こんにちは。
今日のテーマは老舗お茶屋の女将である太田紀美(おおたきみ)さん。
今現在の年齢は77歳です。
京都の祇園にある「富美代(とみよ)」の八代目。
200年くらいの歴史があるお茶屋なんです。
祇園といえば日本で最大の花街ですよね。
以前、こんな記事も書きました。
江戸時代からあり、今現在はお茶屋が60軒くらいあります。
また、芸妓さんや舞妓さんが100人以上も生活しているんです。
日が暮れたらお座敷が開かれるので芸妓さんや舞妓さんがお茶屋に入っていきます。
管理人はすごく興味があるんですが、一見さんお断りってところが少し残念ですね。
太田紀美さんのお茶屋は母親から娘へ代々受け継がれてきました。
実は厳格な家訓があるんです。
祇園に自分の人生をささげる女性たちって気になります。
そんなわけで今回は、京都祇園の老舗お茶屋の女将である太田紀美さんの出身高校や経歴、お茶屋「富美代」や母親をリサーチしてまとめてみました。
その他に、結婚と九代目、八坂女紅場学園と祇園女子技芸学校、プロフィールなどについても解説していきます。
父親や子供も気になりますよね。
九代目となる娘さんはいらっしゃるのだろうか?
そんな気になるところも調査しました。
太田紀美は祇園の老舗お茶屋の女将
すでに記事冒頭でも説明しましたが、太田紀美さんは京都祇園の老舗お茶屋「富美代(とみよ)」の八代目女将です。
生い立ちなんか気になりますよね。
厳格な家訓により、生まれた時から富美代の八代目の女将になることを宿命づけられ育ってきた女性です。
こういったことがあることが日本が誇る花街文化の継承や保存につながっているわけですが、昔の若い頃はどう思われていたんでしょうね。
自分の運命というか人生を。
京都花街組合連合会の会長、おおきに財団副理事長、京都観光おもてなし大使なども務められています。
富美代の場所やアクセス方法
一見さんお断りなんですけど、富美代(とみよ)の場所やアクセス方法などが気になる方は多いと思うので紹介しておきます。
その前に富美代について少し説明しておきます。
創業は文化年間(1804~18)です。
ですから、約200年くらいの歴史があるんです。
富田屋という大きなお茶屋の仲居頭であった美代さんが別家をしたことが富美代の始まりです。
だから、絶対に女系でなくてはいけないという厳しい家訓ができたんです。
こういうわけで、代々女あるじがお店を受け継いできました。
母親から娘へと・・・。
お店は元々は京都の大和大路筋にありましたが、川岸に風情が無くなってしまったということで、今現在の冨永町に移りました。
堂々とした立派な店構えで暖簾が見事で立派なところに風情を感じたりします。
祇園のお茶屋は一見の客は相手にしないってところもやはり歴史ですね。
こういったところが客とお茶屋との関係を何代にも渡って続かせているのでしょう。
花街は日本が誇る文化です。
京都市独自の無形文化遺産になっているくらいですから。
それを保存し継承していく。
昔からの伝統をきちっと守っている富美代はやっぱりすごいですね。
場所:〒605-0085 京都市東山区八坂新地末吉町103
TEL:075-561-0235
アクセス方法は下の地図を参考にしてくださいね。
出身高校などの学歴について
出身高校は京都女子高校です。
創立から100年を超える歴史ある私立高校です。
卒業生には有名な方が結構います。
中村玉緒さん、藤山直美さん、白井貴子さん、寺島(富司)純子さん、高田美和さんなど。
出身中学については不明です。
また、大学には進学されておらず、高校卒業後は洋裁の学校で学ばれました。
母親や父親は?
太田紀美さんの母親は富美代の先代、つまり七代目ということになります。
名前はわかりませんでした。
老舗はいつもモダンでなければいけないと言われていたそうです。
父親については情報ゼロでした。
結婚と九代目の娘
結婚や夫に関する情報は特にありませんでした。
何人かわかりませんが子供さんがいらっしゃいます。
娘さんです。
名前は太田直美さんといい、年齢は45歳くらいみたいです。
おそらく、富美代の九代目の女将になると思われるので、そうなったらいろんな情報が出てくるはずです。
実際、若女将として現在働かれています。
八坂女紅場学園と祇園女子技芸学校
現在は京都市にある祇園女子技芸学校の理事長兼校長という経歴もお持ちです。
この学校は、京都の祇園の芸妓さんや舞妓さんが勉強するところです。
八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)という学校法人があるんですが、そこの学校なんです。
プロフィールや経歴
wikiがないので、最後にプロフィールを紹介します。
名前:太田紀美(おおたきみ)
生年月日:昭和15年(1940年)生まれ 今現在の年齢は77歳
出身高校:京都女子高校
学歴に関しては、高校卒業後に洋裁学校に進学されています。
その後の経歴は、東京の柳橋亀清楼で修業をされ、昭和36年(1961年)に若女将として家業に従事されるようになりました。
そして、昭和49年(1974年)に「富美代(とみよ)」の8代目女将となられました。
昔の若い頃にイギリスのバージン航空のモデルをされてこともあります。
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