こんにちは。
今回フォーカスしたのは大阪大学教授の坂口志文(さかぐちしもん)さん。
ノーベル生理学・医学賞の有力候補なんです。
後ほど解説する「制御性T細胞(regulatory T cell)」関連の研究で有名です。
これはTレグ細胞(Treg)とも呼ばれています。
さて、あなたは日本のノーベル賞受賞者と言ったら誰を思い出しますか?
川端康成さんという人も多いのではないでしょうか?
川端康成さんは、日本人初の受賞者であることは有名ですね!
さてノーベル賞の発表の時期が近づいてきました。
10月の上旬にその発表があります。
テレビなどでもニュースになるので、もうそんな時期が来たかと思いますね。
この賞の発表の順番は、特に定まった順番はないようです。
ちなみに、ノーベル賞はいくつかの種類があり、生理学・医学賞、文学賞、化学賞、物理学賞、経済学賞、平和賞などがあります。
合計で6つありますが、経済学賞は日本人がこれまでに受賞したことがないノーベル賞の部門です。
ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベルの遺言から出来た世界的な賞ということは有名ですね。
ロイターは今年のノーベル賞の有力候補を発表しました。
そして、そのうちの日本人はなんと2名を挙げているようです。
そのうちの一人が今回紹介する坂口志文・大阪大特別教授です。
坂口志文教授はガードナー国際賞を受賞していてノーベル賞が現実味を帯びていると言われています。
管理人はすごく期待しています。
この賞に関する詳細は後述しますね。
坂口志文教授についてリサーチしました。
そんなわけで今回は、大阪大学教授である坂口志文さんの結婚と妻と子供、経歴や出身高校や大学等の学歴をメインに紹介します!
受賞された場合には授賞式も楽しみです。
また、その時の関連銘柄とか株価も気になるところですね。
坂口志文(大阪大学教授)の妻と子供
大阪大学教授の坂口志文教授がどのような事でノーベル賞の有力候補なのかを紹介する前に、家族構成についてまとめたいと思います。
まず、坂口志文教授に妻がいるか調べてみました。
坂口志文教授はご結婚されており、教子さんという妻がいます。
生年月日など年齢は解りませんでした。
馴れ初めが気になりますね!
坂口志文教授は教子さんと結婚して一緒にアメリカに渡り、それ以来教子さんはずっと坂口志文教授の研究を手伝ってきたそうです。
妻の教子さんも研究者である事から、私生活でも仕事でも坂口志文教授にとってかけがいのないパートナーなんでしょうね。
これまで二人三脚で頑張ってきたこともノーベル賞候補にまでなられたことに大きく関係していると思います。
さて、次に坂口志文教授には子供さんがいるか調べてみました。
家族については妻の教子さんについてはわかりましたが、残念ながら子供さんの情報はありませんでした。
子供さんはいない可能性もありますが、もしいるとしたら、坂口志文教授の遺伝子を受け継いだ優秀なお子さんなのではないでしょうか?
息子さんなのか、娘さんなのか、それとも両方いるのか?
父親も母親も共に優秀な方なので、子供さんもかなり優秀である可能性は高いと思います。
ついでに坂口志文教授の父親と母親に関しても簡単に紹介しておきます。。
父親は京都大学出身、そして、母親は江戸時代から続く村医者の家系だそうです。
こう考えると医者としての遺伝子で引き継がれているという事ですね。
家系的にもすごいですよね~。
経歴は?
坂口志文教授の主だった経歴を紹介します。
1992年:「さきがけ21研究」の研究員となる。
1999年:京都大学再生医科学研究所の生体機能調節学分野の教授となる。
2007年:京都大学再生医科学研究所の所長になる。
2008年:大阪大学の免疫学フロンティア研究センターの教授となる。
2012年:大阪大学免疫学フロンティア研究センターの副拠点長となる。(教授は兼任)
ノーベル賞の有力候補に挙がるくらいですから、経歴は特に調べなくてもすごいということは最初からわかっていたんですけどね。(笑)
坂口志文教授の主な受賞歴は以下のようになります。
2005年:武田医学賞
2008年:慶應医学賞
2012年:朝日賞
こういった数々の輝かしい賞を受賞してきた経歴をお持ちです。
そして、2015年3月には医学に関する最も有名な賞の一つであるガードナー国際賞に選ばれています。
このガードナー国際賞は、医学で顕著な発見や貢献をした研究者に与えられるとても名誉ある学術賞なので、研究者・科学者なら誰もが憧れる賞です。
そして何といっても、この賞はノーベル賞の登竜門とも言われているんです。
坂口志文教授のガードナー賞受賞理由には記事冒頭でも少し紹介した「制御性T細胞」の発見が挙げられています。
さて、Tレグ細胞とも呼ばれる「制御性T細胞」とは一体なんでしょうか?
