こんにちは。
今回注目したのは、中川智正(なかがわともまさ)氏。
元オウム真理教の幹部です。
なので、以前紹介した麻原彰晃氏関連の人物。

上祐史浩さんなんかも最近話題になったりしてます。

その他に、遠藤誠一氏についてもまとめました。

さらに、井上嘉浩氏も。

ただ一人無期懲役となった林郁夫氏の今は?

昨年2017年に米国の化学者であるアンソニー・トゥー(台湾名は杜祖健)さんというコロラド州立大名誉教授東京拘置所で5年以上にも渡り面会を重ねているというニュースがありました。
しかし、現在は広島におられるようです。
医師でしたが、1995年に自分から医師免許取消処分の申請をしています。
コレに関しては前例がなかったといいますが、確かにそうでしょうね。
後ほど詳しく解説しますが、難関の医学部に合格して医師免許を取得したのに自ら放棄してしまったんですから。
普通では考えられません。
理由や原因についてはここでは省略しますが、オウム真理教関連でのことであるというのは言うまでもありません。
本記事ではそんなことよりも、中川智正という一人の人物のこれまでの人生をメインにフォーカスしていきます。
そういった理由から、中川智正氏の出身大学と高校等の学歴、彼女、そして家族や兄弟を中心に解説。
また、実家、生い立ち、経歴、プロフィールなども見ていきます。
昔の若い頃も気になるところです。
中川智正の出身大学と高校
元医師ってことで、はっきりいって高学歴です。
出身大学は京都府立医科大学医学部医学科。
公立大学の医学部出身です。
ちなみに、偏差値は67.5くらいのようです。
大学時代は柔道部に入っていたということです。
実力がどれくらいだったかはわかりませんが、文武両道だったかもしれませんね。
大学祭の実行委員長を務めたりしていたようですから、結構積極的に活動する人なのかもしれません。
実際、性格は明るく温厚だったようです。
また、実直な人柄だったそうですから、誠実な人物であったのでしょう。
今現在の状況からすると、考えられないことですが・・・。
人生何がどこかでどう変わるかわかりませんからね。
オウムと出会ったきっかけは、麻原彰晃氏の本である「超能力秘密の開発法」みたいです。
この本を楽天で調べてみたら今だに販売されていました。
次に出身高校ですが、岡山県立岡山朝日高等学校です。
この高校も出身大学と同様に偏差値は高く66くらいあります。
こんなに学歴が高いのになぜあんなことに?と興味を持つ方は多いと思います。
ちなみに、出身中学は岡山大学教育学部附属中学校という大学附属中です。
小学生の時からすごく勉強ができたんでしょうね。
もちろん、努力もしてきたんでしょうけども。
余談になりますが、お笑い芸人コンビの「浅草キッド」のメンバーである水道橋博士さんは中学時代の同級生です。
水道橋博士さんによると、中川智正氏の中学時代のあだ名は「ケツ」だったとのこと。
意味はよくわからないんですが・・・。
これほどの高学歴だと両親や兄弟、実家は何をしているのか?など気になることが多数出てきます。
こういった関連は後で解説します。
中川智正氏の学歴について見てみましたが、オウムには高学歴の方が多いのも特徴の1つです。
高学歴者が集まるエリート集団みたいなところもしばしば話題になったりします。
彼女は?
今現在、彼女がいるかどうかは不明です。
今の状況から考えていないと言えるのではないかと思います。
しかしながら、かつて恋人がいました。
その彼女は看護師をしていた女性です。
名前は不明です。
医師と看護師の彼氏彼女だったというわけです。
どうしても出家すると言ってきかない中川智正氏についていき、彼女も出家。
出家した当時22歳でした。
2014年当時の報道では今47歳ということだったので、今現在は50歳くらいになりますね。
さきほどの報道によると、もちろんオウムは奪回してどこかの会社の正規の従業員になっているということでした。
教団に入ってからも恋人ができているようです。
それが、菊地直子氏。
学生時代にマラソン経験があることから、教団陸上部の選手でした。
そして、指導していたのが中川智正氏。
最初は師弟県警だったのでしょうが、だんだんと恋人関係になっていったようです。
現在の彼女はわかりませんでしたが、元カノについてはいくつか情報があったので解説しました。
学生時代には彼女はいたんでしょうかね?
勉強ばっかりだった可能性も高いですが。
家族と実家について
次に気になる家族や実家についてです。
岡山大学教育学部附属中学校という国立大学附属中から高校、大学へと進学して医師になっているという学歴から、両親、特に父親は開業医の医師で実家は病院なのかなとも最初は思っていました。
ところが、家族は医学とは全く無縁でした。
実家は岡山市内で洋服の販売店を営んでいました。
小規模な商店です。
話しが前後しますが、家族については父親と母親と兄弟がいます。
兄弟
幼い頃から商売をやって多忙な両親を支えるために兄弟の面倒をよくみていたことはすでに紹介したとおりです。
ですので、兄弟がいるのは確実なんですが、名前や職業、今現在の状況など詳細なことは全く情報がありません。
もちろん、一般の方でしょうからね。
長男なので弟や妹がいるのでしょう。
兄はいないとして、姉はいるかもしれませんね。
生い立ちと経歴
次に中川智正氏の生い立ちについて見ていきます。
父親と母親が一緒に商売をしていましたが、実家は一般的な普通の家庭だったのかもしれません。
ただ、両親が共に働いており、経営しているのは小さな商店だったということで、父親も母親も多忙だったようです。
そんな両親の忙しい姿を見ていた子供の頃の中川智正氏は両親を支えようとしていたようです。
ですから、幼い頃から兄弟の面倒をよくみていたという話があります。
医師を目指した理由は、困っている人たちを助けたいとの思いからでした。
ですが、皮肉なことに後の結果は困る人達をたくさんつくり出してしまったというものでした。
医学部に無地合格して勉強を始めたのはいいのですが、医学に対する疑問が湧き上がってきたようです。
それは、部分的に患部しかみないという西洋医学に対する疑問でした。
人間全体を診る医療に従事したいと思っていたようです。
こういった疑問はしばしば聞きますね。
オウムではそういった医療に関われるとうことで惹かれていったようです。
自分が一生をかけてもやりたいことにやっと出会い、それがオウムの中にあったということです。
それで、父親と母親に出家したいことを告げるわけですが、もちろん両親は猛反対します。
そんなわけのわからない宗教に入っては絶対いけないと言う母親に初めて声を荒げたそうなんです。
実は、中川智正氏には反抗期というものがなかったようで、この時に初めてそんな反抗的な言動をとったみたいです。
それほどオウムに魅力を感じていたのでしょうね。
経歴も見ていきます。
医師国家試験合格後に医師免許を取得しますが、それからは研修医として1年ほど働きます。
しかし、周囲が反対するにもかかわらず退職し、すでに解説した看護師だった彼女とともに出家。
オウム真理教附属医院が開設され、そこの医師となりましたが、実際には診察は行わず麻原彰晃氏の主治医として健康管理などをしていたようです。
1990年におこなわれた第39回衆議院議員総選挙に真理党から旧神奈川3区で立候補します。
しかし、結果は落選。
そのような経歴もあります。
オウム内での経歴は省略しますが、すでに説明したように、1995年には自ら医師免許取消処分を申請しました。
前例のないものでした。
以上、生い立ちや経歴でした。
プロフィール
最後になりましたが、プロフィールを紹介して本記事を終わりにしたいと思います。
名前:中川智正(なかがわともまさ)
生年月日:1962年10月25日 今現在の年齢は55歳
出身地:岡山県岡山市
学歴や経歴に関してはすでに解説したので省略します。
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