麻原彰晃の生い立ちについて!妻と子供は?息子と娘の今現在もリサーチ!

ひと
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こんにちは。

今回は麻原彰晃(あさはらしょうこう)こと松本智津夫(まつもとちづお)氏にフォーカスし、一人の人物としての面についてまとめていきます。

管理人と同じ熊本県出身ってとこも非常に関心があるという理由の1つであります。

生まれた場所、都道府県、国などは自分の人生に大きな影響を与えたりするし、一生つきまとうものであるかもしれません。

オウム真理教関連ではこれまでに中川智正氏、遠藤誠一氏、井上嘉浩氏についても解説してきました。

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ところで、来年2019年には天皇陛下が退位し、5月には新天皇が即位されます。

つまり、2019年は慶事の年となることで、今年2018年の動向がかなり注目されています。

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平成という時代から新しい時代への変わり目である今年から来年にかけて色んな意味でますますクローズアップされることは間違いないでしょう。

特にあの件に関しては・・・。

思い出したくもないという方がたくさんおられるのも事実だと思います。

ですが、こういう時代の変わり目にはテレビやニュースなどでしばしば取り上げられ特集されることもあります。

時代の流れと歴史の中でこれは永久に残っていくものです。

宗教家や教祖と呼ばれる方々はそういったことに関係なく常に注目されたりもしますが・・・。

さて、数々の一連の件について注目され、これまで話題になってきた麻原彰晃氏。

本名の松本智津夫としてどういう幼少期や子供時代や学生時代を送ってきたのかは気になるところです。

幼い頃は自宅でどういう暮らしをしていたのか?

また、どういう実家だったのか?

