小林カウの夫と息子と娘について!最期の言葉は?子孫や生い立ちも解説!

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こんにちは。

今年も熊本市は強烈な暑さでした。

だんだんと秋の気配が感じられるようになった今日このごろです。

さて、台風が過ぎてかなり気温が上がったかと思えば、翌日には急に涼しくなったりと体がついていけなく風邪をひいていしまう人も多いのではないでしょうか?

しかし、案外、風邪を引いた時にこそ出張があるんですよね・・・。

そんな時にどこのホテルに泊まろうかと考えて、ネット検索するとアパホテルが目につきます。

あのアパホテルを経営しているのは元谷芙美子社長です。

元谷芙美子さんはメディアでも登場するので、ご存知の方も多いかと思いますが、とにかくバイタリティがあり商売上手です。

しかし、彼女の人生は苦労も多かったようです。

それと比べると失礼かもしれませんが、同じ女性で苦労人であり、商売上手だった小林カウさんという人物に今回は迫ります。

ホテル日本閣の件で有名な方なので、名前をご存知の方もいるかもしれませんね。

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映画になっているくらいですから。

この映画に関しては後ほど解説します。

結局彼女は、お金と性に支配されたあまり、悲しい結末を迎えてしまうのですが、強烈な個性の持ち主でもあります。

そんな悲しくも破天荒、かつ波乱万丈な彼女の人生をご紹介したいと思います。

というわけで今回は、小林カウさんの夫と娘、最期の言葉、そして子孫や生い立ちにもフォーカスします。

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小林カウの夫と息子と娘

1930年のことになりますが、小林カウさんが22歳の時に、姉の口利きで新潟県柏崎市出身の5歳年上の当時27歳の林秀之助さんとお見合い結婚をしました。

夫となった林秀之助さんは身長160cmもない貧弱な体格な青年でした。

いざ結婚してみると、林秀之助さんは慢性胃腸病など複数の病を患っていて、小林カウさんとの結婚生活もあまりうまくいっていなかったようです。

では何故、そんな人と結婚してしまったのでしょうか?

お見合い結婚とはいえ、もう少しお互いを知る必要があったのではと思いませんか?

結婚した1年後の1931年には長男が誕生しますが、17歳で他界してしまいました。

子供さんについてですが、2人をもうけています。

1932年には長女が誕生しましたが、その後、音信不通となってしまいます。

夫はあまりにも虚弱体質だったようで、小林カウさんのことをあんまりかまってくれなかったようです。

もともと小林カウさんは、物欲などいろんな欲が強かったのか、あまり後先考えなかったのか、ついには家に訪問にきた当時25歳の青年である中村又一郎巡査とも夫がいるにも関わらず、浮気してしまう程でした。

中村又一郎巡査は、すらりとした男前でしかも独身だったようです。

夫と正反対だったんでしょうね。

小林カウさんが夢中になる訳です。

しかし、中村又一郎巡査と不倫関係になった理由は別の所にあり、中村又一郎巡査がある時、戸口調査簿を手に小林カウさんの家に現れたようです。

彼女の推測では、闇物資を扱うこの家を取り締まれるのでは?と直感が働いたようです。

そこで小林カウさんはこの中村又一郎さんに迫り、事なきを得ました。

後に小林カウさんは、中村又一郎巡査の事を今でも好きでであると供述していたようです。

しかし、恋に夢中になったと言っても、次に、取締りがある時は伝えてほしいと中村又一郎巡査に釘を打つなど計算高い所もあったようです。

小林カウさんは生涯で色々な男に色目を使ったようですが、実際に写真を見た限りではそれほど美人ではありません。

しかし、彼女は根っからの商売人です。

口が達者だったのかもしれませんね。

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最期の言葉は?

小林カウさんは刑務所で生涯を終えるわけですが、「捕まったということは、事業に失敗したのと同じだと思います」という一言が気になります。

それもそのはず、小林カウさんの人生そのものが商売であり実業家だったのです。

そして、小林カウさんが生涯を終える時に言った最期の言葉も更に気になります。

「長い間お世話になりました。思い残す事も言い残す事もありません。」

何とも潔いと思いませんか?

