こんにちは。
今日は休日になった熊本市在住の管理人です。
リオ五輪はものすごく盛り上がりましたね。
金メダルも多かったし。
終ってしまったのが残念です。
でも、また次の楽しみがあります。
それが、リオデジャネイロパラリンピックです。
パラリンピックもすでに話題になってるんですよね~。
しかも今日はいいニュースも!
日本人として初めて「パラリンピック殿堂」に選ばれた方がいるんです。
それが、河合純一(かわいじゅんいち)さん。
パラリンピック殿堂というのは国際パラリンピック委員会が選ぶんです。
河合純一さんは、競泳の視覚障害クラスで偉大な功績をあげられてるんです。
2012年に開催されたロンドンパラリンピック大会まで6大会連続出場されています。
これまでに21個のメダルを獲得し、そのうち5個が金メダルなんです。
今回は、結婚と妻と子供、生い立ちをメインに解説していきます。
その他に、出身大学と高校等の学歴や経歴などのプロフィールも紹介します。
河合純一の結婚について
河合純一さんは2006年に結婚されています。当時の年齢は31歳。
ここで、プロフィールを紹介します。
プロフィール
名前:河合純一(かわいじゅんいち)
生年月日:1975年4月19日 今の年齢は41歳
血液型:A型
出身地:静岡県浜名郡舞阪町(現在の浜松市西区)
出身高校:筑波大学附属盲学校高等部
出身大学:早稲田大学教育学部
以上が、学歴などのプロフィールです。
次に経歴について説明します。
大学卒業後に舞阪町(現在の浜松市)立舞阪中学校に赴任します。
この中学校は河合純一さんの母校でもあります。
そして、舞阪中学校を2年間休職して早稲田大学大学院教育学研究科学校教育に進学した後に復職しています。
2008年には静岡県総合教育センターの指導主事となりました。
2014年の8月からは日本スポーツ振興センターのスポーツ開発事業推進部企画推進課研究員をされており現在に至ります。
また、日本パラリンピアンズ協会会長、日本身体障がい者水泳連盟会長も務められています。
2010年、2012年、2013年に参議院議員通常選挙に立候補しましたが、すべて落選。
選挙のすべてはみんなの党公認での出馬でした。
2009年には天皇陛下御在位二十年記念式典に出席されています。
河合純一さんの半生がまとめられた「夢追いかけて」という本は映画にもなりました。
この映画の中では本人役を河合純一さんが演じています。
ブログとTwitterとFacebookがあるので、気になる方はチェックしてみてくださいね。
今回、「パラリンピック殿堂」に競泳の河合純一さんが選ばれたことは上で紹介した通りです。
日本人として初めて選ばれました。
妻と子供が気になる!
すでに結婚されていることは上で紹介しました。
妻と子供さんがいます。
河合純一さんは2児のパパなんです。
長男の息子さんが生まれたのは2010年。当時35歳でした。
もう一人の子供さんが息子さんなのか娘さんなのかは不明です。
妻は一般の方であるために、特に情報はありませんでした。
以上が河合純一さんの家族です。
生い立ちは?
先天性ブドウ膜欠損症であったため、生まれつき左目の視力がありませんでした。
右目の視力もかなり弱いものでした。
3歳の時に目の手術をしたんですが、この時には一時的ではありますが、視力を取り戻しています。
わずかな視力でしたが。
15歳の時には右目の視力も完全に無くなってしまい全盲となってしまいました。
水泳を始めたのは5歳です。
17歳の時にバルセロナパラリンピックに出場して銀メダルと銅メダルを獲得しました。
大学入学後に出場したアトランタパラリンピックでは、初の金メダル、銀メダル、銅メダルを獲得。
卒業して教師になってからは、シドニーパラリンピック、アテネパラリンピックで金、銀、銅メダルを獲得しています。
そして、全盲の50m自由形で3連覇という偉業を達成されました。
北京パラリンピックでは4連覇が期待されたんですが、銀メダルという残念な結果となってしまいました。
河合純一さんの生い立ちは以上です。
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