こんにちは。
今回取り上げるのは梅川昭美(うめかわあきよし)さん。
日本の昭和史に名前が永久に残るであろう方です。
「破滅 梅川昭美の三十年」という本があるくらいです。

また、「TATTOO<刺青>あり」という映画までありますからね。
では、何をされた方なのか?
当時の三菱銀行北畠支店、つまり現在の三菱東京UFJ銀行北畠支店の件で注目され話題になった方です。
今回の本記事テーマからは外れるので詳細は省略しますが、気になる方は調べてみてくださいね。
というか、知っているからこの記事に来ていると思いますので、割愛させていただきます。
梅川昭美さんについては後ほど詳しく解説していきます。
ところで、最近、家の近くの大型スーパーが大改装され、今まであった場所に品物が無くってかなり困っています。
人の慣れって怖いもので、今まであったものが同じ場所に無い。
探するのに時間がかかる!
かなり困りますよね。
もう少しで改装が終わりますので、何とか待ちたいと思います。
さていよいよ本題に入ります。
記事冒頭でも紹介したように、今回は、梅川昭美さんという人物個人にフォーカスします。
生い立ち、父親と母親や兄弟などの家族、そして学歴と経歴をメインに説明していきます。
また、プロフィールやエピソードなども紹介します。
梅川昭美の生い立ち
皆さん。
梅川昭美さんはご存知でしょうか?
初めて聞くという人も多いと思います。
記事冒頭にも書いたように、1979年(昭和54年)に起きた三菱銀行北畠支店(現在の三菱東京UFJ銀行北畠支店)での件で有名になった方です。
すでにお亡くなりになられています。
生い立ちが気になる方が凄く多いようです。
その人の人生を考察するにあたって、やはり生い立ちは重要な部分ではないかと思います。
幼少期からの経験はその後の人生に大きく関わっているのは確かではないでしょうか?
実際、そうではない人も中にはいるかもしれませんが・・・。
さて、名前を聞いた時には、女性?と思っていたのですが、実際は男性。
読みは、「うめかわあきよし」さんといいます。
生年月日は1948年3月1日、出身地は広島大竹市。
大竹市は、山口県との境に位置していて、瀬戸内工業地域に含まれている地域として発展しているところです。
梅川昭美さんがお生まれになった時は、父親が46歳、母親が42歳でした。
両親ともに40代の時の子供ということになります。
今でこそ40代の出産は珍しくなくなったのですが、この時代はかなりの高齢出産でかなり難産だったかもしれませんね。
幼い頃は極貧の生活だったようです。
生まれた年が戦後すぐですから、時代的なこともこれには関係しているとは思いますが。
梅川昭美さんが8歳の時には、父親が脊髄を患ってしまい、歩行困難となり退職をします。
要はリストラだったのかもしれません。
そして、小学校5年の時に両親は離婚して、母親は家を出て行ってしまったそうです。
離婚の原因は父親が単に仕事が出来なくなったからなのか、他にも理由があったかは定かでは有りません。
母親ではなく父親に引き取られた梅川昭美さんは、父の故郷である香川県大川町に引っ越しをしたそうなんですが、実家でも冷遇されてしまいます。
その理由は、父親が長男だったのにも関わらず家を継がず、若い時に家を飛び出してしまった事が原因みたいです。
そんな生活に嫌気が指し、わずか半年で母親のいる大竹市で暮らし始めたそうです。
しかし、そこでも母親が朝から晩まで仕事をしており、梅川昭美さんは構ってもらえなかったそうです。
梅川 昭美さんはもともと粗い性格だったようでしたが、中学校でさらにエスカレート。
中学を卒業した後は、工業高校に入学します。
高校は広島工業大学附属工業高等学校(現在の広島工業大学高等学校)というところです。
といっても学校はサボっていたばかりで、ある事がきっかけで、1学期で中退します。
ですので、出身高校とはいえません。
その後、母親は息子の為に復縁をしたのですが、梅川昭美さんは家出をしてしまいます。
後に、広島県大竹市内の土建会社にて作業員として働くのですが、ある事がきっかけで会社を首になってしまいます。
さらに、辞めた会社に侵入して大きな過ちをおかし、15歳にもかかわらず中等少年院に送られたそうです。
その後は1年余で仮退院します。
その後は、父親の遠縁を頼って大阪でバーテンダーの仕事をしたり、飲食代取り立て人などをしながら生計を立てて生活していたそうです。
生い立ちを簡単に見ていきましたが、子供の頃から家庭環境には恵まれていなかったという印象が強いです。
こういったことが後の三菱銀行の件に大きく影響しているかどうかははっきりとはしませんが、何らかの影響、特に母親との関係での影響はあったのではないかと思います。
報道などでの銀行内での発言や行動には関連性があると思われますが、どうなんでしょうね?