我々人間の人生や一生にはいろいろあるのは事実です。

テレビなどでも波乱万丈の人生が特集される芸能人や有名人が数多くいました。

そんなわけで今回は、麻原彰晃こと松本智津夫氏の今現在、生い立ち、結婚と妻と子供を中心にこれまでの情報をまとめていきます。

息子さんと娘さんについても詳説していきます。

その他にも、出身中学や高校などの学歴、経歴、父親や母親、兄弟といった家族、プロフィールについても焦点を当ててみました。

本名は松本智津夫(まつもとちづお)という一人の人間ですが、麻原彰晃と名乗り始めた理由やその後の人生と大きな変化。

そして、昔の若い頃も。

そんなところも非常に興味深いところです。

追記:2018年7月6日に東京拘置所で63歳の年齢でお亡くなりになられました。

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麻原彰晃の今現在

麻原彰晃こと松本智津夫氏についてまず気になる部分は今とか現在の動向だと思います。

テレビのニュースや雑誌などのメディアでも相変わらずたびたび話題として取り上げられ続けています。

記事冒頭にも記載したように、今年2018年から来年2019年にかけてはさらにフォーカスされることが予想されます。

今現在の生活の場は東京拘置所です。

収監されています。

記事冒頭にも記載した通り、東京拘置所で2018年7月6日にお亡くなりになられました。以下の本文はそれ以前に書いたものです。

現在、どういう状況なのかが気になるところです。

今といったリアルタイム並みの情報は残念ながらないようです。

ですが、目撃証言というものがあります。

といっても、5年も前のもの。

これが麻原彰晃(松本智津夫)の今現在を知る最新情報と言えます。

子供さんでさえ面会出来ないようですから。

その目撃情報というのは、5年前のその当時、東京拘置所の病舎で衛生夫として働いておられた男性によるものです。

元衛生夫の方です。

病舎とは文字通り、病気などの収監者が集められている場所です。

今もそうなのでしょうけど、そこの独房に麻原彰晃氏はいるようです。

その入口付近は鍵がついた仕切りで覆われているそうです。

なので、衛生夫はもちろんですが、刑務官でも勝手に入っていくことは出来ないようになっている場所です。

この元衛生夫は麻原彰晃氏が独房にいない時に何度か掃除を命じられたそうなんです。

そこで見たものは・・・。

本や置物などが一切ないという部屋。

つまり、生活感のあるものがゼロってことです。

ま~、独房ですから、それが普通といえばそうなのかもしれませんけど。

驚くべきことは、床に糞尿が散らばっていたという証言です。

そのような状況ですから、当然ものすごい悪臭が部屋に充満していたようです。

布団は毎日取り替えられていたようです。

なので、毎日お漏らしをしていたのではないかとの推測を元衛生夫はしています。

麻原彰晃氏に関しては、訴訟能力に関して詐病であるかないかが以前から議論されています。

上で述べた独房の状況からすると、議論され続けている理由もわかるのではないかと思います。

詐病であるかないかという議論については、そのどちら側にも複数の見解や根拠があります。

この問題は今後の麻原彰晃氏の処遇に大きく影響を与えるものだけに非常に重要な問題といえます。

詐病疑惑は最終的にどうなるんでしょうね。

話を元に戻しますが、上で記載したことは本人がいない独房の状況ですが、この元衛生夫は実際に麻原彰晃氏の姿を見かけたことがあるそうです。

ただし、たった一度だけ偶然に。

その時の状況は、刑務官5?6人に囲まれて車椅子に乗せられてどこかへ移動していたというものです。

髪が伸びたままの状態で、若い頃と言うか昔の一連の件が起こった当時よりも痩せていたそうです。

生気というものは全く認められず、ただなされるままの状態みたいに見えたそうなんです。

こういったことが詐病に関係しているかどうかは不明ですが、今現在も同じような状態か、さらに悪化している可能性も考えられます。

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生い立ち

一連の件は、1980年代の末から1990年代の中頃にかけて起こったものです。

人間が引き起こしたものですから、こういったことを考察するにあたって、やはり生い立ちも重要な部分を占めているのではないでしょうか?

そういうわけで、ここでは麻原彰晃氏の生い立ちについて見ていきたいと思います。

生い立ちについてはすべてを書くことは無理なので、概略とし高校を卒業するまでの期間に限定します。

プロフィールと重複する部分もありますが、ご了承ください。

生年月日は1955年3月2日。

時間は早朝というか夜中の午前3時34分に生まれます。

生まれた場所は出身地の旧八代郡金剛村で、現在の熊本県八代市高植本町となります。

6男3女の9人兄弟の7番目。

四男でした。

生まれつきの先天性緑内障のために左目がほとんど見えませんでした。

しかし、右目に関しては1.0程度の視力がありました。

視力を完全に失ったのは1989年の秋頃みたいです。

そういう状況になって以後は、3女の松本麗華さんと手をつないだり、肩に手を置いて歩くようになります。

1961年(昭和36年)4月に八代市立金剛小学校に入学します。

しかし、隻眼(せきがん)という視覚障害者であることが理由で、その年の秋から当時の熊本市出水町今(現在の熊本市中央区水前寺)にあった熊本県立盲学校に転校。

そして、寄宿舎に引っ越し生活を始めます。

当時6歳でした。

ちなみに、隻眼(せきがん)というのは独眼(どくがん)ともいい、片側の目そのもののことや視力を失った身体障害のことをそう言います。

全盲ではないのに、学費、寄宿舎代、食費などが不要な盲学校へ入れられたことで、親に見捨てられたと思うようになります。

それで、不満をぶつけるようになり、転校の時には泣いて嫌がったという話しです。

当時はまだ幼かったということで、こういった子供の気持ちはわからんでもないですね。

自分が同じ状況だったらやはり両親を恨む可能性も考えられます。

ちなみに、兄は全盲でした。

20歳で熊本県立盲学校を卒業するまで13年間もの長い月日を学校の寄宿舎で過ごすことになりますが、その間に両親は一度も訪ねてこなかったようです。

理由については不明です。

親なら心配してしょっちゅう訪ねていきそうなんですけどね。

また、訪ねないだけでなく、服や食べ物を送ってくることもなかったそうです。

同じ寄宿舎の子供たちは週末には里帰りなんかしていたそうなんですが、当時は子供だった麻原彰晃こと松本智津夫氏の3兄弟は寄宿舎に残っていたそうです。

何か複雑な家庭環境があったのかもしれません。

原因や理由はわかりませんが・・・。

子供時代のこういった経験や体験も後の麻原彰晃という宗教家を生み出すことになった一因なのかもしれません。

盲学校時代には強い権力欲があったようです。

自分は目が見えますが、他の全盲の生徒達にいろいろとひどいことをしていたようです。

生徒だけでなく、寮母さんや生活指導の先生に対しても言動をしたりとか・・・。

お金への執着もすでに当時強かったようです。

後に麻原彰晃氏の信者になった人たちは秀才が多いエリート集団みたいな感じで天才的な方もいたようです。

では、麻原彰晃氏自身はどうだったのか?

