村西とおるの妻と子供と慶応について!出身高校や生い立ちと過去もチェック!

監督ひと
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監督

村西とおるさんは、たくさんの名言で有名なAV監督さんで実業家でもあります。

昔は「ナイスですね!」と連発していたのがすごく面白かったです。これも名言の1つと言ってもいいかなと管理人的には思っています。

ちなみに、「ナイスですね」という本も出されています。

ビデオ関係の情報はインターネット上に膨大にあるので、村西とおるさん自身についてのことを今回はまとめて紹介します。

子供について、慶応との関係、本名や年齢、出身高校などのプロフィールを解説します。

生い立ちや過去についても興味あるエピソードがたくさんあるので、そちらも説明します。

アウトデラックスに出演された時にも話題になった村西とおる監督にフォーカスします!

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村西とおるの妻と子供と慶応

結婚

村西とおるさんの妻は元人気AV女優の乃木真梨子(のぎまりこ)さん。

女優になる前は、元カネボウ化粧品の美容部員であるミス・カネボウでした。

実は、村西とおるさんは3度結婚しているんです。ということは、2回の離婚歴があるということです。

2人の元妻に関しては不明です。

そして、3人目の妻が乃木真梨子さん。かなりの美人です。

女優を引退後に村西とおるさんと結婚しました。かなり惚れられてのことです。

現在の年齢は46歳で、秋田県秋田市の出身です。

デビュー作は、「涙が流れるほど良かったから一生忘れない」

たくさんのビデオに出演されました。また、写真集もあり、雑誌の表紙に載られたこともあります。

興味のある方はそれらの作品をチェックしてみてくださいね。

その他のプロフィールも紹介しておきます。

生年月日:1970年5月4日

血液型:A型

身長:161cm

結婚後に子供が生まれます。息子さんです。

この息子さんが入学したのが「慶應義塾幼稚舎」

日本一有名な名門小学校で、お受験界ではそのトップに君臨しています。

セレブ御用達の学校としても知られています。

村西とおるさんの息子さんが慶應義塾幼稚舎に入学できたのは良かったんですが、問題はその後に起こりました。

当時、舎長は金子郁容さんだったんですが、慶応OBなどの父兄からの猛反発で、実質的には舎長の座を更迭されたんです。

その原因・理由が村西とおるさんの息子さんの入学と言われているんです。

実は、それ以前にも貴乃花さんの息子さんが慶應義塾幼稚舎を受験する際にも同様のことが起きています。

父兄からの入学拒否など・・・。

この息子さんは結局不合格になりました。

世間体を重んじる父兄が多いことが原因のようです。

そんなことがあった村西とおるさんの息子さんは、将来は漁師になるという夢を語っていたそうです。

当時は小さかったから親の苦労もわかっていなかったのかもですね。(笑)

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出身高校は?

出身高校

村西とおるさんの出身高校は福島県立勿来工業高等学校です。

ここで、プロフィールを紹介します。

プロフィール

プロフィール

芸名:村西とおる

本名:草野博美(くさのひろみ)

生年月日:1948年9月9日 現在の年齢は67歳

出身地:福島県いわき市

出身高校:福島県立勿来工業高等学校

経歴について

経歴

高校を卒業して上京した後にバーに勤めていました。

それから、英会話教材や百科事典のセールスマン、インベーダーゲームのブームの時にゲーム機設置販売業などされていました。

その次には、裏本の制作と販売をおこなっていました。

結局、北大神田書店グループの会長にまでなっています。

それから、村西とおるという芸名でAV監督となり、「ナイスですねー!」などのトークで人気がでました。

ダイヤモンド映像を設立し、年商100億円を達成しましたが、最後は45億円の負債を抱えて倒産に至らしめたという経歴もあります。

著書には「ナイスですね」という本など複数あります。

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生い立ちと過去

進駐軍

生い立ちや過去に興味がある人は多いと思いますので説明します。

村西とおるさんが生まれ育った出身地の福島県いわき市では、幼い頃は駅前にいつも進駐軍のジープやトラックが止まっていたそうです。

そして、米軍の兵士が車を下りてミカンをこれ見よがしに食べたそうなんです。

その後に兵士はその皮を捨てる。

この皮に子供たちは群がっていたそうなんです。しかも、取り合い。その中に村西とおるさんもいました。

この時の光景がいつまでも心のどこかにひっかかり続けていたそうです。

それでおこなったのが、ハワイ上空でのセスナ機内での撮影です。

このことで結局逮捕されてしまいました。

求刑は懲役370年。

でも、半年ほどで日本に帰国できました。

これで、ミカンに関する怨念を少しは晴らせたと言っています。

ミカン

当時はミカンの皮でも食べたくなるほどの貧乏生活でした。

村西とおるさんの家の食事は、まず最初にジャガイモが出てきました。

最初に子供たちのお腹を膨れさせようと考えてなされていたことです。

白いごはんを食べることはめったにありませんでした。

父親は戦前は国鉄の職員でしたが、復員しても職場に戻らなくて傘や鍋を修理する行商を始めました。

それでは経済的には豊かになれず、その日暮らしといった状況でした。

そんなことで、父親と母親はいつもお金のことで揉めていたそうです。

中3の時には母親を殴っている父親に包丁を突き付けました。

その途端に母親は、父親になんてことをするんだと言ったそうなんです。

でも、息子のこの行動がかなりショックだったらしく、翌日から父親は行方不明になって結局は両親は離婚してしまったそうです。

こんな悲しい生い立ちが村西とおるさんにはありました。

過去については、経歴のところでも説明しましたが、会社を倒産させています。

それ借金地獄に陥りました。

家賃が払えずに半年間も滞納したりの生活なんかもありました。

抱えた借金は50億もあったそうなんですが、ショーパブ経営やビデオ制作によってすべて返済してしまったそうです。

その他に、前科7犯という経歴もお持ちです。そのうちの1つは上で説明したアメリカでのことです。

前科の原因はビデオと裏本関係です。

生い立ちや借金など波乱万丈な人生を歩まれて来たんだな~、と感心する管理人でした。

すごい生命力でいまも活躍されているところがナイスですね!

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