時間のトレーニングをおこなうようになったんです。
2015年の12月から昨年2016年の3月まで「飛鳥II」で海外クルーズにも行かれました。
今のようなノルマに追われることのない暮らしは初めてとも述べられていました。
夫と子供と愛犬
橋田壽賀子さんが結婚されたのは1966年5月10日です。
当時41歳で、しかも誕生日に結婚されました。
夫となった相手の男性は岩崎嘉一さんです。
当時はTBSでプロデューサーをされていました。
残念なことではありますが、岩崎嘉一さんは1989年9月に亡くなられました。
死別という形の別れとなったんです。
夫だった岩崎嘉一さんは今、静岡県にある実家のお墓で母親と一緒に眠られているとのことです。
橋田壽賀子さんによると、夫はマザコンだったので喜んでいるはずと語られていました。(笑)
岩崎嘉一さんとの晩年は別荘地として有名な「熱海自然郷」で生活をされていました。
柴犬の「さくら」も一緒の生活でした。
この犬は昨年2016年に亡くなっています。
16年もの長い間一緒に生活をしてきました。
そういうわけで今現在は夫も愛犬もいないので一人暮らしをされているんです。
子供は?
息子さんか娘さんがいないのか?
そう思った人がいると思います。
あるインタビューの中で子供はいないと言われていました。
結婚当時41歳だったので、年齢的なことがあってお子さんがいないのかもしれません。
もし夫がまだ生きていたり子供さんがいらっしゃったら後ほど詳しく解説する終活に対する考えも違ってきたかもしれませんね。
熱海の自宅
熱海の自宅周辺はかなり自然が豊かだそうです。
タヌキやイノシシを見ることもあるほどなんです。
鳥のさえずりなんかも聞けるそうです。
静かですごく居心地がいい自宅らしいんです。
また、景色も最高みたいです。
標高400mの高さに熱海の自宅は建っていて目の前には網代湾が広がっているそうなんです。
そんなところで生活できるなんてうらやましいですね。
天気がいい時には初島はもちろんですが、房総半島や三浦半島まで見えるっていってますからますますうらやましくなってきます。
終活について
橋田壽賀子さんが終活を始めておられることはすでに説明しました。
今は91歳ですが、終活に手をつけられたのは89歳のときでした。
同じく熱海に住む泉ピン子さんからママはもう十分に歳をとっているんだよと言われ、「立つ鳥跡を濁さず」と考え始めたそうです。
それで、お手伝いさん達の手を借りながら自分の持ち物の整理を開始されました。
これが橋田壽賀子さんの終活のきっかけと始まりです。
ものを片付け始めることから終活が始まり、1年ほど経ってから何十年もの間たまっていたものがなくなって家の中がすっきりしたと語られていました。
終活に関しては「なにもない」ということが一番幸せだと思っておられます。
なにも残さずに亡くなりたい。
そう思っておられます。
確かに、いくらお金や物があっても天国へは持っていけませんからね。
そうは言ってもお墓だけは少し事情が違うようです。
すでに説明したように夫の岩崎嘉一さんは静岡県にある実家のお墓に入っておられます。
橋田壽賀子さんは父親の実家の愛媛県今治にあるお墓に入ることに決めているそうなんです。
すでに墓石は作り替えたそうです。
実は、夫と一緒にと思って購入した日本文藝家協会の共同墓もあるんだそうですが、そこには夫と自分の遺品の時計を入れてもらうそうです。
テレビの脚本を書き始めたのが35歳のときで、すでに60年近く経っています。
仕事が楽しすぎて仕方がなかったそうなんです。
人生を目いっぱい生きてきた感じがするとも語られています。
いろいろと説明してきましたが、終活についてまとめた本があるんです。
その本のタイトルは「渡る老後に鬼はなし スッキリ旅立つ10の心得」
上の画像がその本です。
これまでの自分の人生を振り返りながら終活について書かれた本です。
1980年代までは新幹線を使って熱海の自宅から東京へよく行っていたそうなんです。
でも、現在は人混みのある駅に行くのさえ嫌になってしまったそうです。
自然豊かな熱海の自宅で一人暮らしをされ終活されていますが、まだまだすごくお元気なのですごく安心した管理人であります。
プロフィール
最後にプロフィールを紹介します。
名前:橋田壽賀子(はしだすがこ)
本名:岩崎壽賀子(いわさきすがこ) 旧姓は橋田
生年月日:1925年5月10日 現在の年齡は91歳
出身地:大阪府堺市西区
出身高校:大阪府立堺高等女學校(現在の大阪府立泉陽高等学校)
出身大学:日本女子大学文学部国文学科(卒業) 、早稲田大学第二文学部演劇専修(中退)
学歴については上のようになりますが、経歴についてはwikiなどで詳しく解説されているので本記事では省略します。
あまりにも有名な方ですからね。
生い立ちについても紹介しておきます。
出身地は大阪府堺市西区となっていますが、生まれたのは京城(現在のソウル)です。
1925年生まれですから日本が統治していた時代ということになります。
1925年というよりは大正14年と言ったほうがわかりやすいかもしれません。
外地生まれの日本人というわけです。
帰国するまでの9年間を朝鮮で生活されていたんです。
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