(ふじたこととめ)さんは、霊感占い師。
ある事件に巻き込まれてしまったことでも有名です。容疑者がいるんですが、いまだに謎がたくさんあり、未解決です。
藤田さんが記録をつけていたというノートがあり、そこには政財界に関する重要な事実が記載されているという噂があります。
しかし、今だに未発見。
そのノートが世間に出ては困る大物が事件の裏に存在するという説もあります。
今回は、藤田小女姫さんの占い、結婚と夫と息子、予言と事件について解説します。
その他、本名やプロフィール、陰謀説についても紹介します。
藤田小女姫と占い
占いといえば、特に若い女性の間では常に人気があります。
ところが、実際には意外な人たちの間でも人気があるんです。
例えば、吉田茂さんや岸信介さんといった歴代の首相が藤田小女姫さんという占い師に占いを依頼していたのは有名な話です。
鳩山由紀夫さんなんかも、占い師との関係がインターネット上でたびたび話題にとりあげられます。
政界だけではなく、経済界でも大手の一流企業をはじめ、占い師というか占いや運勢の専門家と顧問契約をしていたりしています。
社長などの企業のトップが経営判断などで頻繁に相談したりしています。
このように、占いというのは、一般人の間だけでなく、政財界や経済界など幅広く広まっているんです。
藤田小女姫さんは、天才的な占い師であっただけでなく、美人でもあったため、政界や財界の大物たちにすごく可愛がられたそうです。
ここで、藤田小女姫さんのプロフィールを紹介します。
プロフィール
名前:藤田小女姫(ふじたこととめ)
別名:藤田小乙姫
本名:藤田東亞子(ふじたとあこ)
生年月日:1938年1月4日
出身地:福岡県福岡市
幼いころに両親が離婚してしまい、父親と生き別れとなります。
太平洋戦争で家が空襲に遭い、知人頼みの各地を転々とする生活をしていました。
霊感を得たのは9歳の時で、ハワイの狐が憑依したからだそうです。
1950年、小6の時に、産業経済新聞(サンケイ新聞東京、現在の産経新聞)に占いがよく的中する少女として社会面のトップで紹介されます。
そして、サンケイ新聞があった産経ビルの中の一室を与えられ、経営陣に可愛がられたそうです。
その部屋には、毎日ご託宣というか占いを聞きに、政治家や財界人がひっきりなしに訪れていたというから驚きです。
そして、企業コンサルタント業も開始します。
顧客には、安倍総理の祖父である岸信介さん、福田赳夫さん、松下幸之助さん、小佐野賢治さんなどの政財界の大物がいたと言われています。
こういったことで、かなりの財産を築いたそうです。
当時は、「ことど姫」と名乗っていました。
昭和30~40年代にも、テレビや雑誌等で藤田小女姫さんは取り上げられていました。
1973年には、企業コンサルタントを廃業してハワイに移住しました。40歳の時のことです。
その後に、息子さんとともに、ある事件に巻き込まれてしまいます。
夫と息子について
藤田小女姫さんが結婚したのは1961年。
夫となったのは、不動産業者の男性。
しかし、結婚生活は3年で破綻し、離婚してしまいます。
息子さんが1人います。
藤田さんの事件当時、息子さんは20歳でハワイ大学の学生でした。
藤田小女姫さんとともに息子さんも事件で亡くなられています。
予言とは?
藤田小女姫さんが予言したことはたくさんあり、的中したものも多数。
それらを紹介します。
●日米安保条約と岸信介首相の退陣
●今上天皇の結婚、
●朴正煕暗殺事件
●周恩来の死
こういった予言が的中したそうです。
また「小和田雅子さんは皇后にはなれない」と予言したことも有名。
これらの予言は、一部ですが、それでもこんなに的中したから、事件以外でも今だに話題になったりするんでしょうね。
事件の概要
ここでは、藤田小女姫さんと息子さんの事件について概要だけを紹介します。
事件の詳細に関しては本記事の目的からはずれるので、さらに詳細を知りたい方は、専門的なサイトがたくさんあるので、そちらを参考にしてくださいね。
事件が起きたのは1994年2月。
場所は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルルです。
ホノルルのカカアコの高層マンションの部屋でボヤ騒ぎがあり、火は消防隊員によって消火されました。
しかし、そこで藤田小女姫さんが亡くなっていたんです。クローゼットの中でです。当時56歳です。
そして、その同じ日に息子さんも亡くなりました。
その場所は、先ほどの高僧マンションから数km離れたホテルの駐車場です。
そこで、乗用車が炎上していたんですが、その中で息子さんが亡くなられていたんです。
同じ日に親子で亡くなるなんて信じられませんね。
息子さんは手足を縛られた状態で発見されました。
捜査が始まりますが、そこで容疑者として浮上してきたのが、藤田小女姫さんの息子さんのスキューバダイビング仲間の日本人男性。当時の年齢は28歳です。
この容疑者の男性のアパートの部屋から、事件で使用された弾丸が発見されたり、ソファから検出された血液のDNAが、藤田さんの息子さんのものと一致したりなどの証拠が出てきました。
この男性は、事件の2日後に日本に帰国した後、神奈川県警に出頭し、殺害の無実を主張しました。
その後、アメリカで起訴され、日本の法務省へ日米犯罪人引渡し条約による正式の請求が来たため、男性はハワイに送還されました。
そして裁判になります。
事件へ関与はしていないと、無罪を主張しました。
しかし、複数の証拠などから、終身刑が言い渡されました。
藤田小女姫さんが生前に記録していたと言われる「ノート」があるんですが、この事件の捜査で、それは発見されていません。
今だにどうなっているのかわからないんです。
このノートには政財界と深いつながりがあった藤田さんが、政財界のいろんなエピソードを記録していたと言われています。
それで、このノートの内容が世間に公になると大変困ったことになる大物が事件の裏に存在しているという噂というか陰謀説なんかがあるんです。
本当に謎だらけです。
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