学校での気になる成績なんですが、中くらいだったそうです。

これは高校、正確には盲学校の高等部での成績です。

でも、熊本大学医学部志望でした。

熊大医学部って合格するのにかなりの難関です。

志望理由は自分みたいに病気で困っている人を救う仕事がしたいということでした。

こんなまともな理由で医学部を目指していた人間が後に日本の歴史に永久に残るようなあの悲惨な一連の件を引き起こすに至ったのかが非常に興味あるところですね。

人生どうなるかわかりません。

高等部3年の3月に熊大医学部を受験しましたが、不合格となります。

ただ、これに関しては、新聞の記事によると、当時は視覚障害者の場合は医師免許が取得できなかったということで、受験はしていないとの情報もあります。

その後、高等部専攻科に進学することに。

ちょっと違った面も解説します。

高等部時代は柔道に打ち込んでいました。

ちなみに、当時(3年時)の身長は175cmで体重は80kgもありました。

立派な体格といえますね。

盲学校の生徒としては異例ともいえる柔道二段(講道館)を取得しているくらいです。

しかし、後に一連の件が原因で講道館から段位を剥奪されます。

資格では鍼灸免許も取得しています。

また、当時は政治家の毛沢東さんや田中角栄さんに傾倒していたようです。

そして、東大法学部を卒業して自民党の政治家になり、内閣総理大臣になることを目指すようになります。

余談になりますが、学生時代の選挙関連なんですが、小学部5年の時に児童会長、中学部と高等部では生徒会長、それと寮長に立候補していますが全て落選という結果になっています。

熊本県立盲学校を卒業したのは1975年(昭和50年)3月.

当時20歳でした。

結婚と妻と子供

熊本県立盲学校を卒業後、東大文一受験を目指して上京したり、熊本市に戻って長兄の漢方薬店の助手をして手伝ったりとかしていました。

その間にも受験勉強のために熊本市で下宿したり、また実家に戻ったりもありました。

再び上京したのは1977年(昭和52年)の春でした。

当時22歳。

その時に東京都渋谷区にある大手予備校の代々木ゼミナールに入学しています。

代ゼミ入学の翌年に出会ったのが後に妻となる松本知子さんでした。

旧姓は石井さん。

2012年の報道によると、相変わらず教団への影響力を保っているということですが、2018年今現在もそうなのかは不明です。

しかも、出会ったきっかけとなる代々木ゼミナール在籍当時は教団とは関係ないので、「さん」という敬称をつけます。

教団関係者ってことで「さん」つけすることに不快感が起こる方も中にはいらっしゃるでしょうから、とりあえず説明しておきました。

話を元に戻しますが、松本知子さんは出身高校の千葉県立木更津高等学校を卒業後に浪人し代ゼミに通っていました。

夫となる麻原彰晃氏との出会いは予備校時代だったんです。

しかも、2人とも予備校生。

後に大学に入学しますが、結局は中退して結婚したのです。

結婚したのは1978年(昭和53年)1月7日。

結婚後、千葉県船橋市湊町に新居で生活し、そこに松本鍼灸院を開院しますが、その年に廃院し、診察室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開業。

また、船橋市新高根に新居を買って引っ越します。

自分の著書もあります。

「転換人生」という本です。

結婚後に妻の松本知子さんは、夫の薬事法違反で逮捕や宗教にのめり込んで家に帰らなくなったことなどが原因で、精神の異常が出現し始め神経症に罹ったりもしています。

その後、対人恐怖症、外出恐怖症なども発症し、さらには強迫神経症もひどくなりました。

こういったことで家庭内でも精神不安定が目立つようになりました。

このようなことも上で紹介した自著の『転換人生』という本に書いてあります。

今さらいろいろと考えてもあまり意味がないかもしれませんが、もし麻原彰晃こと松本智津夫氏と出会うことなく結婚していなかったら、松本知子さんの人生はどうなっていたんでしょうね?

