藤田恭嗣の大学と高校は?学歴と経歴のwiki風プロフィール!父親も紹介!

ゆずひと
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徳島県

藤田恭嗣(ふじたやすし)さんは、株式会社メディアドゥの代表取締役社長。

今回は、藤田恭嗣さんの生年月日や年齢などのプロフィール、出身高校大学等の学歴と経歴、これらをwiki風にまとめてみました。

また、父親と母親、彼女や結婚、Facebookなどの情報も紹介します。

今度、テレビの『NNNドキュメント「託された夢~ダムと柚子と父の遺言~」』で藤田さんが紹介されます。

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藤田恭嗣の大学と高校は?

学歴

出身大学は名城大学法学部で、出身高校は徳島県立富岡西高等学校です。

以上が学歴です。

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学歴と経歴のwiki風プロフィール

wiki

学歴と経歴をwiki風にまとめます。

名前:藤田恭嗣(ふじたやすし)

生年月日:1973年8月31日 現在の年齢は42歳

出身地:徳島県木頭村(現在の那賀町)

出身高校:徳島県立富岡西高等学校

出身大学:名城大学法学部

FacebookとLinkedInがあることは確認しましたが、Twitterはわかりませんでした。無いようです。

1994年に20歳で起業しました。当時大学3年で在学中でした。

大学の卒業直前にはタンスに現金が4000万円程あったそうです。

このお金はアメリカに留学するために、携帯電話を販売して得たものです。

ところが、留学を考え直し、大学卒業と同時に法人を設立します。

1996年に有限会社フジテクノを設立し、代表取締役に就任します。

そして、1999年に株式会社メディアドゥを設立し、代表取締役社長となりました。

有限会社フジテクノは、2001年にメディアドゥに吸収合併されました。

モバイルをメインに、インターネット上でのデジタルコンテンツとそれを配信するためのプラットフォームソリューションをセットで提供。

そして、著作物のデジタルコンテンツの流通を推進していきました。

近年は、電子書籍事業にも力を注いでいます。

電子書籍

電子書籍の売上学では日本でトップを争うほどになっています。

LINEの書籍も扱っており、また電子書店としてはAmazonの売上を抜いてしまう可能性があるとも言われています。

故郷の振興に関しては、柚子を徳島県の基幹産業にして人口を増やす構想を持っており、木頭村の人口を500人増やす事が出来れば、故郷への恩返しになると考えており、それが目標です。

ちなみに、現在の人口は1300人くらいです。

故郷の地域振興にも力を入れ、2007年には、故郷の木頭村(現在の那賀町)に徳島木頭事務所を作りました。

今年2016年2月23日に、株式会社メディアドゥは東京証券取引所市場第一部に上場しました。

その前には、東証マザーズに上場していて、市場変更となりました。

先ほど、藤田恭嗣さんのFacebookを見に行きましたが、いきなり目に入ったのが「ゆずがっぱ」です。(笑)

ゆずがっぱとは、藤田さんの故郷の木頭ゆずを宣伝しているかわいいキャラクターです。

FacebookとTwitterとYouTube動画があります。

「ゆるキャラグランプリ2015」で管理人の故郷のくまモンとゆずがっぱが一緒に出ているYouTube動画を紹介します。

3分40秒くらいの時のゆずがっぱが1番見やすいと思います。

昨年2015年には、東京都内にイタリアンレストラン「Ricca Donna(リッカドンナ)」を開店させました。

この店では、木頭ゆずを使った料理や飲み物が楽しめます。

店内では、木頭ゆずの加工品を製造販売している「黄金の村」(那賀町)の商品の販売もおこなわれています。

黄金の村の設立者はもちろん藤田さんです。

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父親について

ゆず

藤田さんの故郷である徳島県木頭村(現在の那賀町)はかつて巨大ダム問題で大きく揺れ動いてました。

そのダムというのが「細川内(ほそごうち)ダム」で、建設省(現在の国土交通省)が1970年代に建設を計画していた多目的ダムです。

1976年に村議会で建設反対の決議がされてからは反対運動が続いていました。

30年間もの長いダム反対運動がありました。

藤田さんの父親はそのダム問題に巻き込まれてしまいます。

村の助役を務められていました。名前は堅太郎さん。

1996年にダム問題が激しくなり、村政が混乱状況になりました。

父親の堅太郎さんは、混乱を招いた責任をとるとして自らの命を絶って亡くなってしまいます。享年61歳でした。

夢があったのにもかかわらず、志半ばで亡くなってしまいました。

そして、2000年についに建設省はダム建設を中止にしました。

一度建設を決めたら覆ることはないと言われていた公共事業を小さな村が覆してしまったんです。

父親の夢というのは、ゆずで木頭村を豊かな地域にして、黄金色に輝かせることだったんです。

父の夢、父から託された夢、それは遺書のようでもあります。

それを実現するために、藤田恭嗣さんは特産品の「木頭ゆず」を加工販売する別会社「黄金の村」を設立したんです。

テレビでは母親が藤田さんに父親の夢について語ります。

それが上で説明したことです。

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コモトピ

コメント

  1. トモノブヒロコ より:

    父親の意志を自らのモノと捉え、邁進されている事に感銘を覚えます。
    当時のダム問題は、前々県政に於いては何がなんでも押し進めたい事業でした。間にたった一人の行政マンには何ともし難い件だったと思います。
    しかし、その御子息が物の見事に解決、いや、全く次元の違う世界に導いた事には他の模範として後の世代に遺して頂きたいと念じます。