もうこの世には全くなんの未練もないといった潔い言葉です。

もし心残りがあるとしたら、旅館経営で成功して、将来はホテル王になる!という夢が実現しなかったことかもしれませんね。

それほど物欲におぼれた小林カウさんは、1970年6月11日に生涯を閉じるのです。

子孫について

さて小林カウさんの子孫がいたら気になりませんか?

実際、子孫がどうなっているのか気になっている人は多いはずです。

前述したとおり、小林カウさんは二人の子宝に恵まれるものの、長男は若くして他界、娘の方は音信不通です。

子供でさえも後にどうなったのかわかりません。

当然、その孫が今何をやっているかは通常は知る事が出来ないでしょう。

ここは、そっとしておいたほうが良いですね。

詮索するのもどうかと思います。

お孫さんが仮にいたとしても、ホテル日本閣の件がありますから、自分から小林カウさんの孫であると名乗ることはまずないでしょうね。

生い立ち

これまで小林カウさんについて説明してきました。

やはり、こういう方に関してすごく気になるのは生い立ちではないでしょうか?

生年月日は、1908年10月20日です。

出身地は埼玉県大里郡玉井村(現在の熊谷市)。

農家に生まれました。

毎年夏になると記録的な暑さを記録するあの熊谷です。

家は集落の中では旧家でしたが、貧乏な家庭だったようです。

小林カウさんは7人兄弟の5番目の次女でした。

小学校を4年で終えて、やがて東京の旅館に女中奉公に出されています。

高校はおろか中学校も卒業していなかったようで、漢字などもよく書けなかったようです。

そして、東京から玉井村に戻ってきた後、後の夫となる林秀之助さんと見合い結婚をして商売をしたようです。

しかし、夫が虚弱体質だったせいもあり、商売がうまくいかなくなり、夫婦は熊谷を離れ、東京近辺を転々とします。

戦争が終わると、夫婦は熊谷に家を建てた後は、小林カウさんは土産物製造卸売りなどを始め、病みがちな夫に代わって、妻である小林カウさんの働きで家計が成り立っていたようです。

この頃から小林カウさんは金儲けの楽しさを知り、物欲が強まっていったようで、それが最終的な悲劇を生む結果になってしまうんですね。

そして、1952年10月2日、夫の林秀之助さんが他界すると、しばらくは浮気相手の中村さんと一緒にいたようですが、結局、貢いだ末に捨てられてしまったようです。

その間も多くの男と関係があったらしいですが、それは仕入れ代金や生活費をタダにするための物々交換という手段であり、あくまでビジネスライクに徹していたようです。

そして、栃木県塩原温泉郷に移った後に小林カウさんの商売は軌道にのります。

しかしその一方で、道々で知り合った人の家に泊めてもらいながら、宿屋を使わないというどケチぶりを発揮します。

ついに、小林カウさんは店を買いとって、小食堂「風味屋」などを開き着々と実業家の道へ突き進みながら資産を増やしていきます。

成功を手にしていながら、小林カウさんはさらに欲が出てしまい、温泉宿をひとつ手に入れたいと思うようになったのだそうです。

しかし、それが悲劇の始まりであるあのホテル日本閣です。

ここでは割愛しますが、結局それが引き金となり、事業の志半ばで、刑務所で生涯を終えてしまうのです。

小林カウさんに関して生い立ちなどこれまでいろいろと解説してきました。

お金だけを追いかけてた人生。

もし、彼女の詳しい情報やホテル日本閣の真相を知りたい方はDVDを借りてみてはいかがでしょうか?

記事冒頭で少し紹介した映画のDVDです。

1984年に出された「天国の駅 HEAVEN STATION」という映画なんですが、ホテル日本閣の件をモデルにして制作されたものです。

ちなみに、主演は吉永小百合さんです。

しかし、どちらかというと破天荒で強烈、そして性癖があり金の亡者ともいうべき小林カウさんの印象と吉永小百合さんとはかなりかけ離れたイメージだと思いませんか?

しかし驚くことに、さすが大女優の吉永小百合さん。

一味違う小林カウさんを演じているんですよ!

是非鑑賞していただきたい映画です。

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