梅木信子(医師)の夫と奨学金について!出身大学と高校等のwiki風プロフィールも紹介!

女医ひと
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女医

梅木信子(うめきのぶこ)さんは医師。女医さんです。

しかも、現在96歳の現役医師なんです。

そりゃ話題になりますね。

今現在だけでなく、との出会いや結婚や昔の若い頃も気になります。

今回は、それらに加えて、奨学金のことや本、出身大学や高校等の学歴や経歴のプロフィールをwiki風にまとめて紹介します。

今度、テレビの「奇跡体験!アンビリバボー」でも紹介されます。

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梅木信子医師の夫と奨学金について

戦争

梅木信子医師の夫は梅木靖之さんといいます。

正確にはその時夫は婚約者でした。

結婚式の1ケ月前に梅木靖之さんは戦争で亡くなられます。

1943年に海軍兵として乗った船が魚雷の攻撃を受け沈没したんです。

戦死です。1943年のことです。

この時、梅木信子さんは23歳の時でした。

昔の若い頃にはこのような悲しい出来事を経験されています。

戦争中だから危険な状況であることはわかった上で婚約し入籍しようとしたらしいです。

そして、結婚式がおこなわれました。

それは夫の遺影とともにでした。

その当時には軍人の遺族には特権がありました。

それが、医学校へ優先的に入学出来る制度です。

結婚式は夫の遺影とともにおこなわれましたが、裁判で婚姻関係は認められていました。

戦後になって結婚を確認するための裁判を受け夫婦であることを認めてもらったんです。

逆になってしまいますが、梅木信子さんが将来の夫となる梅木靖之さんと出会ったのは女学校を卒業して軍需工場で働いていた時でした。

当時18歳で、その時に梅木靖之さんは神戸の商船学校に在学中の21歳でした。

梅木信子さんの方の一目惚れだそうです。

奨学金について

奨学金と言うのは梅木信子奨学金(神戸大学基金)です。

夫の梅木靖之さんの出身大学は神戸大学海自科学部なんですが、戦争中に海で亡くなった夫の遺志を継いでくれる若者を支援するためにつくられたものです。

当時は官立高等商船学校である神戸高等商船学校でした。

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出身大学と高校は?

梅木信子さんの年齡からすると、学生時代は第二次世界大戦前で何十年も前のことです。

だから、学制改革前で現在の教育のシステムとはちょっと違うので、出身大学と高校についてはまとめて説明します。

1923年(昭和12)に兵庫県加古川高等女学校を卒業されています。

高等女学校というのは、旧制中等教育学校で学制改革後には現在の高校となりました。

細かい学校名の変遷などはwikiに詳しくまとめられています。

そして、1950年(昭和25年)の3月に東京女子医学専門学校卒業されました。

この学校は、現在の東京女子医科大学です。

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wiki風プロフィール

プロフィール

wiki風にプロフィールをまとめて紹介します。

名前:梅木信子(うめきのぶこ)

生年月日:1920年(大正9年)2月5日 現在の年齡は96歳

出身地:大分県臼杵市

東京女子医学専門学校に入学できて医師となることが出来たのは、夫の梅木靖之さんの遺族になったからであると言っています。

夫の父親は、もし夫、つまり自分の息子が戦争で亡くなった場合は、医大への優先入学制度を利用するようにと、それを遺言にして残していたそうなんです。

それを父親に託していたのが息子である夫だったのです。

夫が船乗りで海軍兵として召集されて、その後に亡くなったから、梅木信子さんは海軍に入って軍医になりたかったそうです。

大学を卒業して2年後の1952年(昭和27年)に医師資格を取得します。

その後、浜松聖隷病院、信州大学精神科、東京女子医科大学三神内科、東京女子医科大学生理学教室を経てから医学博士号を取得されました。

そして、1960年(昭和35年)に東京都日野市に内科・小児科を開業して内科医として活躍されていました。

開業は40歳のときです。

2008年(平成20年)に閉院しました。

その後、亡くなられた夫との思い出の地である兵庫県神戸市の垂水に引っ越し、そこで現在生活されています。

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「ひとりは安らぎ感謝のとき」という本を出版されています。

その他にも、「なでしこと君に呼ばれて」や「ときは木の愛を誓いて」という本があります。

昔の若い頃から96歳になる今現在も活躍されてるとは本当にすごい方です。

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