家庭裁判所への申請をして、今現在は松本明香里(まつもとあかり)と改名しています。

次に子供についてです。

麻原彰晃氏との間には子供の数が何人いるのか気になっている方も多いと思います。

6人います。

息子2人に娘4人です。

このような家族構成となっています。

実際には、12または15人の子供がいるともいわれています。

これは、愛人との間でおこなわれるイニシエーションという行為による結果らしいです。

子供に関してはこの後に詳しく解説していきます。

息子と娘

子供

子供の数が6にんであることと、息子と娘の両方がいることはすでに説明した通りです。

名前や現在どうなっているのか?に関心がある人が多いようです。

父親である麻原彰晃氏や母親の松本知子さんが話題になれば当然そうなることも予想できます。

息子と娘に関しては以下にわかりやすくまとめていきます。

【長男】

生年月日が1992年(平成4年)生まれということはわかっていますが、名前については不明です。

教団からは皇子や猊下(げいか)の称号を与えられています。

これは日本シャンバラ化計画におけるもののようです。

ちなみに、猊下(げいか)とは高僧に対する敬称です。

1996年(平成8年)には教団の教祖となりました。

Aleph(アレフ)に対する写真と名前の無断使用の禁止を求める訴訟やテレビ局に対するもののもあります。

特に後者は、長男が父親である松本智津夫氏の後継者であるという報道に対するものでした。

この訴訟は今年2018年3月15日に敗訴しています。

【次男】

1994年(平成6年)生まれ。

兄と同様に名前は不明で、同じく皇子や猊下(げいか)の称号をもらっています。

母親と一緒に暮らしているという情報がありましたが、今もそうなのかは不明。

一連の件があった当時は1歳くらいです。

拘置所で父親と対面したことがあります。

また、麻原彰晃氏の息子であるということで、春日部共栄中学校に合格したが、入学を拒否されています。

この件に関しては損害賠償を求める訴えを起こしています。

【長女】

1978年(昭和53年)生まれ。

なので、現在の年齢は39歳か40歳。

名前は不明ですが、ドゥルガーというホーリーネームがあります。

ホーリーネームとは、オウム真理教の出家信者に与えられた教団内での祝福名です。

ある一定の「ステージ」に到達した者が麻原彰晃氏本人から授与されるものです。

教団内では正悟師という地位でした。

また、流通監視省大臣であったこともあります。

上祐史浩氏の許嫁であったという情報もあります。

【次女】

生年月日は1981年(昭和56年)生まれなので、今の年齢は36歳か37歳。

名前は不明ですが、ホーリーネームはアジタナーター・カーリー。

【三女】

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1983年(昭和58年)4月生まれで、名前は松本麗華(まつもとりか)。