人間をはじめとする全ての生物には、外部から進入してくるウィルスなどをやっつける免疫システムがあります。
このシステムが無い場合、体内に侵入してきたウィルスや細菌を防ぐこと出来ず、免疫不全に陥ってします。
この免疫システムを担当する細胞をT細胞といいます。
しかし、このT細胞は外部からやってきたウイルスのみならず、元々体内にある細胞を攻撃してしまう可能性もあります。
制御性T細胞とは、こういった自分の細胞に対する攻撃を抑制する細胞の事を言います。
坂口志文教授はこの存在を確信していたようです!
しかし、20年間もまったく日の目をみない研究をやってきたそうです。
地道な基礎研究の重要性を改めて感じます。
努力し続けたのは、その成果に自信があったからなのでしょう!
超一流の科学者の仮説ってすごいですね!
出身高校と大学
高校は父の勧めで、父親が校長をしていた滋賀県立長浜北高校に進学したそうです。
この学校が出身高校です。
出身中学は長浜市立びわ中学校。
坂口志文教授は実は、中学生の時は絵描きか彫刻家になりたいと思っていたそうなんです。
将来のノーベル賞候補が!
そのまま絵とか彫刻の道に進んでいたら世界的な大損失となるところでしたね。
美術部で制作活動をして、コンクールで表彰される事を楽しんでいたようです。
結局、芸術家の道は断念してしまうのですが、ただ絵を書く事などの芸術は右脳を鍛えられるので、坂口志文教授の将来の研究の仕事にはプラスになったかと思います。
昭和44年(1969年)に滋賀県立長浜北高等学校を卒業します。
その後、一浪して出身大学の京都大学に進学しました。
実は、長浜北高等学校は偏差値53くらいなので、そこから京都大学しかも医学部に合格したのですから相当勉強されたんでしょう。
京都大学医学部といったら偏差値75位ですからね!
偏差値を20くらい上げた事になります。
坂口志文教授は、大学入学当初は精神科医を目指していたようですが、大学で学んでいくにつれて考えが変わり、免疫学に対して興味がわいてきたそうです。
結果的にはノーベル賞間近と言われているだけに、方向転換したことは正しかった様ですね!
でも、坂口志文教授は、精神科医に進んだとしても、情熱大陸などに出るなど有名になりそうですね!
そして、坂口志文教授は、1976年京都大学医学部医学科を卒業して、医師免許を取得。
ちなみに、京都大学のノーベル受賞者は東大に次ぐ数なので、驚きですね!
以前は京都大学の方が多かったんですけどね。
大学卒業後は大学院へ。
しかし、1977年に京都大学医学研究科大学院を中退します。
原因や理由は不明です。
研究上の理由ではないかと思いますが、どうなんでしょう?
今後の経歴を考えた上でのことの可能性もありますね。
その後、愛知県がんセンター研究所の実験病理部門の研究生となります。
結局、京都大学の大学院に再び入り直し、1983年に医学博士を取得します。
プロフィール
坂口志文教授は、免疫学者であり医師です。
免疫研究の第一人者で、「制御性T細胞」の発見で知られています。
生年月日は1951年1月19日生まれの山羊座で、今現在の年齢は66歳。
出身地は滋賀県長浜市。
長浜と言えば近江牛の料理でも有名ですね。
そして、故郷の長浜市は琵琶湖や伊吹山が近く、雄大な自然に囲まれて美味しい料理を食べて育ったのでは無いでしょうか?
坂口志文教授が有力視されているというのは、「ノーベル生理学・医学賞」です。
さぁノーベル賞の発表が待ち遠しいですね。
今年は日本人が何人選ばれるかにも注目です!
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