父親と母親と兄弟
人間として生まれた以上はもちろん父親と母親はいらっしゃいます。
しかし、兄弟はいなかったそうです。
つまり一人っ子。
なので、父親と母親にとって待望の息子さんだったのではないでしょうか?
実はお姉さんもいらっしゃったようですが、梅川昭美さんがお生まれになる前に亡くなられています。
原因については解りませんが、若くしてなくなられているなら病気かもしれませんね。
1948年は昭和23年で終戦すぐの頃。
混沌した時代でしたし、何が起こってもおかしくは無いですね。
父親は梅川昭美さんが19歳の時に亡くなられます。
しかし、父親の葬儀には出席しなかったそうです。
これにはやはり生い立ちなどが関係しているような気がします。
幼少期、子供の頃からの父親との関係が影響していそうです。
普通は、親の葬儀に出席しないことはまずないですからね。
以上、家族についてでした。
学歴や経歴
梅川昭美さんは、高校は中退しているので、最終学歴は中学卒という事になります。
すでに説明しましたが、中退されているので、出身高校ではないですが、広島工業大学附属工業高等学校(現在の広島工業大学高等学校)に入学されています。
出身中学の学校名は不明です。
経歴は、広島県大竹市内の土建会社。そして、大阪ではバーテンダーの仕事をはじめ職を転々としていたそうです。
そういう訳で生活も安定せず、借金をしていたそうです。
生い立ちで家庭環境のことについて解説しましたが、学歴や経歴に関しても恵まれたものとはいえないですね。
彼女や結婚は?
さて、そんな梅川昭美さんは彼女がいたのでしょうか?
亡くなるまで結婚はしていないそうですが、彼女は何人かいたそうです。
また、同棲していた恋人もいたそうで、それなりにはモテていたのはないでしょうか?
特に、27歳までの7年間も交際した彼女がいたそうです。
こう考えると、梅川昭美さんは恋人にはあまり不自由は無かったのかもしれません。
プロフィール
最後にプロフィールとしていろいろと説明していきたいと思います。
wikiもありますが、来歴が少し記載してあるだけで、まだあまり詳しくはありません。
先程記載したとおり、梅川昭美さんは、兄弟はなく両親がいらっしゃいます。
しかし、父親は梅川昭美さんが、19歳の時に亡くなられています。
さて、ここではプロフィールとして主に梅川昭美さんについてのエピソードを紹介したいと思います。
フロイトやニーチェなどの思想書を好んでいたそうなんです。
イメージ的にはちょっと信じられないって感じです。
更にヒトラーの伝記も読んでいて、かなりの読書家だったそうです。
それで、月々の読書代もかなりかかっていたとかいう話しがあります。
自分にとって本当に必要と思ったものには徹底的にお金を使う方なのかもしれません。
いい意味で言えば自己投資とも言えますね。
かなりの借金があったようなんですが、まさか本代なんてことは無いと思いますが。
30歳までに何かデカいことをしてやるというのが口癖だったようです。
しかし、梅川昭美さんは、結局自分の夢を果たす事ができないまま30年間という短い生涯を終えてしまいます。
本当にやりたかったこと。
それは一体なんだったのでしょうか?
何を求めていたのか?
今回リサーチしてみていろんな情報がありました。
事業を成功させ、大物になって、お金を稼ぎ、母親を楽にさせてあげたい!という案外単純なこのようなことが本当の夢だったのかも知れません。
なぜそう思うのかと言うと、梅川昭美さんの三菱銀行の行員の方との会話の節々に母親に対する愛情のようなものがあるからです。
実はこの話は映画や小説にもなっているので興味がある方は一読する価値があるかもしれません。
もし、梅川昭美さんがやり直せる事があるとしたら、幼少期の両親の離婚だったのかもしれませんね。
二人が話し合い離婚さえしなければ、もう少し良い人生を歩んだ可能性もあります。
貧乏でも愛情があればそれほどひどい性格にはなっていなかったでしょうから。
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