今現在の年齢は34歳か35歳。

松本麗華という実名で報道番組の『NEWS ZERO』のインタビューに出演したこともあります。

ニコニコ生放送に出演して田原総一朗さんと対談したこともあります。

また、「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」という本があります。

それが上の画像です。

【四女】

1989年(平成元年)生まれなので、現在の年齢は28歳か29歳。

本名の名前は不明ですが、「松本聡香」というペンネームがあります。

松本聡香名義で「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」という本もあります。

以上、息子と娘についてでした。

出身中学と高校

出身中学校と高校についてですが、すでに説明した通り熊本県立盲学校です。

小学校に関しては八代市立金剛小学校に入学したものの、すぐに熊本県立盲学校に転校しています。

熊本県立盲学校は、熊本県にあるただ1つの視覚障害者のための特別支援学校です。

公立です。

すでに創立100周年を超えている歴史ある学校。

現在は、幼小学部、中学部、高等部という学部があり、高等部には普通科、普通科重複学級、保健理療科、専攻科保健理療科、専攻科理療科があります。

幼稚部は1992年(平成4年)に設置されました。

熊大医学部や東大文一を目指していましたが、結局は大学には進学していません。

以上、学歴でした。

父親と母親と兄弟

家族は一人の人間の人生を考察するにあたっては非常に重要な位置を占めます。

ここではそれについて解説していきます。

父親は畳職人でした。

生まれたのは現在の大韓民国全羅北道益山郡春浦面。

終戦後に朝鮮から引き上げてきて叔父を頼りに八代市で生活することになります。

当時、畳は地場産業でした。

八代は「い草」で有名なことを小学校や中学校、高校の地理で学んだと思います。

い草は畳の原料というか材料です。

このように、八代市で畳職人として生計を立てることとなります。

ですが、畳の需要は落ちこんでいき、9人の子供がいる家庭の経済状況は逼迫していたようです。

父親も母親も働き詰めだったといいます。

共働きの家庭だったということです。

なので、後の麻原彰晃こと松本智津夫氏は兄や姉を親代わりとする可愛そうな幼少期を送っています。

こういったことから、両親の愛情を十分に受けられずに、自己愛だけがどんどん肥大化していった典型的な例だともいわれています。

なお、母親に関しては特に情報はなく、詳しいことは不明です。

すでに紹介しましたが、兄弟は9人です。

6男3女の7番目が麻原彰晃氏です。

長兄は12歳年上で全盲、5男は弱視でした。

このように、麻原彰晃氏兄弟には視覚障害がありました。

麻原彰晃氏が生まれつき目が悪かったというのはよく知られたことですが、これに関しては以下のような話があります。

「黄泉の犬(文藝春秋)」という本があります。

著者は写真家の藤原新也さん。

この方が麻原彰晃氏の兄を探し出して訪ねて、その時に聞いたことを
書いたのが、さきほどの「黄泉の犬」という本の中にある「メビウスの海」です。

『中古』黄泉の犬

麻原彰晃氏の出身地の前に広がっているのは不知火海。

それを見た藤原新也さんが全盲である麻原彰晃氏の実兄のところを訪ねて問いかけるんです。

弟さんの目の病気は水俣の水銀のせいじゃないのかということをです。

自分はそうではないかと想像していたと。

それに対してしばらく沈黙した後に兄は、よくそこに気づきましたねというようなことを小さな声で答えます。

さらに、その兄は弟の麻原彰晃こと松本智津夫氏を水俣病患者として役所に申請を出したと打ち明けるんです。

wikiには先天性緑内障のため生来左目がほとんど見えない上に右目の視力は1.0程度。

そして、長兄は全盲、5男も弱視と記載してあります。

その他の兄弟についてはよくわかっていません。

兄弟には兄や姉、そして弟と妹がいたということです。

祖父についても紹介しておきます。

祖父は熊本県出身の警察官でした。

孫が後に警察の世話になるなんて夢にも思っていなかったでしょうね。

なんとも皮肉ね結果としかいいようがありません。

戦前に朝鮮半島に渡り、そこで警察署長まで務めた方です。

祖母については情報が全くありませんので省略します。

プロフィール

最後になりましたが、プロフィールを紹介して本記事を終わりにしたいと思います。

名前:麻原彰晃(あさはら しょうこう)

ホーリーネーム:マハー・グル・アサハラ

本名:松本智津夫(まつもと ちづお)

生年月日:1955年(昭和30年)3月2日 現在の年齢は63歳

出身地:熊本県八代市

そういえば、最近麻原彰晃氏の話題が多いですが、そんな中、オウム真理教のスポークスマンとして一連の件当時に連日テレビに出演されていた上祐史浩さんが今年2018年になって、またニュースなどに出ておられます。

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こんにちは。 今回注目するのは宗教家の上祐史浩(じょうゆうふみひろ)さん。 ひかりの輪の代表です。 オウム真理教で外報部長や緊急対策本部長などの役職でスポークスマンとしてテレビなどに昔はよく出演されていたこともあり...

麻原彰晃氏の今後の動向の予測などに関して意見を述べられたりしていました。

2018年はオウム真理教の総括の年になるのは間違いないようです。

今後、関連の人物がいろいろと話題になりそうです。

プロフィールについては特に意外なエピソードなどを紹介したいと思いましたが、そのうち本記事に追記していきたいと思います。

芸能人との関係とか、趣味・嗜好とか・・・。

オウムは人間ばかりかと思いきや、実は動物の入信制度もあり、猫がオウムのメンバーとなっていました。

このようなことを今後もどんどん書き足していきたいと思います。

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